2017年9月19日火曜日

映画『パターソン』評text成宮秋祥

「自分の時間を生きること。そこから見えてくる気づきと愛の感情」 


『パターソン』の主人公は、アメリカのニュージャージー州パターソン市に住む、バス運転手のパターソンという男性だ。パターソンに住むパターソンのごく平凡な1週間の日常をたんたんと日記のように簡潔に描いている。映画は最後まで物語らしい物語を描かないまま、人が夜になると眠るように、ここで終わりとばかりに自然と幕を閉じてしまう。しかし、鑑賞後には何とも言えない余韻が残る。映像のそこかしこに人間に対する確かな愛情が溢れている。そして、平凡な日常の中に何かしらの意義を持って生活することの大切さを微笑ましいユーモアを交えて描いていることに気づかされる。

パターソンの1日は決まっている。朝6時に目を覚まし、妻ローラにキスをする。朝食を食べ、職場に向かう。バス運転手としての仕事をこなし、休憩時間に詩をノートに書く。帰宅するとローラと夕食を食べ、その後は愛犬と夜の散歩に出かける。行きつけのバーに顔を出し、ビールを1杯飲む。そして家に帰り、ローラと共に眠る。
映画の中で描かれるパターソンの1週間の日常は、基本的にこの一連の生活習慣の繰り返しである。しかし、確かにパターソンがとる1日の行動はいつも同じであるが、周囲の状況は常に変化している。例えば、パターソンがいつも立ち寄るバーでは黒人のカップルの喧嘩が日を追うごとにエスカレートしていく。他にも、妻ローラがギターを買ってきて「線路の歌」を歌いだしたり、ケーキを作って市場に出かけていったりする。パターソン自身も詩を書く少女と出会ったり、尊敬するW・C・ウィリアムズを好きな日本人の詩人と出会ったりする。
パターソンの行動パターンは常に一貫しているため、一見すると彼がおくる日々に全く変化がないように感じられるが、実際には周囲の状況は日を追うごとに変化していき、それを刺激としてパターソンは詩を書いていく。パターソンは意識的か無意識的か分からないが、一貫した行動パターンを送りながら、日々変化する日常をじっくり体感し、自分だけの詩を生み出す習慣を確立しているといえる。

パターソンのこのような生き方は、忙しい日常をおくる現代人には縁が遠いものに映るだろう。自分で好きに忙しく生きている人はピンとこないかもしれないが、自分の時間を犠牲にしてまで忙しく生きている人には、パターソンの生き方は新鮮に感じられる可能性が高い。なぜなら彼は日々変化する日常を体感することで自分の時間を生きているからだ。それだけの余裕や落ち着きがあるからこそできる行為でもある。パターソンは日々変化していく日常を一分一秒ごとに体感している。映像のそこかしこに人間に対する確かな愛情が溢れているように感じられるのは、日々変化する日常をパターソン自身が愛しく思っているからだ。
1日の流れの端々に描かれる些細な出来事にも独特なユーモアが感じられるのは、パターソン自身がその些細な出来事が起きている時間さえも体感している証拠といえる。余裕がなく忙しく生きていればその些細な出来事は無関心によって省略され、なかったことにされる。知らぬ間に自分の時間が失われていく虚しさを味わうこともある。しかし、余裕を持ってその些細な出来事に関心を持てば、新しい視点や新しい気づきを発見することがある。今まで見えてこなかったもの、知らなかったものに出会える瞬間は誰しもありがたいと感じるのではないだろうか。そのため、自分の時間を生き、自分の時間を確かに体感している人たちは、例えそれが代わり映えしない日常だったとしても、愛しさを抱きながら日々をおくる。パターソンもその一人だといえる。

『パターソン』のパターソン市に住むパターソンが送る日常は、自分の時間を体感することを省略して生きている現代人に良く生きるヒントを与えたといえる。それはその人たちが忙しさを理由に忘れてしまった自分の時間を体感する意義や、そこから見えてくる気づき、新しい何かを発見あるいは生み出す生産的な発想。そしてそれらを愛しく感じる人間の、愛の感情である。

(text:成宮秋祥)




『パターソン』
2016/118分/アメリカ

脚本/監督:ジム・ジャームッシュ

公式ホームページ:http://yellow-flowers.jp/

劇場情報
8月26日より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

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【執筆者プロフィール】

成宮 秋祥:Akiyoshi Narumiya

1989年、東京都出身。映画オフ会「映画の或る視点について語ろう会」主催。映画ライター(neoneoweb、映画みちゃお!、ORIVERcinema寄稿)。

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