2015年12月22日火曜日

第16回東京フィルメックス《特集上映》『ヴィザージュ』レビュー text 井河澤 智子


「6年寝かせたレビューと、極私的解説」


2009/11/24 初稿
2015/12/10 大幅改稿

 まず感じたのは、「これが最後の作品になるかもしれない」という懸念であった。
 ツァイ・ミンリャン監督の作品には「水浸し」「性への渇望」「死者の存在」などのモチーフが通奏低音の如く響いているのだが、今回はそこに「自らへのオマージュ」らしきものを感じてしまったのだ。
『青春神話』に見られる、家じゅう水浸しになる場面。
『Hole』『西瓜』『黒い眼のオペラ』に見られる、唐突に挟まるミュージカルシーン。
『河』に見られる、同性愛の(えらく具体的な)描写。
『ふたつの時、ふたりの時間』に見られる、窓をガムテープで塞ぐ場面、パリの公園の場面。また、トリュフォーへの傾倒。ここで『大人は判ってくれない』が引用されているが、トリュフォーが「アントワーヌ」という役名でジャン=ピエール・レオーを主演に製作した「ドワネルもの」と呼ばれる一連の作品群と、ツァイ・ミンリャンがリー・カンションを主演に撮影した作品(「シャオカンもの」、と仮に呼ぶ)は、一人の俳優の成長を、長いスパンでフィルムに収める、という大きな共通点がある。

 そして、(『楽日』を遺作に鬼籍に入った、父親役のミャオ・ティエン以外)それまで出演していた俳優が総動員される。映画そのものが、例えるならフェリーニの『8 1/2』のラストシーン——いや、あのように「人生は祭りだ」などと吹っ切れたような祝祭感は全く感じられないが——そのように感じてしまうものであった。

 さらに、「家族の映画」としての側面もあったこの一連の「シャオカンもの」、『ふたつの時、ふたりの時間』では父親が亡くなるが、この『ヴィザージュ』では母親が亡くなってしまう。
 監督はもう撮らないのではないか、という懸念を抱いても仕方あるまい。

 水道管が壊れ、水浸しになった台北のシャオカンの自室(これもまた『青春神話』からほとんどレイアウトが変わっていない)。部屋から溢れた水はパリへと流れ、導かれるように『ヴィザージュ』は始まってゆく。
 シャオカンはいつしか「シャオカン(カンちゃん)」から「カンさん」と呼ばれる映画監督となり、「アントワーヌ」という名のフランス俳優を主演に迎え映画を撮影しようとしている。アントワーヌを演じるのがジャン=ピエール・レオー。アントワーヌの行動に振り回されるプロデューサーを演ずるのは、晩年のトリュフォーのパートナーであったファニー・アルダン。
『ふたつの時、ふたりの時間』において『大人は判ってくれない』を初めて観た青年が、セールスマン、路上の時計売りを経てAV男優として映像の世界に入り(『西瓜』)、そこで得た映像の経験を糧に映画監督となったのかもしれない、と想像すると少し楽しい。
 ツァイ監督はさぞ嬉しかったのではないか。 
 自らの分身リー・カンションが、ジャン=ピエール・レオーと一枚の絵に収まるということが。
 ほぼ一方的に映画について喋るレオーの言葉を、固有名詞を拾いながら、じっと聞くリー・カンション。この絵が撮りたかったのではないか。
 明らかに作り物の冬景色の中、この場面は非常に美しい。

 しかし、ここで一つの懸念を覚えてしまった。
 アントワーヌを演じるジャン=ピエール・レオーの、まるで幼児のような言動は、演技なのか、それとも素の姿なのか?
 演技なのだとすると流石と舌を巻くしかないが、その素顔がほとんど報じられることがなく、稀に風の便りがあったと思うと「つきっきりで世話をされていた」というような若干心配になるようなもので、正直言って筆者の感想は「このヨイヨイを撮るとは監督も随分と残酷なことしなさる」というものであった。
 精神的に不安定な時期もあった、と聞くが、現在は大丈夫なのか。コンスタントに映画には出ているようだが、筆者は追い切れていなかった。

 さて、カン監督がどのような題材で映画を撮ろうとしているのか、当初ははっきりとは明かされない。
 林の中に鏡が何本も立てられたセットは、まるでルネ・マグリットの「白紙委任状」(http://www.renemagritte.org/le-blanc-seing.jsp)が冬景色となったようだ。カン監督とアントワーヌの支離滅裂な会話で言及される映画のタイトルは、オーソン・ウェルズ『上海から来た女』である。アントワーヌはこの鏡の場面と、『上海から来た女』のラストシーンを重ね合わせたのではないか。また、アントワーヌの役柄は「王」であること、そして舞台は冬であること、それ以外の情報はほとんどない。
 メイクのプランを練るシーンでも、カン監督は「半透明な冷たさを出したい」と、女優の顔に空き缶やら氷やらを押しつける。ここでも具体的な話は出ない。
 このカン監督、ちっとも監督らしい顔をしない。女優の長すぎる衣装の裾を抱えて右往左往したりしている。

 しかしこのあたりでやっと「なにを撮ろうとしているのか」がぼんやりと見えてくる。女優がカン監督に向かって「サロメ」のセリフをつぶやく。サロメが洗礼者ヨハネに向けて語っているかの如く。いつしかカン監督はサロメがその首を欲しがるほどに愛しい洗礼者ヨハネに同一視される。されるがままカン監督が女優に弄ばれる、日本語でいえば俎板の鯉、フランスではなんというのだろうか。家畜がなす術もなく枝肉となってぶら下げられるようなシーンがツァイ監督お得意の長回しで映し出される。あたかも首を切られた洗礼者ヨハネ、それに愛しげに口づけするサロメ、といった体で。丁度レヴィ・デュルメルの絵画「サロメ」と構図がほぼ一致していたので、ご興味のある方はお調べいただきたい。
 とするならば、アントワーヌが演ずるのは「ヘロデ王」である。

 そして、アントワーヌとプロデューサー――あるいは、ジャン=ピエール・レオーとファニー・アルダン——二人の場面。ともにトリュフォーに愛された者同士が、「どこかで会ったような気がする」という。役柄と私生活が曖昧になる場面である。
 アントワーヌは鏡に口紅でメモを残して消える。「君を愛することはできない、僕は去る。」と。彼らはトリュフォーという存在を「奪い合う」間柄なのかもしれない、と深読みもできる。かつて自分を愛した人間が、後に別の人間を愛したという喪失感。
―—そういえば、トリュフォーの描くアントワーヌは、常に愛を欲し、愛に向かって駆けずり回るような青年だった——

 唐突に場面は切り替わる。ルーブル美術館、レオナルド・ダ・ヴィンチが展示された部屋。まさに「洗礼者ヨハネ」の絵画の真下、大理石の壁面がゴトッと外れる。そこから現れたのはヘロデ王の衣装を纏ったアントワーヌ。彼はその場を立ち去る。
 ここではじめて、観客は「舞台はルーブル美術館だったのだ」と気付く。

  実はこの映画はルーブル美術館の依頼によって製作された映画なのだという。
 しかし撮影はほとんど配管部分や下水管などで行われており、外の場面はルーブルの西に隣接するテュイルリー公園かと思われる。明らかに「ルーブル美術館です」とわかる場面はラスト5分やそこらであった。なんという壮大な無駄遣い。
 たとえルーブル美術館からの依頼でも、撮りたいものしか撮らないツァイ監督なのであった。

『ふたつの時、ふたりの時間』ではカメオ出演であったジャン=ピエール・レオーと本格的に組むことが出来て、さらにトリュフォーのパートナーであったファニー・アルダンの援護も得て、ツァイ監督は本懐を遂げてしまったのではないか。『ヴィザージュ』で台北を訪れたファニー・アルダンが、カンの部屋でトリュフォーの顔写真と「再会」する場面には落涙を禁じ得ない。ここに、ツァイ・ミンリャンのモチーフ「死者の存在」を見ることが出来る。(また、亡くなったカンの母親が旅立つ直前に共にリンゴを食べるのも、ファニー・アルダンである。)
 やはり、ツァイ・ミンリャンは撮りたいものを撮り切ってしまったのではないだろうか。

 また、ジャン=ピエール・レオーの健康状態(諸々の意味で)に関する筆者の要らぬ懸念は、『ヴィザージュ』初見から5年後の2014年秋、有楽町角川シネマにて開催された「没後30年 フランソワ・トリュフォー映画祭」において初来日した彼の舞台挨拶を観て、すっかり解消されることとなる。彼は、明晰に、茶目っ気たっぷりに思い出を語り、共に仕事をしてきた監督たちを語り、「Voila ! 」となんども楽しげに口にする、堂々たる名優であった。

2009年公開の『ヴィザージュ』の後、ツァイ監督は劇場映画を長らく撮影しなかった。

2013年。『郊遊 ピクニック』が公開され、監督は引退を宣言した。

2014年。新作『西遊』が東京フィルメックスで公開。

2015年。最新作『あの日の午後』が東京フィルメックスで公開。
また、劇場映画を撮影していなかった時期に撮っていた実験的な映像を含めた特集上映が行われる。

 引退宣言はどこへやら、とほっとしている。ツァイ監督、まだまだ撮りそうである。

唐突なマチュー・アマルリックに吹き出した度:★★★★☆
(再見時に気付いたけど何故あの役?)

(text:井河澤 智子)

『ヴィザージュ』(原題:臉)

フランス、台湾、ベルギー、オランダ / 2009 / 141分

作品解説

ツァイ・ミンリャン監督がヌーベルヴァーグの名匠フランソワ・トリュフォーにオマージュを捧げた作品。台湾人監督(リー・カンション)が、ルーヴル美術館を舞台に「サロメ」をモチーフにして映画を撮ろうとする。主人公を取り巻く撮影時に起こる様々な出来事が、夢幻的な世界観で描かれていく。第10回東京フィルメックス(2009)のオープニング作品であ理、日本劇場未公開作品。

出演者

リー・カンション
ジャン=ピエール・レオ
ファニー・アルダン
ジャンヌ・モロー

スタッフ

監督:ツァイ・ミンリャン 
配給:ユーロスペース

第16回 東京フィルメックス

2015年11月21日(土)〜29日(日)まで開催(会期終了)。「映画の未来へ」--いま世界が最も注目する作品をいち早く上映する国際映画祭。アジアの若手によるコンペ部門、最先端の注目作が並ぶ特別招待作品の上映。特集上映のひとつはフランスのピエール・エテックス。

公式ホームページ


特集上映 ツァイ・ミンリャン

『郊遊 ピクニック』(2013)で、長編映画の製作からの突然の引退を宣言してファンを驚かせたツァイ・ミンリャン監督。世界に衝撃を与えたデビュー作『青春神話』(1992)とキャリア初期の傑作に加え、日本での劇場未公開作品『ヴィザージュ』(2009)、および日本初上映の短編作品などが上映された。


2015年12月15日火曜日

映画『岸辺の旅』レビュー text 岡村 亜紀子

「死はわかつ、けれどそれは終わりではない」


  昨年私は大事な人を二人亡くした。夏に祖父を亡くし、年末に祖母を相次いで。『岸辺の旅』の主人公瑞希は、海で夫を亡くし、三年程、この世とあの世の境を漂っている。
 私はまだ人の死に目に合ったことがない。亡くなったと知らせを受け、通夜で出会った祖父におそるおそる触れると冷やりとしていた。その為か、死の実感というものを心が理解しづらいようである。

 瑞希は海で死んだ夫(行方不明だった)と再会した時に、果たして何をわかり得たのだろう。白状すると劇場でこの作品を観てから、ずいぶんと時間が経ってしまったので、私は自分が記憶している部分のみについてしか語ることが出来ず、この作品のエンディングさえモヤっと白い霧に記憶は包まれているので、なんとも心細い状態でこの駄文を、帰宅中の電車でノートに一文字ずつしたためている。というのも普段メモがわりに使用しているiPhoneの電源がおちた為だ。私は今旅からまさに帰宅しようとしている車内で、なぜわざわざ駄文を書いているのか。
 そんな今日は祖母の一周忌だった。昨日、私は仏前に座り線香をあげながら奇妙な違和感にさいなまれ、そして『岸辺の旅』が浮かんで、様々なことを考えた。残念ながら、疲労と共に記憶は早くも薄らぎ始めている。
おそらくペンをとっているのは、『岸辺の旅』と祖母の一周忌に際して感じた事柄は、もう実体のない祖母と私の新たな関係であり、それを記録したいという欲求から、なのかも知れない。最寄りの駅に着きそうなので、続きは帰宅してからにしよう……。

 ……帰宅。人と人とはいつも物理的な距離によってはばまれている。『岸辺の旅』の瑞希は、夫の死後、携帯を見て夫が浮気していた事を知る。彼女は夫が自分と離れている間、別の女と情事を行っていたことを知らなかった。
 朝、墓そうじを終え、遠方から祖母の親戚が到着するまでの間、私は祖母の部屋に入って、初めてその本棚にあるたくさんの本を見た。私の持っている本もあった。でも彼女とその本の話をしたこともなく、その小さな部屋の天井の角が少しカーブしていることも知らなかった。祖母のモノクロの写真が収められたアルバムには、彼女が働いていた幼稚園の園児たちとの写真や、弓をひく彼女の横顔を何枚も写したもの、友人たちと写っている笑顔、学生服を着ている見知らぬ男性、一人写ったポートレイトなど、私の知らない若い頃の彼女が沢山いた。

 ふと私は祖母のことを何も知らないのではないかと思い、少し驚いた。あまり自分のことを話さない人だったし、子供ごころに祖母の部屋は秘密が詰まっているようで、入りたいと思っても入れなかったのだ。さらに高校卒業以降、三重県伊勢市にあるその家を訪れることは、次第に年5回が3回に、年1回に、さいごに会うまでは2、3年会っていなかったように思う。祖父が亡くなり、大きな家に一人で居る祖母の存在を気にはしつつも手紙や電話のやりとりのみで、中々会いに行かなかった。後悔している。すぐ会いに行ける距離なら、もう少し会えていたのではないかと思う。祖母は伊勢の人だった。

 『岸辺の旅』で一人暮らす瑞希の部屋に、ある日夫が現れる。そして二人は旅をする。彼が死んでから、お世話になったという人々のいる土地を訪ね、人々に会い、瑞希は知らなかった夫を初めて見る。本当はもっとべつの場所――この世とあの世――にいるはずの二人は、お互いに近よって、この世でありながら少しあの世に近い場所を旅していく。

 もし亡くなった大切な人が突然現れたら、私の場合祖母だったら、また会えたことを喜び色々な話をして、それから少し困ってしまうかもしれない。ずっと一緒にいられたら良いけど、現世の生活があり、祖母はその生活にはとけこめないのだから。
 しかし瑞希は、迷わず生活をかえりみず夫と旅をすることを選ぶ。それは彼女の今の生活が、もう惰性のように行われており、そこにかけるエネルギーを持っておらず、さらには夫優介がそれよりも大切な存在だったから。彼女はピアノを教える子供の母親にせんないことを言われても、とまどったような表情を浮かべ、どこかどうでもよい風にさえ見えるシーンがある。そんな彼女はとても生きることが困難な人に見えた。

 瑞希は夫(医者)の浮気相手に会いに病院へ行き、彼女が結婚していることを知る。夫が行方不明になり、別の人生を選んだ女と、死んだ夫を選んだ女。この世での彼女はどうしようもなくとりのこされた存在に見える。
 昨日仏前で線香をあげた私が感じた違和感は、そのシーンを観た時に感じたものにちょっと似ているかも知れない。祖母を亡くした実感がどうしても湧かずに、悲しいという感情をわからず、「そんなところにいたら寒いでしょ。早くこっちに来ておこたに入りなさい」という声が何故聞こえてこないのかという違和感。

 そうして今日、お坊さんがあげるお経を聞きながら、涙があとから流れた。お経のあと、パンクなお坊さんの説法を聞きながら腕のGショックが気になりつつも「東子さんに“おっさん何いうてんの”って言われますわ」という言葉を聞いて、ああこういうこと言う人だったなと、なつかしさがこみあげてきた。話上手で少しイジワルなことも時々言うんだった。
 それからお寺へ行って、みんなでお参りしていたときもジワリときて、会食でゴハンを食べながら、ふと祖母と私が最後に会った時の話になって、又涙が出て困った。誰もそのことに触れず話を聞いてくれて助かった。私はまだ全然悲しいみたいなのだけど、まだまだ後悔だらけで、うまくうけとめられないのかも知れない。

 『岸辺の旅』の終盤で旅が終わった時、その場面はとうとつで感情など関係なく、現象としてさりげなく起きた。
 瑞希は何を感じ得ただろう。私はいくら想像しても、その場面から切り離されたように思考することしか出来ず、瑞希の感情をおしはかることが出来なかったような記憶がある。ただ一周忌を経た今は、その時の瑞希はきっと絶望してはいなかったのだと思う。それは映画『岸辺の旅』と、自分の祖母との関係が私の中で融合して、今日そう思ったのだと。
 
 おぼろげな記憶のなかの瑞希の姿と、新しい祖母と私のかかわりが、今まで答えの出なかった問にすこしだけヒントをくれたようである。写真が欲しいと言うと、「最近のカラーのアルバムからがいいよね?」と言われたけれど、私はモノクロの若かりし頃の祖母の写真を数枚もらうことにした。今日はじめて出会った写真の彼女の笑顔はハジけていてまばゆかった。
 
 祖母に久しぶりに会いに行った日の別れぎわ「いつまでもなごりおしいね」と彼女が言った。その3日後に急逝したから、それが最後の言葉だった。その別れ際の笑顔を忘れたくないと思っていたことを思い出した。
『岸辺の旅』にまつわる今日の出来事をこうして言葉にした事で、その時の笑顔をまた思い出すことが出来たような気がする。そしてモヤっとしていた白い霧が晴れる様に、『岸辺の旅』の静かな海を思い出した私である。

 死は別れであると同時に、きっと、故人との新しい関係が築かれていく始まりでもあるのだろう。

(この文章は2015年11月29日に書いた内容に追記したものです)
 
蒼井優のアタリ役度:★★★★☆
(text:岡村 亜紀子)



『岸辺の旅』

2015/日本、フランス/128分

作品解説

湯本香樹実による同名小説を黒沢清監督が映画化。3年前に夫の優介が失踪した妻の瑞希は、その喪失感を経て、ようやくピアノを人に教える仕事を再開していた。ある日、突然帰ってきた優介は「俺、死んだよ」と瑞希に告げる。「一緒に来ないか、きれいな場所があるんだ」と言う優介の言葉に、瑞希は優介と2人で旅に出る。2人は優介が失踪からの3年間にお世話になった人々を訪ねていく旅の中で、お互いの深い愛を改めて感じていく。しかし、瑞希と優介の永遠の別れの時は刻一刻と近づいていた。

出演
薮内瑞希:深津 絵里
薮内優介:浅野 忠信
松崎朋子:蒼井 優
島影:小松 政夫
星谷:柄本 明

スタッフ

監督:黒沢 清
脚本:宇治田 隆史
撮影:芦澤 明子
照明:永田 英則
録音:松本 昇和
美術:安宅 紀史
編集:今井 剛
スタイリング:小川 久美子
音楽:大友良英、江藤 直子

公式ホームページ

劇場情報

アップリンクほか、全国順次公開中



2015年12月8日火曜日

第16回東京フィルメックス《特別招待作品》 映画『昼も夜も』レビュー text加賀谷 健

「昼も夜も~その一点のまがまがしさによって~」


今、一人の青年が両腕を左右へ大きく広げながら自転車をこいでいる。青年の名は良介。彼は、心の中で誰かに呼びかけている。それが誰へのものなのか、我々観客には全く想像もつかない。だが、その青年を演じる瀬戸康史が驚くべき「美声」と言い知れぬ「存在感」を兼ね備えている事は確かである。

 実際、亡くなった父親の後を継いだという中古車店の経営者としての瀬戸は、説得力がないようでいて妙な説得力のある姿で画面にちゃんとおさまっているのだ。そこには、彼をただ「イケメン」にはとどめておかない何かがある。おそらくそれは、瀬戸康史という役者の徹底して透明な表情の演技によるものなのだろう。

 ある日、中古車店に一台の赤い車が乗りつけ、しおりという名の女が置き去りにされる。バスの本数が少ない事を知ったしおりは、1000円の手付金で強引に一台の中古車に乗り込み、勝手にその中で眠り始めてしまう。初めは無視していた良介であったが、段々と放っておけなくなり、その晩、彼女を車で送っていくことにする。車内でしおりは、昔死んだ犬の話を始める。良介は、聞いているのか聞いていないのか、まるで時が止まったかのように一点を見つめている。その時の彼の表情の素晴らしさは言うまでもない。それは、無表情故の「豊かさ」である。二人の間には、何か不思議な繋がりが出来始めている。この中編は、監督自身が語る通り、「小さなロマンティックな話」なのだろうか。
 
 映画の後半で二人は車で海へ行く。ここでも良介は見事な表情をしてみせるのだが、それを断ち切るかのような「2014.3.11」の字幕が海のショットを前にして挿入される。劇中、しおりの「腐った魚の匂い」という呟きを何度も耳にしていた我々は、ここにきてやっと全てを理解することになる。
 良介としおりは、無言の内に「震災」の想いを共有する。雨が激しく車を打ちつける。外の世界の現状は未だ厳しいままなのだ。しおりは姿を消し、良介は車を売り払う。

 3ヶ月後、良介のもとにしおりから電話がかかってくる。彼女は自転車で日本中を回っているという。「呼びかけ」が届いた良介は、今は幸せだと返す。映画は、このまま瀬戸の「美声」とともに文字通り美しい終幕を迎えるかにみえる。だが、エンド・ロールの後、黒みの画面に響き渡るのは、ヘリコプターのまがまがしい音、ただそれだけである。「映画はキレイに終わりすぎてはいけない」、そう語る塩田明彦は、やはりどこまでも「残酷な」映画作家であった。

作家の残酷度:★★★★☆
(text:加賀谷 健)


11/24 有楽町朝日ホールで行われた『約束』『昼も夜も』塩田明彦監督Q&A


『昼も夜も』

日本 / 2014 / 69分

作品解説

塩田明彦監督がウェブサイトのために監督した2本の短編の内の一編。第16回東京フィルメックスでスクリーン上映され、もう1本の『約束』(日本 / 2011 / 15分)も同時上映された。
両作品を作るにあたり、ラフな脚本を元に少しづつ肉付けしてゆくという自主映画時代の方法論を適用したという塩田明彦監督の、原点回帰とも言える作品である。

出演

良介:瀬戸康史
しおり:吉永淳


スタッフ

監督:塩田明彦

第16回東京フィルメックス

2015年11月21日(土)〜29日(日)まで開催(会期終了)。「映画の未来へ」--いま世界が最も注目する作品をいち早く上映する国際映画祭。アジアの若手によるコンペ部門、最先端の注目作が並ぶ特別招待作品の上映。特集上映のひとつはフランスのピエール・エテックス作品。

公式ホームページ

http://filmex.net/2015/


2015年12月4日金曜日

第16回東京フィルメックス《コンペティション作品》 映画『タルロ』 text 高橋 雄太

揺らぐ「私」


「私」とは誰か。
そう問われた人は、「私は私。自分のことくらいわかっている」と思うかもしれない。だが「私」とはそれほど確固とした存在だろうか。映画『タルロ』を観た後、私は「私」への不安に襲われた。

本作の主人公、本名はタルロ、通称「三つ編み」。男性、おそらく四十代、名が示すとおり髪は三つ編み、チベットの羊飼い、国籍は中華人民共和国。彼は警察に身分証(identity document:ID)の作成をすすめられ、それに必要な写真を撮る際、理髪店の女性と親しくなる。人里離れた放牧地から彼女の元へ通い、町の生活を経験する。二人はお金を貯め、遠い場所へ行くことを誓い合う。

自分が自分であることを証明する身分証を持っていないタルロだが、自分が何者かは知っている。名を尋ねられれば「三つ編み」と答える。抜群の記憶力で羊の数も特徴も覚えており、『毛沢東語録』の一節を暗誦する。身体的特徴、羊飼いとして必要な情報、過去に学んだものの記憶。身分証はなくとも、これまで生きてきた時間に基づくアイデンティティを持っているのだ。
彼は女性との出会いにカルチャーショックを受ける。女性にも関わらず短い髪、女性の喫煙、カラオケ・バー、ヒップホップのライブ。チベットの伝統の中で生きてきたであろうタルロは、現代の文化に戸惑う。また、町の看板にはチベットの文字と漢字が併記され、派出所には「POLICE」というアルファベットまで記載されている。タルロもチベット語で会話をし、『毛沢東語録』は中国語で暗誦する。
すなわち、時間、言語、文化、多くの面でタルロと現代との間にはギャップが存在しており、彼はそれに対応していくことになる。羊飼いの恋歌をカラオケで唄い、女性のなすがままに三つ編みからスキンヘッドになってしまう。そして彼は自分を見失う。ファムファタルに惑わされる男という個人の中に、伝統と現代との軋轢、チベットと中国との摩擦という、大きな問題も見えてくる。

彼の不安定さには一つのテクノロジーが関わっている。カメラである。
本作はモノクロ、固定ショット、長回しで構成された作品である。冒頭の派出所では、固定ショットの左側にタルロ、右側に所長が配置され、二人は向かい合い、なごやかな雰囲気で会話をする。理髪店では鏡越しにタルロと女は見つめ合い、親密になる。ワンシーン=ワンショットの長時間にわたって交わされる視線が、人と人とを近づける。
しかし、人間とは別の視線=カメラの視線がタルロの存在を揺るがしていく。序盤、彼は写真撮影のために写真屋を訪れ、カメラの前に座る。映画のカメラと写真屋のカメラとが一致しているかのような正面からの固定ショット。所長や女性とは画面内で見つめ合っていたタルロであるが、ここでは画面内に孤立し、かつ見つめられる存在になる。写真屋に洗髪をすすめられたことで、理髪店の女性と出会い、前述の関係が始まる。羊飼いとして暮らすことの証拠とも言える砂埃や汗、彼のアイデンティティを示すものを洗い流すとき、ファムファタルと現代の文化が彼を襲う。
写真撮影の直前、バストショットのタルロに、画面外からの声が「帽子を取れ、髪を整えろ、カバンを下ろせ、上着を脱げ」と指示を与える。画面内のタルロはそれに従う。チベットの羊飼いタルロが、中国の国民へと矯正=強制される過程の長回しである。カメラにより魂を抜かれるという言い伝えが現実になったかのように、彼は写真撮影により自分を失い始めるのだ。すなわち撮影は一種の殺人であり、カメラは凶器、「殺人カメラ」とすら言える。
さらに、写真屋でタルロの先客の夫婦は、伝統衣装を着込み、写真のプリントされた幕を背景にして記念写真の撮影中である。その背景は、ラサ、北京の天安門、ニューヨークの摩天楼と変化していく。写真屋の「パッとしない」との意見のままに夫婦は伝統衣装から洋服に着替えるが、やはり「パッとしない」らしい。夫婦は、背景の変化により世界をたらい回しにされ、着替えを繰り返す。二人は、新婚の喜びに輝いているわけではなく、不安定な世界に投げ込まれたことに戸惑っているようである。また、ニューヨークの背景の右隅には2001年に崩壊したツインタワーが写っている。不安定な世界を象徴しているように。
ショット同士の対照にも不安定は現れている。「三つ編み」という名のタルロが坊主頭になったとき、皮肉にも三つ編みだった頃の写真付きIDが出来上がる。所長らは外見が違いすぎるとして、写真を撮りなおすようタルロに告げる。名前の由来である三つ編みを失い、自分を証明するはずのIDが自分を証明しない。このときタルロは自分が善人か悪人かもわからなくなり、自慢の記憶力すら薄らぎ始める。
ID受け取りのシーンは、冒頭の派出所のシーンの鏡像である。つまり冒頭シーンとは左右反転しており、右側にタルロ、左側に所長の配置で、二人は向かい合う。派出所を舞台にした二つのショットは、「殺人カメラ」に殺される前後の世界、相容れない異次元の世界を示しているのだ。固定ショットでは視界は揺れず、被写体を安定して納めることができるはず。だが、その安定から不安定が発生し、「私」は揺らいでいく。
もう一度問う。「私」とは誰か。本作で「私」という存在への不安を観た後、この疑問を無視できるだろうか。

私は誰?度:★★★★★
(text:高橋 雄太)

『タルロ』(Tharlo / 塔洛)

2015/中国 /123分

作品解説

『オールド・ドッグ』で第12回東京フィルメックスグランプリに輝いたペマツェテン監督の最新作。現代文明と伝統文化の相違に引き裂かれてゆくチベットの遊牧民をユーモアとほろ苦さを交えて描く。長回しの撮影と大胆な構図が強烈なインパクトを与える力作である。

スタッフ

監督:ペマツェテン(Pema Tseden)

第16回東京フィルメックス

2015年11月21日(土)〜29日(日)まで開催。「映画の未来へ」--いま世界が最も注目する作品をいち早く上映する国際映画祭。アジアの若手によるコンペ部門、最先端の注目作が並ぶ特別招待作品の上映。特集上映のひとつはフランスのピエール・エテックス作品。

公式ホームページ


2015年11月30日月曜日

第16回東京フィルメックス 特集上映《ツァイ・ミンリャン特集》上映前舞台挨拶 レポート text 井河澤 智子

2015年11月28日、有楽町スバル座。
第16回東京フィルメックス《ツァイ・ミンリャン特集上映》の幕が上がった。

オープニングを飾るのは、ツァイ・ミンリャン監督(以下、ツァイ監督)劇場映画デビュー作『青春神話』(1992)。
上映に先立ち、ツァイ監督と、彼の「分身」ともいうべき俳優リー・カンション氏(以下、リー氏)が舞台挨拶を行った。

写真左より、ツァイ・ミンリャン監督とリー・カンション氏

ツァイ監督:

皆さんこんにちは。
時間がたつのは本当に早いもので、わたしがこの映画を皆さんにお見せしたのは1992年か93年のことでした。
それから東京に来るご縁ができました。
……僕たち、見た目は(公開当時に比べて)そんなに歳を取ったとは思っていないんですけど……。


(会場からあたたかな笑いが)


リー氏:

 この作品は、僕とツァイ監督が初めて仕事をした作品です。
その時の東京国際映画祭で銅賞をいただくことが出来たのを覚えています。
(第6回東京国際映画祭ヤングシネマ1993コンペティション部門 東京ブロンズ賞受賞)
また今回ご縁があって、ツァイ監督の特集上映を開くことができて、とても嬉しく思っています。
皆さん、22年前の、若い頃の僕の姿をご覧頂けると思います。気に入ってくださるといいなと思います。


22年前の作品である、ということで、
「『青春神話』を初めて見るという人」という呼びかけに多数の挙手が。


ツァイ監督:

1992年には、まだ生まれていない人もいるかもしれませんね。
『郊遊 ピクニック』(2013)を撮ってから、ありがたいことに、僕の映画を観る若い人たちが増えてきました。
当時の客層を考えると、若い人が僕の作品を観て、キャッチアップしてくれることは、とても嬉しいことです。


さらにツァイ監督は、2003年製作の短編『歩道橋』が修復される計画を明かし、自分の作品が埋もれることなく、蘇った姿で観てもらえることはとても嬉しいことである、と語った。

この日の朝、有楽町朝日ホールにおいて、最新作『あの日の午後』が上映されたツァイ監督。ツァイ監督とリー氏が延々語り合う、淡々とした、しかし濃密な時間の流れる作品であった。
Q&Aでは、現在、リー氏の体調が思わしくない(1997年公開の『河』の撮影時期、リー氏は首の調子が極めて悪かったということであるが、その頃と同じくらい首の調子が悪い)ということが語られた。
そして、同日の午後上映された『青春神話』において、リー氏は鬱屈した、内に秘めた暴力性をもてあます少年そのものであった。私たちは、同じ日に同じ俳優の22年間を観たことになる。しかし、先ほど舞台に登壇していたリー氏の、貫禄と儚さを同時に纏うような独特の雰囲気は、当時も今もほとんど……それこそ監督が言ったように「変わっていない」ものであり、そしてこれからも変わることがないであろう、と感じさせられた。
近年、ツァイ監督も体調が思わしくないと伝えられていたが、今は肌ツヤも良く元気そのもの。リー氏の体調の早い回復を祈るとともに、お二人でこれからも素晴らしい作品を製作していただきたいと、心から願う次第である。

ツァイ・ミンリャン監督特集上映は11月28日~12月4日、有楽町スバル座で行われる。

(text、写真:井河澤 智子)

関連レビュー:

第16回東京フィルメックス

2015年11月21日(土)〜29日(日)まで開催。「映画の未来へ」--いま世界が最も注目する作品をいち早く上映する国際映画祭。アジアの若手によるコンペ部門、最先端の注目作が並ぶ特別招待作品の上映。特集上映のひとつはフランスのピエール・エテックス。

公式ホームページ

特集上映 ツァイ・ミンリャン

『郊遊 ピクニック』(2013)で、長編映画の製作からの突然の引退を宣言してファンを驚かせたツァイ・ミンリャン監督。
世界に衝撃を与えたデビュー作『青春神話』(1992)とキャリア初期の傑作に加え、日本での劇場未公開作品『ヴィザージュ』(2009)、および日本初上映の短編作品などを上映。
ツァイ・ミンリャン監督作品の魅力にどっぷりハマりましょう!
※チケット発売方法が他プログラムと異なりますのでご注意下さい。

「特集上映:ツァイ・ミンリャン」は開催日程、会場、チケット発売方法が他と異なります。
会期:11/28(土)〜12/4(金) 各日2回上映
会期:有楽町スバル座
チケット発売方法:前売券は劇場窓口での取り扱いのみ(有楽町スバル座、有楽町朝日ホール)
※ticket boardでの取り扱いはございません。(公式ホームページより)

詳しくは公式ホームページの《特集上映 ツァイ・ミンリャン》のページをご参照下さい。


2015年11月27日金曜日

ことばの映画館大賞《2015年10月》

「ことばの映画館大賞」とは、ことばの映画館メンバーが、その月に映画館、映画祭、上映イベント、試写で観た映画を、新作旧作問わず、洋画部門、邦画部門でそれぞれ投票し、作品賞、監督賞、主演・助演の女優賞・男優賞をそれぞれ決めるというものです。
これを毎月実施して、年間の大賞も決めたいと考えています。

ことばの映画館大賞(2015年10月)!どうぞ!


【洋画部門】


《作品賞》
バン・バン!

《監督賞》
パトリシオ・グスマン『光のノスタルジア』他

《主演女優賞》

カトリーナ・カイフ『バン・バン!』

《主演男優賞》
ロバート・デ・ニーロ『マイ・インターン』

《助演女優賞》

クリステン・スチュワート『アクトレス~女たちの舞台~』

《助演男優賞》
マチュー・アマルリック『シム氏の大変な私生活』


【邦画部門】


《作品賞》
バクマン。

《監督賞》
松居大悟『私たちのハァハァ』

《主演女優賞》
加賀まりこ 『月曜日のユカ』

《主演男優賞》
浅野忠信『岸辺の旅』

《助演女優賞》
岸本加世子『先生と迷い猫』

《助演男優賞》
染谷将太『バクマン。』


以上になります。
10月は、9月とは打って変わってかなりばらけるという結果になりました。

そして、クリステン・スチュワートは6月に続いて同作で2度目の受賞!
映画祭と劇場公開と、時間差でこのようなこともあるんですね。


投票していただける方も、ことばの映画館ライター以外からも募集します。
すでに、第1館、第2館をご購入いただいている方にお声かけさせていただいております。

徐々に諸々整えていきます!

ことばの映画館大賞《2015年9月》

「ことばの映画館大賞」とは、ことばの映画館メンバーが、その月に映画館、映画祭、上映イベント、試写で観た映画を、新作旧作問わず、洋画部門、邦画部門でそれぞれ投票し、作品賞、監督賞、主演・助演の女優賞・男優賞をそれぞれ決めるというものです。
これを毎月実施して、年間の大賞も決めたいと考えています。

ことばの映画館大賞(2015年9月)!どうぞ!


【洋画部門】


《作品賞》
ナイトクローラー

《監督賞》
サタジット・レイ『チャルラータ』

《主演女優賞》
マドビ・ムカージー『チャルラータ』

《主演男優賞》
ジェイク・ジレンホール『ナイトクローラー』

《助演女優賞》
レネ・ルッソ『ナイトクローラー』

《助演男優賞》
ショイレン・ムカージー『チャルラータ』


【邦画部門】


《作品賞》
101回目のベッド・イン

《監督賞》
安川有果『Dressing Up』

《主演女優賞》
祷キララ『Dressing Up』

《主演男優賞》
亀岡孝洋『なめくじ劇場 THE MOVIE 2015「君の瞳に恋してる」』

《助演女優賞》
中尊寺まい『101回目のベッド・イン』

《助演男優賞》
イッキ『なめくじ劇場 THE MOVIE 2015「君の瞳に恋してる」』


以上になります。
9月は、洋画2作品、邦画3作品に固まるという結果になりました。
これはかなり興味深い結果です。

投票していただける方も、ことばの映画館ライター以外からも募集します。
すでに、第1館、第2館をご購入いただいている方にお声かけさせていただいております。

今後にご期待ください!

ことばの映画館大賞《2015年8月》

6月分からスタートした「ことばの映画館大賞」。
休止していたかのように見えて、水面下で動いていました!

「ことばの映画館大賞」とは、ことばの映画館メンバーが、その月に映画館、映画祭、上映イベント、試写で観た映画を、新作旧作問わず、洋画部門、邦画部門でそれぞれ投票し、作品賞、監督賞、主演・助演の女優賞・男優賞をそれぞれ決めるというものです。
これを毎月実施して、年間の大賞も決めたいと考えています。

たまっている8月~10月分を続けて発表します!

まずは、ことばの映画館大賞(2015年8月)から!


【洋画部門】


《作品賞》
細い目

《監督賞》
オーソン・ウェルズ『上海から来た女』

《主演女優賞》
シャリファ・アマニ『細い目』

《主演男優賞》
オーソン・ウェルズ『上海から来た女』

《助演女優賞》
ローラ・ダーン『わたしに会うまでの1600キロ』

《助演男優賞》
モーリッツ・ブライブトロイ『ルナ・パパ』




【邦画部門】


《作品賞》
この国の空

《監督賞》

小根山悠里香『マイカット』

《主演女優賞》
二階堂ふみ『この国の空』

《主演男優賞》
福田洋『劇場版 復讐のドミノマスク』

《助演女優賞》
富田靖子『この国の空』

《助演男優賞》

キム・ジュンヒ『あおひげ』




以上になります。
8月は、洋画は特集上映での旧作が強く、邦画はイベントでの上映作品が強かったですね。

投票していただける方も、ことばの映画館ライター以外からも募集します。
すでに、第1館、第2館をご購入いただいている方にお声かけさせていただいております。

今後にご期待ください!

第16回東京フィルメックス特別招待作品≫映画『タクシー』text 高橋 雄太

「これは映画である」


これは映画である。
ジャファル・パナヒはそう宣言する。
『オフサイド・ガールズ』などが反体制的であるとして、イラン当局から映画制作を禁じられた映画監督ジャファル・パナヒは、iPhoneを使い、自宅を舞台にした映画『これは映画ではない』(原題:This is not a film)を撮った。新作『タクシー』においては、カメラをダッシュボードに設置することで映画を作る。運転手を演じるのはパナヒ自身だ。様々な人との会話を通して、イランの今、映画の本当と嘘、そしてパナヒの反骨精神が描かれる。

最初に乗り込む男性と女性の罪と罰に関する会話。男性は罪人は死刑にすべきだと主張し、女性はそれに反対する。女性が教師だと聞いて「やっぱりな」と冷笑する男性は、自分は強盗だと言い残して車を降りる。暴力を志向する男性・マチスモと、知性と寛容を志向する女性・リベラルとの対決である。

女性同士の対照も面白い。金魚鉢を抱えた二人の老婦人は、イスラムの戒律に従った黒いローブを頭からかぶっている。また、正午までに金魚を泉に放さなければ自分たちは死ぬという迷信を信じている。一方、パナヒの協力者らしき弁護士は、ベールをかぶっているものの、洋服を着て、美しい化粧をし、近代的な都会人といった風情である。また真っ赤なバラの花束を持っている。伝統的な服装と迷信、おまじないのための赤い金魚。都会的な外見と知性、美を示す赤い花束。
こうした対照的な人々は、伝統と現在が混在するイラン、政教分離の進んだ現代に存在する宗教的国家「イラン・イスラム共和国」の二面性を示しているようだ。

この現代イランに生き、体制の敵とされたのが本作の監督・主演ジャファル・パナヒである。パナヒは映画と現実との関係を使いながら、体制にカウンターを試みている。
パナヒと同じくイラン出身のアッバス・キアロスタミの『10話』も車内の会話で構成された映画であった。『10話』では、カメラは被写体に意識されることはない。乗員はカメラを触ることなく、カメラ目線になることもなく、ひたすら会話を続ける。カメラはまるで覗きをしているかのように会話を記録する。
これに対し『タクシー』は、カメラの存在も演出も暴露してしまう。ファーストシーンでカメラは車の前方を撮影している。その直後、乗客の男性が「これは何だ?」と言いながらカメラを回転させ、助手席の自分の方に向ける。一方的に被写体を観察できるというカメラの特権的な立場が、最初の搭乗者によりいきなり侵されてしまうのだ。回転後のカメラは、助手席の男性と後部座席の女性の二名を同じ画面に収める。偶然にしては出来過ぎ、いやおそらく意図された見事なカメラアングルだ。
さらに、DVDの業者は運転手がパナヒであることをあっさり見破り、乗り合わせた乗客も映画の出演者であろうと指摘する。姪のハナまでも、パナヒの幼馴染だというスーツ姿の男を見て、彼とパナヒとの関係の嘘を看破する。
嘘をついておきながら、本当のことをあっさりとバラし、カメラの存在も観客に意識させる。この仕掛けで示されるのは「これは嘘である」=「これは映画である」ことだ。

ハナが映画制作の授業で学校から課されたルールに、俗悪なリアリズムの禁止がある。リアル=現実ではなく、リアリズム=現実らしさ。本作は、現実を装うフィクション、まさにリアリズムの映画だ。しかもフィクションであることを暴露することで、リアリズム=現実らしさが恣意的であること、すなわち映像の本質的な欺瞞を示している。
一方、本作の登場人物は、映像が真実を記録するものであると無邪気に信じている(そのような演技をする)。交通事故に遭ったらしい男性は血を流しながら遺言を語り、パナヒのスマホに動画として記録を残してもらう。ハナはCanonのカメラを使い、少年が落ちていたお金を自分のものにする場面を記録してしまう。観客には嘘だとわかっている映像を、出演者たちは現実だと思い込む。その滑稽さに笑ってしまうが、映像を信じる彼らは映画を見る我々の姿でもあるだろう。
映画に揺さぶりをかける本作は、さらに体制に反撃する。唐突な暴力によって再びカメラが侵され、映画は終わる。パナヒに対する映画制作の禁止と同じく、暴力により映画は終了するのだ。ただし、本作においてはこの事件もフィクションであろう。禁じられたはずの映画を使い、映画制作の禁止という俗悪な「リアル」を、暴力という俗悪な「リアリズム」として描く。

不屈の精神とユーモアを持ってパナヒは宣言する。これは映画である。

パナヒのタクシーに乗りたい度:★★★★★
(text:高橋雄太)

『タクシー』

2015/イラン/82分

作品解説

公式には映画製作活動をいまだに禁止されているジャファル・パナヒの最新作。テヘランの街を走るタクシー運転手に扮したパナヒと乗客たちの会話から、現在のテヘランに生きる人々の様々な姿が照射される。今年のベルリン映画祭で金熊賞を受賞した。

出演

タクシー運転手:ジャファル・パナヒ

スタッフ

監督・脚本・製作:ジャファル・パナヒ

第16回東京フィルメックス

2015年11月21日(土)〜29日(日)まで開催。「映画の未来へ」--いま世界が最も注目する作品をいち早く上映する国際映画祭。アジアの若手によるコンペ部門、最先端の注目作が並ぶ特別招待作品の上映。特集上映のひとつはフランスのピエール・エテックス作品。

公式ホームページ

http://filmex.net/2015/


2015年11月26日木曜日

第16回東京フィルメックス《オープニング作品》映画『ひそひそ星』text長谷部 友子

鈴木洋子には理解できない。
テレポーションが可能なこの時代、どうして何年もの時間をかけて箱に入ったものを届けようとするのかを。それを送るのは人間で、受け取るもの人間だということを。

ロボットが8割、人類が2割になった未来の宇宙では、人類は滅びゆく絶滅種に認定されている。鈴木洋子は様々な星を巡って人間たちに荷物を届ける宇宙宅配便の配達アンドロイドだ。10年近くも一人宇宙船に乗り配達を続ける彼女はレトロ趣味らしく、狭い宇宙船には、閉まりの悪い蛇口とか、ほうきとか、はたきとか、近未来にしては不自然なものたちが鎮座する。そして彼女はよく緑茶をすすり、くしゃみをする。
繰り返される何もない宇宙船での日常。星々で人間に荷物を届け続けた鈴木洋子は、ついに「人間しか住んでいない惑星」に降り立とうとする。

大学生がつくった映画のようだと思った。
それはやたらと昭和的なものたちを配置して宇宙船と言い張るインディペンデント的な映画の作成手法のみが理由ではない。アンドロイドが人間の心を知りたい。ある意味使い古された題材でありながらも、そこに奇妙な無邪気さと純粋さを感じたからだ。
その感覚はある意味正しかった。上映後の園子温監督の質疑応答によれば、この作品は監督が25年前に書いた脚本と絵コンテをもとにつくられ、監督の言葉によれば、「20代の自分、それはもう彼と言ってもいいくらいの存在の彼に、君はそう考えるんだねとリスペクトして作成」している。25年前の構想を現在の視座から構築しなおしてというよりは、そのときの自分の発想に忠実につくられた作品となっている。
25年前に想定していたものと大きな違いは撮影場所で、人間がしでかしてしまった愚かな場所には当時「夢の島とかそういった場所」を想定していたが、それは「福島」にかわっていた。この作品の多くの場面は東日本大震災の傷跡が残る福島で撮影されている。

あなたが私であったなら。
今この瞬間、私があなたと完全に同一であったなら、私の不安は消え去るだろうし、あなたをこれほど求め、焦がれることもないのだろう。
触れられない距離に焦がれ、あなたとの差異を生む時間に疑心暗鬼になる。それはいつだって私たちを苦しめる。けれど埋まることのない時間と距離はまちがいなく私たちの人生を彩るのであろう。

誰かの不在を想い、距離のあるその人は、いまどうしているかと思いを馳せる。昔の記憶を呼び起こし、ときには写真を眺め、思い出の品を見つめながら。
「モノ」や「カタチ」に意味はないという人もいる。大切なものは記憶であり思い出で、大事なものは「カタチ」がないのだと。
けれど私たちは輪郭に触れ、何かを想起する。原始的なその感情をこの作品は優しく肯定してくれる。

公開が待ち遠しい度:★★★★☆

text:長谷部友子





『ひそひそ星』
2015年/日本/100分

作品解説
園子温監督が2014年に設立したシオンプロダクションの第1作として、自主制作で完成させたモノクロSFドラマ。園監督が1990年に執筆した脚本を、妻である女優・神楽坂恵を主演に迎えて映画化した。

出演
神楽坂恵、遠藤賢司、池田優斗、森康子

スタッフ
監督・脚本:園子温
プロデューサー:鈴木剛、園いづみ
配給:日活

劇場情報
2016年5月、新宿シネマカリテにて公開決定!

第16回東京フィルメックス
2015年11月21日(土)〜29日(日)まで開催。「映画の未来へ」--いま世界が最も注目する作品をいち早く上映する国際映画祭。アジアの若手によるコンペ部門、最先端の注目作が並ぶ特別招待作品の上映。特集上映のひとつはフランスのピエール・エテックス作品。

公式ホームページ
http://filmex.net/2015/



2015年11月21日土曜日

秋の映画祭シーズンを勤め人として過ごすという記録 text井河澤 智子

個人的な話で恐縮である。
普段会社勤めではないわが身ではあるが、俄かに二ヶ月間だけ勤め人と相成った。期間は10月上旬~12月上旬。そう、東京国際映画祭などの大規模映画イベント目白押しの時期である。
勤労は尊く、収入もまた尊い。しかし、この秋の(文字通り)例大祭を満喫しないという選択肢は私には無かった。
こうなったらこの二カ月、自分の趣味と、普通の勤め人の義務を両立させてみようと、誰に仕掛けられたわけでもない闘いを己に課すこととしたのである。
まずは東京国際映画祭。チケット販売初日に、「時間的に間に合うであろう」映画を片端から購入。その数、11本。後に追加で買って、計12本。
(片端からとは少々盛った。「コンペティション」「ワールド・フォーカス」の中から選択したことをここに白状する。)
はたして、8時半出勤・17時退勤という生活をきちんと週5で行いながら、わたしはこのチケットをすべて消化することが出来るのであろうか?

結論から言えば、私は己との闘い第1ラウンドに完勝した。
10月中旬の某所特集上映や、第1の山場10月下旬の東京国際映画祭をこえて、続く11月2日まで、ロードショーやら回顧上映やら旧作デジタルリマスター上映やらも含め、勤めがはじまってから3週間で19本を観たことになる。
我ながら頑張った。そして、疲弊した。映画の観すぎで発熱するということはあるのだろうか。11月3日文化の日、祝日。私は寝込んだ。

コンペティション部門については既に「ことばの映画館」ライター常川氏による短評が出ていることでもあるし、私も特に取材のつもりで行ったわけではないのでQ&Aなどについてはひとつひとつ記録など取っていないため、私の短評は差し控える。
そこで、「ワールド・フォーカス」部門から、ドイツ映画『ヴィクトリア』について少々書いてみようと思っているのだが、ここまで個人的な話の羅列をしておいて唐突に作品評を挟み込むのも違和感があるため、別項として頁を割きたい。
映画祭はまだまだ続く。特集上映、中小規模映画祭も含めると、わが手帳が墨で真っ黒になり、己が記した文字が読めなくなった。
それらのスケジュールは決して平日日中勤務の会社員に優しいものではない。チラシを観てどれだけ憤ったことであろうか。
しかし憤ったとて詮無いこと。私はただ、この時期、己の空いた時間を、「映画との一期一会」に捧げる所存である。
そしてもうじき、もう一つの秋の例大祭が始まる。
東京フィルメックス。
ああ、素晴らしい映画との一期一会の時期が来る。

わたしの闘いはまだまだ続きそうである。
そして、映画の季節が一段落するとともに、私の会社員生活もひとまず終わる。

映画を観るために小銭を稼ぐ算段をする生活が、また始まる。


(なおその後筆者は一気に忙しくなり、予定していた原稿はなかなか書くことができませんでした。筆者はよれよれになりながら
「仕事しながら映画観るということは、そして書くということは、やはりとても難しいと感じました。近いうち、きっと『ヴィクトリア』の原稿を書きたいと思っておりますので、どうぞお見限りなくお願いいたします」
と申しております。皆様、どうか気長にお待ちください)


(text:井河澤 智子)


関連レビュー:
第28回東京国際映画祭《コンペティション部門》 短評 text :常川 拓也

第16回東京フィルメックス 特集記事vol.4《ラインナップ記者会見取材》(特集上映作品編) text: 井河澤 智子


第28回 東京国際映画祭


28回を迎える東京国際映画祭(以下TIFF)は、1985年からスタートした国際映画製作者連盟公認のアジア最大の長編国際映画祭。若手映画監督を支援・育成するための「コンペティション」では国際的な審査委員によってグランプリが選出され、世界各国から毎年多数の作品が応募があり、入賞した後に国際的に活躍するクリエイターたちが続々現れている。アジア映画の新しい潮流を紹介する「アジアの未来」、日本映画の魅力を特集する「日本映画クラシックス」、日本映画の海外プロモーションを目的とした「Japan Now」、「日本映画スプラッシュ」などを始めとする多様な部門があり、才能溢れる新人監督から熟練の監督まで、世界中から厳選されたハイクオリティーな作品が集結する。
国内外の映画人、映画ファンが集まって交流の場となると共に、新たな才能と優れた映画に出会う映画ファン必見の映画祭である。

公式ホームページ
2015年10月22日(木)〜10月31日(土)  ※会期終了

第16回東京フィルメックス

2015年11月21日(土)〜29日(日)まで開催。「映画の未来へ」--いま世界が最も注目する作品をいち早く上映する国際映画祭。アジアの若手によるコンペ部門、最先端の注目作が並ぶ特別招待作品の上映。特集上映のひとつはフランスのピエール・エテックス。

公式ホームページ



2015年11月20日金曜日

【おしらせ】第二十一回文学フリマ東京(11/23)に参加します!

【おしらせ】


ついに「ことばの映画館 第3館」が完成いたしました!
参加者が総勢27名となって、第1館、第2館よりさらにボリュームアップ&パワーアップしております。

今回のメインテーマは「初恋」。
初恋がテーマになっている映画作品についての評論、または個人の初恋に絡めたエッセイ、初めて好きになった俳優をテーマにした作品など、書き手によって「初恋」の切り口は様々です。
ご自身の初恋を思い出しながら読んでいただければ幸いです。


また、今回はメインテーマ以外にも特別企画を開催しております。
ひとつは「ことばの映画館」のホープである常川氏企画、題して

平成悪趣味映画放談 【第1回】グザヴィエ・ドランについて

です!
今、映画界で最も注目を集めている若手監督グザヴィエ・ドラン。
世界中で〝天才〟ともてはやされている彼は、果たして本当に天才なのか?
ドランに対して一過言ある若手ライターが対談形式でとことん語り尽くします!

そしてもうひとつは謎多きスナックの女主人、ミ・ナミさん企画。その名も

ミナミの小部屋  【第1回】ビデオテープの追憶

です!!
こちらはまた打って変わって、ミ・ナミさんが映画にまつわる思い出話を語ります。
今回は昔懐かしいビデオテープにまつわるよしなごと。
酒のお供にいかがでしょうか?

それ以外でも第3館では特別寄稿として映画批評家の萩野亮さんにご参加いただきました(ありがとうございます!)。
他では読めない「初恋」にまつわるエッセイです。
ぜひこの機会に手にとってご覧下さいませ。


そんな「ことばの映画館」第3館は第二十一回文学フリマで発売予定です!
文学フリマは11月23日(祝)東京流通センター 第二展示場にて開催予定となっております。

なお、当日会場にお越し頂けない方は、文学フリマ終了後に下記の映画館、書店にて取り扱いが予定されております。
お近くにお越しの際には手にとってご覧いただけるとうれしいです。

「ことばの映画館」取り扱い場所

よろしくおねがいします!

2015年11月18日水曜日

第28回東京国際映画祭《コンペティション部門》 最優秀監督賞 受賞『カランダールの雪』 text大久保 渉

「降りしきる雪と男の涙」


暗闇。光。
微かに見える光の先には、
微かに見える未来へ向けた、
すがるような顔をした男の瞳が、
うすぼんやりと映しだされていた。

©2015 TIFF

狭く薄暗い岩壁の間で一心に杭を打ちふるう男のシーンから始まる今作『カランダールの雪』は、トルコでドキュメンタリーを手掛けてきたムスタファ・カラ監督による2本目のフィクション長編作品である。荒涼とした険しい山間を舞台に、雷雨、豪雪、厳しくも壮大な自然環境を画面いっぱいに撮影したダイナミックな映像と、その地で電気も水道もない暮らしを続ける家族のつましい生活を描き出したこの物語は、東京国際映画祭2015コンペティション部門で最優秀監督賞を受賞。10月28日上映後のQ&Aで監督自らが作品について「努力すれば必ず報われるということを描きたかった」と語っていた通りに、見事栄えある栄冠を掴みとる結果となった。

山にしか居場所がない、街で人並みの生活や仕事をすることがどうしてもできない主人公。一獲千金を目論んで、一人黙々と岩山に眠る鉱脈を探し当てんと彷徨い歩いていた彼が、その胸の内に溜まっていたやるせなさを妻に吐露した中盤のシーンがとても印象に残った。窓から、玄関から、暗い室内に差し込んでくる外の光。嗚咽を漏らし、悔しそうにぼろぼろと涙を流し続ける男の皺が刻まれた顔。カメラは思うままにならない大自然の動きを捉えるのと同じように、じっくりと、ゆっくりと、感情を溢れさす男のすがたを画面いっぱいに捉えていく。鳴り響く雷鳴のような耳をつんざく迫力こそないシーンではあったものの、しかしそれ以上に、観る者の心を揺り動かす、人間の感情の爆発が、そこからは感じられた。

己の存在を証明したい。不器用で、口下手で、貧しく、街の人たちからは嘲笑されたりもしている男ではあるけれども、それでも何事かを成し遂げたい、自分の居場所を見い出したい、そんな男のすがたを、私は決して軽い眼差しで見つめることなどできなかった。

まるでドキュメンタリー映画であるかのような、人と自然のありのままのすがたを写しとった映像の数々。雪が降り止まないのと同じように、人間の心だって思うようにはままならないものなのかもしれない。欲もあり、恥もあり、侘しさもあり、それら感情が沸き起こっては、もどかしい思いが繰り返されていく。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来るのと、同じように。

監督がインタビューで答えていた通り、今作は山で暮らす人間、街で暮らす人間、そういった括りではなくて、人間の「普遍的」なすがたを描き出した作品なのだということを、私は強く感じた。当初は季節ごとに2~3週間かかると想定されていた撮影が、それぞれ1カ月以上かかり、全体で5~6カ月もかかったという映画作りにおける忍耐強さも、その成功への想いも、すべては微かな希望を求めて日々を生きる劇中の主人公とつながっているようでいて、あるいは自分自身の生活の中にある苦しさと淡い希望にもつながっているようでいて、深く感じ入ってしまった。そして、エンディング、絶望の淵から微かな希望を手に入れた男のすがたを見るにつけて、虚構と現実が重なり合うところに生じた温かさを、人間へ向けた監督の優しい眼差しを、感じたのであった。

劇的な音楽もなく、人物の激しい動きもなく、ただただ見つめ続けるしかない映画ではあったけれども、それでも見つめ続けずにはいられない、人間と自然のしたたかな力とつつましやかな美しさが感じられる、奇跡のような映画であった。

最後に、男を支えた妻と母、そして可愛らしい子供たち、彼らあっての映画であったということも、付け加えておきたい。自己中心的な男の願望だけではなくて、そこには家族のお互いがお互いを支え合うすがたも映しだされていたというところが、この映画にどこか落ち着きと、健やかさをもたらしていたように感じられた。

まだまだ語り足りない度(とくに牛のお話):★★★★★
(text:大久保渉)

video
©2015 TIFF

『カランダールの雪』

原題:Cold of Kalandar(Kalandar Soğuğu)
2015年/トルコ・ハンガリー/139分/トルコ語/カラー

作品解説

険しい山の上で、わずかな家畜と共に電気も水道もない暮らしを送る家族。一獲千金を夢見る父は、山に眠る鉱脈を探している。しかし、家族の目には無駄な努力にしか映らない。やがて、村で開かれる闘牛に希望を託し、なんと家畜の牛の特訓をはじめてしまう…。荒涼たる大自然の中で生きる一家の姿が大きなスケールの映像で綴られる。厳しい生活の描写の中にも温かさが交わり、ドキュメンタリー出身監督による奇跡的な1作。

出演

ハイダル・シシマン、ヌライ・イェシルアラズ、ハニフェ・カラ

スタッフ

監督・脚本・編集:ムスタファ・カラ
プロデューサー:ネルミン・アイテキン
共同プロデューサー:イヴァン・アンゲルス
脚本:ビラル・セルト

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第28回 東京国際映画祭

28回を迎える東京国際映画祭(以下TIFF)は、1985年からスタートした国際映画製作者連盟公認のアジア最大の長編国際映画祭。アジア映画の最大の拠点である東京で行われ、スタート時は隔年開催だったが1991年より毎年秋に開催される。(1994年のみ、平安遷都1200周年を記念して京都市での開催)

若手映画監督を支援・育成するための「コンペティション」では国際的な審査委員によってグランプリが選出され、世界各国から毎年多数の作品が応募があり、入賞した後に国際的に活躍するクリエイターたちが続々現れている。アジア映画の新しい潮流を紹介する「アジアの未来」、日本映画の魅力を特集する「日本映画クラシックス」、日本映画の海外プロモーションを目的とした「Japan Now」、「日本映画スプラッシュ」などを始めとする多様な部門があり、才能溢れる新人監督から熟練の監督まで、世界中から厳選されたハイクオリティーな作品が集結する。

国内外の映画人、映画ファンが集まって交流の場となると共に、新たな才能と優れた映画に出会う映画ファン必見の映画祭である。

開催情報

2015年10月22日(木)〜31日(土)

上映スケジュール

http://2015.tiff-jp.net/ja/schedule/

会場案内

http://2015.tiff-jp.net/ja/access/

公式ホームページ

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2015年11月17日火曜日

第28回東京国際映画祭 ~『FOUJITA』記者会見~ text 藤野 みさき

【東京国際映画祭 ~『FOUJITA』記者会見~】


(写真左から 小栗康平監督、オダギリジョーさん、中谷美紀さん、クローディー・オサールさん)

 今月11月14日(土)に劇場公開を控える『FOUJITA』。パリが愛した日本人画家・藤田嗣治の半生を描いた本作は、『埋もれ木』以来、実に10年振りの小栗康平監督の最新作である。主演の藤田を務めるのは、俳優のオダギリジョー。藤田に連れ添う最後の伴侶・君代を、女優の中谷美紀が演じる。

 今年の東京国際映画祭のコンペティション部門に選出された本作。ワールド・プレミアの迫った、2015年10月26日(月)六本木アカデミーヒルズにて記者会見が行われ、監督の小栗康平をはじめ、オダギリジョー、中谷美紀、そしてフランスからは『アメリ』等のプロデューサーを務めたクローディー・オサールが登壇し、それぞれが作品に対する思いを語った。

 (小栗康平監督)

 「実在した人物ではありますが、伝記的な映画としては作っておりません。1920年代のパリと、40年代の戦時の日本を、文化の違いと歴史の違いを浮かび上がらせるつくりになっています」と、小栗康平監督は『FOUJITA』で描かれている世界をこのように説明する。

 (会見中も笑顔をみせるオダギリジョーさん)

 続いて、主演のオダギリジョーは「小栗監督が10年ぶりに映画を作られるということで、声を掛けて頂いたことを本当に光栄に思いました」と、喜びをあらわにした。しかし画家の藤田嗣治については「正直、藤田という画家についてはあまり知りませんでしたし、それほど……いまだに興味がある訳ではない」と発言し、「ただただ小栗監督の作品に関わりたいと思ったことが正直なところです」と、場の雰囲気を和ませていた。完成した作品については「本当に久しぶりに良い映画を観たな。と思いましたし、監督のおかげですごく良い俳優としてそこに存在することができて嬉しく思います」と、感謝の気持ちを述べていた。

 (中谷美紀さん)

 藤田の妻・君代を演じた中谷美紀は「オダギリジョーさんは、まるで藤田の生き写しのように、この映画の主軸として存在してくださっています。私は五番目の妻でありましたが、ただただ現場にいさせて頂けるだけで幸せでした」と丁寧に挨拶をしたのち、フランスの現場についても「スタッフの皆様が小栗、小栗と監督を慕っていらっしゃいましたし、オダギリジョーの仏語が素晴らしいと、周囲が賞賛していることが、同じ日本人として誇りに思いました」と言葉を続けた。

 (写真左から 小栗康平監督、オダギリジョーさん、中谷美紀さん)

 会場からの質疑応答の前に、この作品を監督する一番の動機について聞かれた小栗康平監督。この質問について監督は「私は1945年に生まれて、今年で70歳になります。35歳で世の中に出てから、約半分掛かって藤田に『辿り着いた』という印象でしょうか。藤田は矛盾の多い人生を過ごした人だと思っています。戦争の多い二十世紀を生きたゆえに多くのことを抱えてしまった人物を、戦後70年という機に撮ることができた。その喜び、でしょうか」と回答する。

 又、劇中で見事な仏語を披露した、オダギリジョー。その仏語の習得方法については「ほとんど丸暗記をしました。そしてそこからどう感情をもった自然な仏語に仕上げていくのかという過程を踏みました。ですから、文法も習っていませんし、単語すら分かっていないかもしれません」と語った。

 画家としての藤田嗣治について、フランスではどのくらいの知名度があるのかということを聞かれたクローディー・オサールは「藤田は本当にフランスでは有名で、人々に愛されている画家です。しかし映画の後半で描かれていた、日本に戻ってからどのような作品を描いていたのか、ということについては知られていませんでしたので、私自身も、彼の後半の人生を知ることができて大変嬉しかったです」と語った。

 中でも、劇中、藤田に向かって「布に例えるなら、私はどんな女かしら?」という台詞が印象的であった妻・君代。彼女を演じるにあたり、どのような女性を想像して演じたのか? という質問を受けた中谷美紀は「晩年の教会の壁画には藤田と共に君代の姿も描かれていたものの、なかなか資料がなかったものですから、小栗監督の書かれた脚本をすくいとるようにして演じました。藤田は希代の天才ですので、その御方の傍にいて、自分は何もできないけれども、せめてこの画家の美意識にそぐう人間でありたいと務めている姿。しかし、そう願いながらも、藤田の自由さに踏み込めない壁をも感じました」と、喜びを表現しながらも、同時に役作りについての難しさを振り返る。

(オダギリジョーさん)

 同じく役作りについて訊かれた、オダギリジョー。その役作りに関しては小栗康平監督を信頼するがゆえの「ほぼ丸投げ」であったという。その発言について、小栗康平監督はこう付け加える。「私は芝居についてこうしてください、と指示をしたことはないのです。それよりも考え方を話し合うことを大切にしてきました。さきほどのオダギリ君の『丸投げ』という発言は決してマイナスではありません。寧ろ俳優さんが監督に身を預ける、というのは、実はとても勇気のいることなのです。俺が俺が、と芝居をすることほど簡単なことはありません」

 「実は僕もオダギリ君と一緒に仏語を学んだのですが、僕が大学生の時の第一外国語は仏語を専攻していました。でも10までしか数えられなかったんです(笑)いつまで経っても覚えられない。ところがオダギリ君の場合は「音」としてことばを捉えることができる。分析をせず、丸ごと自分の中に取込める人なのです。それはオダギリ君の全ての芝居に言えることだと思うのですが、フジタをこれこれこういう人物で……と分析をして演じるのではなく、彼の佇まいを感覚的に捉えて演じることのできる役者なのです。このようなことができる役者はとても少ないのです。オダギリ君は自分の身体の全体から芝居を打ち込む、という、とても難しいことをやっている一人の俳優だと僕は思っています」と、改めて、オダギリジョーという役者を非常に高く評価した。

 戦前のパリ、戦中の日本。激動の時代を生きた藤田嗣治の半生を、見事な映像美で描いた映画『FOUJITA』。東京国際映画祭、開幕時のレッド・カーペットにて、小栗康平監督が言ったことばを、私は今でもとてもよく覚えている。彼は本当に嬉しそうに、柔らかな笑みを浮かべて、このように述べていた。

 「オダギリ君は、ほんと、よくやってくれました。ほんとうに、いい映画ができたね」

(小栗康平監督)

小栗監督、ありがとう!度:★★★★★
(text: 藤野 みさき)

関連記事:第28回東京国際映画祭 〜『FOUJITA』小栗康平監督 Q&A 〜 【小栗康平監督の語る『FOUJITA』制作の背景、映画への思い】text:岡村 亜紀子



『FOUJITA』

2015/日本、フランス/126分

作品解説

パリが愛した日本人、レオナール・フジタ。フランスと日本、そして戦争という時代に生き、画家を全うしたフジタ。 その知られざる世界を、『埋もれ木』以来10年振りとなる小栗康平監督が静謐な映像美で描いた。

出演

藤田嗣治:オダギリジョー
君代:中谷美紀
ユキ:アナ・ジラルド
キキ:アンジェル・ユモー
フェルナンド:マリー・クレメール
寛治郎:加瀬亮
おばあ:りりィ
清六:岸部一徳

スタッフ

監督・脚本・製作:小栗康平
製作:井上和子、クローディー・オサール
音楽:佐藤聰明
撮影:町田博
照明:津嘉山誠
録音: 矢野正人
美術:小川富美夫
美術:カルロス・コンティ

公式ホームページ

映画『FOUJITA』公式サイト

劇場情報

角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー

第28回東京国際映画祭 〜『FOUJITA』小栗康平監督 Q&A 〜 text 岡村 亜紀子

小栗康平監督の語る『FOUJITA』制作の背景、映画への思い


さる10月26日、オダギリジョーを主演に迎え画家・藤田嗣治の半生を描いた、小栗康平監督の映画『FOUJITA』が、第28回東京国際映画祭コンペティション部門でワールドプレミア上映されました。観賞後の余韻に包まれていたTOHOシネマズ六本木ヒルズ場内で行われた、小栗康平監督のQ&Aの様子をお伝えします。司会を勤めたのは、東京国際映画祭で作品選定ティレクターを勤める矢田部吉彦氏。


(C)TIFF 2015

Q. 言葉を失ってしまいますが、この崇高な作品を本当にありがとうございます。みなさんも落ち着かれる時間が必要かと思いますので、私から質問をさせて頂きたいと思います。監督は先ほど冒頭で(上映前の舞台挨拶)、数年間この『FOUJITA』の企画を手掛けられたとおっしゃいましたが、この2つの、戦前のパリ時代と戦中の時代(*1)を描く2部構成にするということは、最初から計画なさっていたのか、あるいはフジタの人生をどう描こうかと思われていくなかで、このような形にされていったのか、そこの経緯を教えて頂けますか?

A. ご存知のようにフジタは、実に沢山のエピソードを残した矛盾の多い生き方をした人ですね。それをなぞるようにして映画を作りたくないとまず思いました。絵を見て歩いたんですね。日本のあちこちのフジタの絵、それからフランスに行って。あらためてフジタの残した絵の静けさっていうんですかね、それに惹かれて、騒がしいエピソードではなくて絵の持つ静けさから映画が始まればいいんだ、っていうのが僕なりの手応えの始まりでした。

Q. 戦時中というのは必ずしも静かな時代ではなかったと、我々は想像してしまうのですけれども、監督は「アッツ島玉砕」(*2)の絵の中にも、ある種の静けさを感じられたという理解でもよろしいでしょうか?

A. そうです。20年代のパリと、戦時の日本……戦争中ではありますけれど空襲の場面も出征兵士を送る場面もありません。どこで戦争が行われているのだろうかと思われる程の静かな農村なんですね。ただそこで生きる人たちというのは、20年代のパリで生きているヨーロッパ人の在り方と、明治以降ほんとにこう近代国家の様相を、臣民……国民とも言えずにですね、天皇制のもとで臣民という様な、近代国家の形を取らざるをえなかった日本社会で戦争が進んでいった。色んなことをせずにこの2つの時代をしっかりと並置すれば、2つの時代、異なる文化を、歴史をまたいだフジタが、何を手にしたのか、何を引き裂かれたのか。それはおのずとあらわれる、というような考えだったでしょうか。

Q. ありがとうございます。オダギリジョーさんのキャスティングは最初から意識されていたのでしょうか?

A. 最初からです。先ほどの舞台挨拶でも皆さま感じられたと思いますけれども、猫と犬がいると彼は猫タイプですね。こうナヨーとしてですね。そのナヨーっとした感覚がなんともいいんですね。フジタにもそういう身体性があって。……伝記映画のように劇の折り目をつけて演じていく映画であればオダギリくんではなかったかもしれませんけれども、オダギリくんのそういう身体の感覚とフジタの絵がもっているものに、触っているような近い感じが重なり合うかなという感じでした。



FOUJITA
(c)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション

Q. おかっぱと丸眼鏡であれほどそっくりになってしまうというのは、最初から狙っていたのではなくて、オダギリさんをキャスティングされてからオダギリさんの顔も作っていくという感じだったのでしょうか?

A. そうですね。まぁ、そこそこカツラと眼鏡と指輪つければ、外見は似るもんだと思いますけれども、それよりもオダギリくんは中から出てくる何かがあったんだと思いますね。

Q. パリでの享楽的な生活と女性との関係の中で泳ぐフジタと、戦中の陸軍の一部として活動したようなフジタを描く、本当に難しい役柄で、解釈も演じ方も色々とある中で、監督とオダギリさんの間でフジタに関してどのようなディスカッションを行ったのか、あるいはオダギリさんにお任せしたのか、オダギリさんとのエピソードをお聞かせ下さい。

A. 撮影に入る前はもちろん色々と話しますけれども、衣装合わせをして読み合わせをしたり色んな話をするんですけれども、シーンの1つ1つについてこう演じて下さいとか、こうやりますというような話は一度たりともしてないですね。だからやってみるまでわからないということかな。頭で理解した人がいい芝居をするわけではなくてですね。僕がこの場面でどういうことを思い描いているか考えていることと、オダギリくんが思い描いていることがピッタリ重なっているかということは、あまり大きな問題ではないですね。それはオダギリくんの身体を通して演じているわけですから距離があっていいこと、むしろ距離の中で無言の理解があればいいわけですよね。

Q. 小栗監督という日本の誇る芸術作家が撮った映画で、夜の風景や村の風景をぱっと見ただけで、「小栗監督の新作だ」ということがわかります。芸術家としての小栗監督が、フジタという芸術家を扱うにあたって、お互いの美学がぶつかってしまう、喰いあってしまう、そういった葛藤のようなものは無かったんでしょうか?

A. 嬉しい事にというか、残念な事にというか、フジタのように売れた事は一度もありませんので、とてもじゃないけど一緒にはならないですね。ただ日本的な何かを持っていく形は同じですね。わたしは映画を作る時に、日本人としてとか、日本の文化としてやっていることは当然ベースとしてスタートするんですよね。日本的なものを、むき出しに外へ出して、海外へ出して、異文化へ出しても、必ずしも理解されない。フジタが生きていた100年前と比べて、今でも僕はそうだと思うんです。未だに日本の文化がむき出しに、海外で評価されるということは残念ながら無いでしょうけど、何かの仕掛けなり仕組みがあって、そこは以前としてギャップがあると思うんですよね。ですから映画をつくる上で、僕の掲げている事と、フジタが絵を描く時の……葛藤でしょうね、それはものを作る以上、みんなどこかで外へ出て行こうとすると抱える問題ではないでしょうか。

ここで矢田部氏から会場の観客へと、質問のバトンが移りいくつかの質問が挙げられました。

(C)TIFF 2015
Q. フジタがパリで言った「ばか騒ぎをすればするほど自分で近づいていくような気がする」というようなセリフがありましたが、それはどういう意味で、フジタのどういった面をあらわしていたのでしょうか?

A. 例に挙げて下さった様にフジタナイト(*3)の後のベッドの上でのセリフや、「アッツ島(玉砕)」の絵の前で敬礼した後東京に戻る列車の中でのセリフとか、いくつかフジタ自身の内面を語るところがあるますけれど、とても少ないです。観る側からすると感情移入しにくかったり、人物の内面が自分なりにつかめない不満が残るんだろうと思うんですけれど。こういうことを言ってしまうと、どんどんお客さんが少なくなってしまう心配はあるのですが、映画の理解を人物の心理とか内とか、そういうパーソナルな部分に、我々はいま求めすぎていないだろうかという反省があるんですね。それはやはり近来的な自我というようなものを、あまりにも信頼して、その自我を描く事が、映画であり小説であり表現である、という風にやっぱりなっている。その近来的な自我とか個人というのはどれほど孤独か、その人に託すだけの深さが果たしてあるんだろうか、と考えると映画にはもっと別の道があるという選択を僕はしたいんですね。

Q. キリスト教の教会(*4)の壁面全面に絵を描いたというのは聞いていましたが、それは2つの文化の中で揺れ葛藤したフジタの贖罪であったのか? 西洋回帰であったのか? それを決めたからああいう絵を描いたのでしょうか? 

A. 僕キリスト者(キリスト教徒)ではありませんので、教会をどう捉えるかについては人によって随分違うと思うんですけれども、具体的な信仰が何ということよりも、祈りという点で考えれば、やはり映っているものにこう……なにか祈る、それが僕はやっぱり映画の力だと思うのね。人の姿をみる、風景をみる、それがどう映っているのかを、静かに見つめると、もうほとんど祈りに近いんじゃないかという気がするんですね。それを待つ。その祈りがあらわれるまで待つ、そういう映画を目指したいなという風に思います。

© 2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション


最後に司会を務めた矢田部氏から「監督、最後に何かひとことお願いします」と求められた小栗監督は「楽しんで頂けましたでしょうか?」と、少し遠慮がちに会場に呼びかけていました。場内の観客は大きな拍手でそれに応え、静かな熱を感じる内にワールドプレミアは幕を閉じましたが、『FOUJITA』は11月14日に劇場公開したばかり。是非会場に足を運んで、絵画のような美しい映像美と、オダギリジョーの演じたフジタの半生に出会って下さい。


*1 戦前のパリ時代と戦中の時代…ここでの戦争は第二次世界大戦を指す。
*2「アッツ島玉砕」…日本で軍に要請されて描いた、戦争協力画。
*3 フジタナイト…パリ時代に、フジタが女装して招待客を迎えたパーティー。
*4 教会…シャペル・ノートル=ダム・ド・ラ・ペ(通称シャペル・フジタ)。フランスのシャンパーニュ地方の町、ランスにある礼拝堂。 

「FOUJITA」 第28回東京国際映画祭 コンペティション部門正式出品作品 舞台挨拶にて
(text:岡村 亜紀子)

関連記事:東京国際映画祭 ~『FOUJITA』記者会見~ text :藤野 みさき





『FOUJITA』

2015/日本、フランス/126分

作品解説

パリが愛した日本人、レオナール・フジタ。フランスと日本、そして戦争という時代に生き、画家を全うしたフジタ。 その知られざる世界を、『埋もれ木』以来10年振りとなる小栗康平監督が静謐な映像美で描いた。

出演

藤田嗣治:オダギリジョー
君代:中谷美紀
ユキ:アナ・ジラルド
キキ:アンジェル・ユモー
フェルナンド:マリー・クレメール
寛治郎:加瀬亮
おばあ:りりィ
清六:岸部一徳

スタッフ

監督・脚本・製作:小栗康平
製作:井上和子、クローディー・オサール
音楽:佐藤聰明
撮影:町田博
照明:津嘉山誠
録音: 矢野正人
美術:小川富美夫
美術:カルロス・コンティ

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劇場情報

11/14(土)角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館 ほか全国ロードショー

2015年11月4日水曜日

山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》vol.1 text佐藤 聖子

「2015ヤマガタ映画批評ワークショップ」に応募してみる


レビュー1つ書いたことのない自分。
年とともに膨れ上がる、新たなフィールドに入ってゆく怖さ。
心身ともにガタが来ている昨今、応募のハードルは高く見えました。

そもそもの発端は母なのだろう、と思います。世界中のあらゆる問題を、他人事ではないと感じる人でした。
母は「他人の痛みが分かる人になって欲しい」という願いを込めて私を育てたわけですが、私自身にも痛みがあること、簡単には知ることのできない深いところにも人の痛みがあること、それは誰からも教わらなかった気がします。

そのだいじな事実について、きちんと考えるようになったのは、ここ十数年くらいのことでしょうか。    
以来、様々な事象との向き合い方を模索してきました。

この世界に溢れる諸々のことがらは、知ることによって自分の問題となってしまうけれど、知らなければ何とかスルーしていられる、とでもいった感覚で過ごした時期もありました。 

けれど、いくら見ないようにしても、逃げ出そうとしても、余裕なんかなくても、つらいことはズカズカと自分の人生に踏み込んでくるものです。そんな当たり前のことが文字通り骨身にしみたのは、両親を相次いで亡くしたからかも知れません。

ALSの母とアルツハイマーの父。二人が同時に要介護状態になってからは、激流に翻弄される葉っぱのようにくるくると、方向感覚を失いながら生きていました。

宣告された余命よりほんの少し長く生きた母は、きれいに澄んだ秋の朝、まみえぬ人となりました。1年後の寒い日に、父もいなくなりました。

前回の山形国際ドキュメンタリー映画祭に観客として出かけて行ったのは、母の納骨の直後だったなぁ……と思い出しています。たまらない喪失感の中で見たドキュメンタリー映画には、それまで感じたことのない「光」のようなものがありました。希望とか、幸せとか、そんな言葉にできるものではなかったのですけれども、作品から、あるいは作り手から私への贈り物に思えたのです。

この贈り物をどうすればいいのだろう、そう思いながら2年が過ぎました。
たぶん誰かに渡してゆくものなのだと思いつつ、どう渡してゆけばいいのか分からずにいました。
終焉を迎えようとしている両親に、ビデオどころかカメラも向けられなかった私には、ドキュメンタリーとの関わり方が見えませんでした。

そこへワークショップの情報が入ってきました。

「これかもしれない……」

高いハードルなんて、どこにいる時でも、何をしている時でも、いくらでもあったよね。
まず応募しよう、そう思いました。

約1ヶ月後、山形行きの新幹線の中、心臓バクバクさせている自分がいたのでした。

(ワークショップ内容、海外からの参加者さん、監督さんたちについても、ぼちぼち書いてゆきますので、興味のあるところだけでも、お読みいただければと思います。)

山形国際ドキュメンタリー映画祭については、高橋雄太さんの体験記に詳細が書かれています(*)。

続く

ワークショップ応募チャレンジ度:★★★★★
(text:佐藤 聖子)

*関連レビュー:山形国際ドキュメンタリー映画祭2015訪問記」text 高橋 雄太
http://kotocine.blogspot.jp/2015/10/2015text.html


ヤマガタ映画批評ワークショップ

●10月9日-12日 [場所]山形まなび館

今回で3度目の開催となる、ヤマガタ映画批評ワークショップ。山形国際ドキュメンタリーにて、映画祭というライブな環境に身を置きながら、映画についての思慮に富む文章を執筆し、ディスカッションを行うことを奨励するプロジェクト。
応募して選考を通った若干名の参加者は、プロの映画批評家のアドバイスを受け、参加者が執筆した記事は、映画祭期間中に順次発表される。
※開催中にヤマガタ映画批評ワークショップの批評文がUPされた〈YIDFF live!〉

参加者はこのプロセスを通じて、ドキュメンタリー映画をより深く、より広い視点から理解することを可能にする映画批評の役割について考察、実践することになる。

今回は初の試みとして、国際交流基金アジアセンターと共催し、東南アジアからのワークショップ参加者を募る機会を設け、関連したシンポジウムも開催された。

ワークショップの使用言語は英語・日本語で、講師となる批評家はクリス・フジワラ、北小路隆志、金子遊の各氏。



山形国際ドキュメンタリー映画祭2015
●10月8日(木)〜15日(木)
公式ホームページ:http://www.yidff.jp/home.html

2015年11月3日火曜日

第28回東京国際映画祭《コンペティション部門》 短評 text 常川拓也

『家族の映画』(オルモ・オメルズ)

(c) endorfilm s.r.o., 42film GmbH, Česká televize, Arsmedia d.o.o., Rouge International, Punkchart films s.r.o.

個人的には、コンペ作品の中で最もお気に入りの一本。父母が不在の中で姉や弟がその自由を満喫する思春期の若者の倦怠や欲望の感覚がヴィヴィッド(暇つぶしに全裸エレベーター乗りゲーム!)でまず惹きつけられる。その後、次第に両親や叔父の視点に移行したり、家族と離れた犬の話に移行したり、いい意味で観客を惑わせながらうねっていくシナリオ、そしてその中でどの場面の何を見せるか見せないかをスマートに描き分けていくあたり、84年スロベニア生まれのオルモ・オメルズの確かな手腕とセンスを感じた。何よりも好感を抱いたのは、犬も私たち家族のピースのひとつであり、彼がいないと家族は不完全だという作り手のまなざし。「飼い犬(ペット)」としてではなく、「家族」の一員として犬を描いている点が、まさに現代的な「家族映画」となっていてフレッシュな驚きを与えてくれた。ヨットが転覆し荒波に飲まれた際に犬のオットーを探し求めても届くことのなかった父の声が、あるいは無人島に流れ着いたオットーが周囲に誰もいない真っ暗な海で吠え続けた声が、家族の再会とともに呼応する演出も見事で、静かに胸に響く。人間たちへの割と無機的な距離感を取った演出と、犬の孤島でのサバイバル生活をストイックながらも観客のエモーションに訴えかける演出の対比を通して、私たちの中に人間以上に動物に対して哀れみを感じる部分を見る考察も実に鋭い。アナ役のイェノヴェーファ・ボコヴァーが、ズーイー・デシャネルとエマ・ストーンに似ていて、キュート!
★★★★★

『ボーン・トゥ・ビー・ブルー』(ロバート・バドロー)

(c) 2015 BTB Blue Productions Ltd / BTBB Productions SPV Limited

何よりもチェット・ベイカーに扮したイーサン・ホークの哀愁、パフォーマンスが素晴らしい。60年代のマイルス・デイヴィスやディジー・ガレスピーら黒人奏者が占めるジャズの世界で、緊張やプレッシャーを乗り越えるためヘロインに頼ってしまう男の姿(「自信が湧くんだ」「テンポが広く取れる」「ひとつひとつの音の中に入っていける」)を、伝記映画ではなく、彼の人生を再想像した物語によって愛情深く描かれているのがわかる。渋く心地良い音楽と、ホーク自身による歌声に観客は聴き惚れながら、ベイカーのことを知らずとも巧みに魅了される。だからこそ、ドラッグ絡みのトラブルで暴漢に襲われ前歯を失った彼が、入れ歯をはめて再起を図り、血を吐きながら再び練習に励む様は、手に取るように痛みが伝わってくる。トランペットを吹くという行為=音楽と痛みとが密接に結びつくことで、演奏自体が主人公の心情を物語り、アーティストと恋人、クリエイティヴィティとドラッグなど様々な人生の葛藤がトランペットの音色に集約されていた。来年公開予定とのこと。
★★★★☆


『地雷と少年兵』(マーチン・ピータ・サンフリト)

(c) Danish Film Institute

若者たちが地雷から信管を抜いて除去していく作業を丁寧に見せていく過程や、美しい海が広がる浜辺に埋められた地雷を腹這いして鉄の棒で確かめながら撤去していく光景には、いつそれが爆発するかわからない異様な緊張感に満ちていて、大きなカルチャーショックのようなものを受けてしまう。終始、緊張と不安を滲ませ続ける巧みな演出は胃が痛くなってくるほどだが、そんな中で束の間にデンマークの軍曹とドイツの若い捕虜たちが一緒にサッカーを楽しむ場面には、団結・強力して体を動かすスポーツ本来の美しさがあったことも忘れがたい。戦争が終わり、はじめから敗北している中で、上の世代の責任を取らされるドイツの若者たちにとって、地雷は世界への不信の象徴であるように思え、良心と憎悪で揺れ続ける軍曹の命令によってなされる、その不信が頂点に達する行進は戦争の残した最悪の光景だろう。観た後で、英題『Land of Mine』──「私の土地」であり、「地雷原」──に込められた意味が重く迫ってくる。軍曹役のローラン・モラーやドイツ兵を演じた新人俳優たちの体現するリアリティーも説得力を与えていた。ただ、緊張と緩和、美と残酷、そしてイノセンスと凄惨など、あまりに要素のコントラストが強く、(観客があってほしくないと望む)悲劇性を作為的に強めている節があり、そういった仕掛けが史実をベースに描く上で気になった。
★★★☆☆

『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』(ロドリゴ・プラ)


ストーリーはシンプルながら、非常にユニークな映画のナラティブが新鮮に感じた。はじめはショットひとつひとつの場面の切り取り方が奇妙だなと思っていると、次第に主人公が起こした事件への他者個々人の裁判での証言の声が加わり、複数の者の視点から主人公の行動を映していく試みが取られているのが面白い。他者の視点から「事実ではなく(その人から見た)記憶をベースに再生された」ショットが強調されていくことで、客観性が生み出される効果が狙われていて、多数の人物の視点からひとつの事件が豊かに語られる実に小説的な映像表現に成功している。『エレファント』や『桐島、部活やめるってよ』などのアプローチよりもさらに論理的に押し進めた語り口とでもいうべきか、75分でまとめあげている点も含めてロドリゴ・プラのクレバーさが光っている。『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』や『父の秘密』『選ばれし少女たち』などで描かれてきたようにメキシコの社会に蔓延する暴力性と、その体制への小市民の怒りも確かに感じさせてくれた。★★★☆☆


『ぼくの桃色の夢』(ハオ・ジエ)

(c) Wanda Media Co.,Ltd (c) Single Man (Beijing) Culture Development Co.,Ltd

中国の中学男子たちの寮生活を描く前半は、主人公チャオの学校のマドンナであるリーへの片思いや、まだ「勃起」の意味すらも知らない無垢な有様が微笑ましく、多分にコメディータッチで楽しませてくれる(給食にねずみが丸々煮込まれたものが出たり、男子たちがすし詰めに寝ていたり)。劇伴やスローモーションの使われ方が完全に主人公の主観に沿っていて、同級生たちのキャラクター含めアニメ的と言ってもいいノリで悪くない。しかし、中学から高校に上がると、チャオ役がワン・ポンからバオ・ベイアルに突如変わり、そこから印象が変わっていくように思えた。「85%自伝的」と語る監督のハオ・ジエ(藤井フミヤ似)が「自分以上にイジイジしたタイプに見える」ため起用したというバオ・ベイアルによって、その個性的なイジイジした感じが確かにコメディーとしては成功に貢献していると思う。だけどその佇まいは、もはや妄想やスケベ心でニヤけているように見えてしまうため、なぜあの美少女がこの青年にだけ特別惹かれたのか疑問に思わせてしまう部分がある(もちろん美男美女でなければいけないと言っているわけではない)。そして、美少女がほとんど一方的な良い面しか描かれず、彼から見た“理想の美少女”でしかないため、リアルさよりもニヤけ男の幻想に思えてしまうから困ったものだ。個人的には、ヒロインに振られた失意の中、高校時代のチャオが2 アンリミテッドの「No Limit」をバックに自分自身が映った鏡に向かってキスをする(その鏡のすぐ隣には幼き頃の自身の写真がある)場面が印象深い。中学生から高校生、そして成人して妊婦になるまでをひとりで演じたスン・イーは、とてもチャーミングで魅力的だった。
★★☆☆☆


『ガールズ・ハウス』(シャーラム・シャーホセイニ)


古いイスラム社会の伝統と現代の文化のバランスのもつれによる悲劇を描くが、その中東にある因習や同じ国の中ですら互いの価値観を尊重できないでいる実態は興味深いが、サスペンスとしてさしてショックを受けるような「真相」ではないと思う。前半で謎を提示して、後半でその謎をフラッシュバックという形で明かしていく手法が取られるが、新鮮さに欠ける上に、その試み自体が古いしきたりに則っているのではないか。
★★☆☆☆


『フル・コンタクト』(ダビッド・フェルベーク)

(c) Lemming Film 2015

コンタクト=着弾。ヴァーチャル画面に向かってドローンを遠隔操作し、ターゲットを定め爆撃する様子をその画面を通してでしか描かないことで、完全にゲーム感覚を高めているが、個人的にはその行っていることの実感と実際に起こしている危害の乖離から生まれるトラウマにいかに向き合うのかを描いてほしいと思った。現実として描かれる兵士の物語の後に同じ役者が異なる人物を演じるふたつのエピソード(3つめのエピソードではドローンのターゲットとボクシングをし、コンタクトが肉体の接触の意味に変わる)が、現実の物語とは分裂してしまっていることが実験的で独創的ではあるが、潜在意識下の話だけになってしまうので逃げの表現のようにも思えてしまった。
★★☆☆☆

(text:常川拓也)


【作品解説】

『家族の映画』

2015年/チェコ/95分

冬休みを間近に控え、両親は一足先にヨット旅行に出かける。留守番の姉と弟は羽を伸ばして遊ぶが、やがて弟のサボりがバレ、事態は思わぬ方向に…。幸せな家族に訪れる変化を、意表を突く展開と端正な映像で描き、未体験のエンディングが観客の胸をしめつけること必至の驚きのドラマ。
出演
ダニエル・カドレツ、イエノヴェーファ・ボコヴァー、カレル・ローデン、ヴァンダ・ヒブネロヴァー

スタッフ

監督:オルモ・オメルズ
脚本:ネボイシャ・ポップ=タスィチ
撮影監督:ルカーシュ・ミロタ
編集:ヤンカ・ヴルチコヴァー
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『ボーン・トゥ・ビー・ブルー』

2015年/アメリカ=カナダ=イギリス/97分

名ジャズ・トランペット奏者として一世を風靡した、チェット・ベイカーの苦闘の時代を描くドラマ。ドラッグに依存し、暴行されて歯を失い、どん底に落ちたチェットが再生を目指す姿を、イーサン・ホークが見事に再現する。シャープな映像とクールな音楽が抜群の官能をもたらす1本。

出演

イーサン・ホーク、カーメン・イジョゴ、カラム・キース・レニー

スタッフ

監督/脚本/プロデューサー:ロバート・バドロー

撮影監督:スティーブ・コーセンス

編集:デヴィッド・フリーマン

音楽:ディビッド・ブレイド、トドール・カバコフ、スティーヴ・ロンドン
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『地雷と少年』

2015年/デンマーク=ドイツ/105分
終戦直後、デンマークの海岸沿いに埋められた無数の地雷の撤去作業に、敗残ドイツ軍の少年兵が動員される。憎きナチ兵ではあるが、戦闘を知らない無垢な少年たちを前に、指揮官の心情は揺れる。憎しみの中、人間に良心は存在するか? 残酷なサスペンスの中で展開する感動のドラマ。

出演

ローラン・モラー、ミケル・ボー・フォロスゴー、ルイス・ホフマン

スタッフ

監督/脚本:マーチン・ピータ・サンフリト
プロデューサー:マイケル・クリスチヤン・ライクス
撮影監督:カミラ・イェルム・クヌーセン
編集:モリー・マレーネ・ステヌスガー、ペア・サンドホルト

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『モンスター・ウィズ・サウザンヘッズ』

2015年/メキシコ/75分
在宅介護していた夫の容体が急変する。慌てた妻は主治医に連絡を取ろうと必死になるが、事態は思わぬ方向に転がっていく…。平凡な主婦が絶望的な行動に走る様を、抜群のテクニックで描くノンストップ・サスペンス。

出演

ジャナ・ラルイ、セバスティアン・アギーレ・ボエダ、エミリオ・エチェバリア

スタッフ

監督:ロドリゴ・プラ
撮影監督:オディ・サバレタ
美術 : バルバラ・エンリケス
編集 : ミゲル・シュアードフィンガー

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『ぼくの桃色の夢』

2015年/中国/107分
中学生のチャオ・シャンシャンは学校一の美人リー・チュンシアに密かに恋心を抱くが、いじめっ子が無理やり彼女を自分のものにする。しかし、チャオ・シャンシャンの想いは変わらない。その想いを抱いたまま無気力な大学生活に入るが、そこでチャオは映画に出会う…。

出演

バオ・ベイアル、スン・イー、ワン・ポン

スタッフ

監督/脚本:ハオ・ジエ
撮影監督:ヤン・ジン
製作: ヤン・チェン、リー・リン

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『ガールズ・ハウス』

2015年/イラン/80分

結婚式を翌日に控えた女性が死んだ。直前まで新居のカーテンを変えていたらしい。友人たちが調べ始める。しかし、女性の父親は非協力的で要領を得ない。一体何が起きたのか、本当に死んだのか?謎解きドラマの形を借りつつ、伝統的なイスラム社会の影に踏み込む衝撃的なドラマ。

出演

ハメッド・ベーダッド、ラーナ・アザディワル、ババク・カリミ、ペガー・アハンガラニ

スタッフ

監督:シャーラム・シャーホセイニ
脚本:パルウィズ・シャーバズィ
撮影監督:モルテザ・ガフリ
プロデューサー : モハマド・シャイェステ

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『フル・コンタクト』

2015年/オランダ=クロアチア/105分
砂漠の中、兵士が小屋で画面に向かい、ドローンを操作して標的を爆撃する。遠隔殺戮のトラウマが蓄積した男がたどる精神の旅を、迫力の映像と想像力に満ちた展開で描く驚愕のドラマ。

出演

グレゴワール・コラン、リジー・ブロシュレ、スリマヌ・ダジ

スタッフ

監督/脚本 : ダビッド・フェルベーク
撮影監督 : フランク・ファン・デン・エーデン
音響 : ペーター・ワルニル
編集 : サンダー・ヴォス
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第28回 東京国際映画祭

28回を迎える東京国際映画祭(以下TIFF)は、1985年からスタートした国際映画製作者連盟公認のアジア最大の長編国際映画祭。アジア映画の最大の拠点である東京で行われ、スタート時は隔年開催だったが1991年より毎年秋に開催される。(1994年のみ、平安遷都1200周年を記念して京都市での開催)

若手映画監督を支援・育成するための「コンペティション」では国際的な審査委員によってグランプリが選出され、世界各国から毎年多数の作品が応募があり、入賞した後に国際的に活躍するクリエイターたちが続々現れている。アジア映画の新しい潮流を紹介する「アジアの未来」、日本映画の魅力を特集する「日本映画クラシックス」、日本映画の海外プロモーションを目的とした「Japan Now」、「日本映画スプラッシュ」などを始めとする多様な部門があり、才能溢れる新人監督から熟練の監督まで、世界中から厳選されたハイクオリティーな作品が集結する。

国内外の映画人、映画ファンが集まって交流の場となると共に、新たな才能と優れた映画に出会う映画ファン必見の映画祭である。

開催情報

2015年10月22日(木)〜31日(土)


上映スケジュール

http://2015.tiff-jp.net/ja/schedule/




会場案内

http://2015.tiff-jp.net/ja/access/




公式ホームページ

http://2015.tiff-jp.net/ja/

2015年10月29日木曜日

第28回 東京国際映画祭《コンペティション部門》審査委員記者会見text藤野 みさき

写真左から、ベント・ハーメル監督、トラン・アン・ユン監督、ブライアン・シンガー監督、ナンサン・シーさん、スサンネ・ビア監督、大森一樹監督

 2015年10月22日(木)に開幕した、第28回東京国際映画祭。盛大なオープニングから一夜明けた23日(金)の朝、TOHOシネマズ六本木では審査委員記者会見が行われ、計六名の審査委員が本映画祭に対する意気込みを語った。

 本年の審査委員長は、『XーMEN』シリーズ『ワルキューレ』他数々のハリウッド大作の監督を務める、ブライアン・シンガー。他審査委員は、これまでも東京国際映画祭に何度も出品経験のある、ノルウェーの映画監督、ベント・ハーメル。『未来を生きる君たちへ』がアカデミー賞外国語映画賞を受賞するなどの輝かしい実績を持つ、デンマークが誇る名匠、スサンネ・ビア。これまで数多くのヒット映画をを手掛けたプロデューサー、ナンサン・シー。村上春樹原作、菊池凛子、松山ケンイチを主演に迎えた『ノルウェイの森』の監督を務めた、トラン・アン・ユン。そして日本からは『ゴジラVSキングギドラ』等の映画で知られる大森一樹監督が名を連ねた。

ブライアン・シンガー監督

 はじめに「この度東京国際映画祭の審査委員長という役目を担えること、そして素晴らしい方々と仕事ができることを非常に嬉しく思います」と、ブライアン・シンガー監督が感謝の気持ちを述べた。どんでん返し映画の金字塔として輝き続ける『ユージュアル・サスペクツ』と共に初来日を果たして以来、シンガー監督はこの度で8度目の来日となる。

 続いて「大好きな日本に5年振りに来られたこと、そして東京国際映画祭の審査委員として参加できることを本当に嬉しく思います」と、トラン・アン・ユン監督が喜びを語った。「日本食が大好き!」と言うナンサン・シーは「今までも日本には沢山来ておりますが、こうして来日できることが非常に嬉しいです」と発言。昨年の東京国際映画祭コンペティション部門にて『1001グラム ハカリしれない愛のこと』が出品されたベント・ハーメル監督は「1年振りの来日はもちろん、この度は審査委員として来ることができて嬉しく思います」と言葉を続けた。また今回が初来日となるスサンネ・ビア監督は「初めての日本、そして初めての東京国際映画祭で審査委員を務めることを光栄に思います」と、感慨深く、丁寧に言葉を紡いでいた。大森一樹監督は「日本を代表する審査委員としてこの場に立てることを光栄に思うと同時にプレッシャーを感じております」と胸の内を明かし、改めて東京国際映画祭という舞台の大きさを感じさせる。



トラン・アン・ユン監督
 質疑応答で挙った、映画祭における映画を観る一つの基準について、ブライアン・シンガー監督は「映画祭は様々な国の映画を観られることはもちろん、コメディー、ホラー、ドラマと出品作品のジャンルも非常に多彩です。国の文化の違い、ジャンルの違いを含めて、判定をする基準は非常に難しいと思っております。そしてその中から作品を選出することは、我々審査委員の真剣に取り組まなくてはならない大きな課題でもあります」と述べる。

 他の審査委員の良い映画の基準として、トラン・アン・ユン監督は「最も大切なことは“言葉”です。万国共通して、素晴らしい映画は言葉で物語を語ることができます。物語の中で紡がれる言葉たちを、私は重要視しながら観ていきたいと思っています」と語り、ナンサン・シーは「映画を観た時に、自分の心が映画と相通じるものがあり、映画と自分との間に絆が生まれた時や、観終わった後自らの人生により良い影響を与えてくれる作品が、私にとっての良い映画の基準です」と話を続けた。

写真左から、ベント・ハーメル監督、トラン・アン・ユン監督、ブライアン・シンガー監督
 日本人監督の中で影響を受けた監督について訊かれると、審査委員一同、口を揃えて黒澤明監督と答えた。スサンネ・ビア監督は若い時から影響を受けていると話し、ブライアン・シンガー監督は「映画を学び始めた頃から黒澤明監督の映画に触れる機会が多く、三船敏郎さんにお会いするという幸運にも恵まれました。大先輩である、スティーヴン・スピルバーグ監督や、ジョージ・ルーカス監督も黒澤明監督の映画を敬愛していたこともあり、彼が私に与えた影響はとても大きなものです」と、自身の過去を振り返りながら、生き生きと語っていた。黒澤明監督の映画はもちろんのこと、『四谷怪談』に慣れ親しんできたと言う、ナンサン・シー。「香港では日本映画が盛んで、小津安二郎監督の映画も数多く観ました。私がイギリスに留学をしていた時、チケットを取るため何時間も劇場に並び、黒澤監督を拝見する機会を得たことがあります。その時の『私は毎日学ぶことがたくさんあります』と仰られていた黒澤監督の言葉が、今でも私の心の中に残っています」と、日本映画、そして黒澤明監督への尊敬の念を明かした。そして日本映画が大好きだという、トラン・アン・ユン監督からは、黒澤明監督、小津安二郎監督の他に、溝口健二監督、成瀬巳喜男監督、柳町光男監督、橋口亮輔監督、是枝裕和監督と、質問を受けるなり多くの映画監督の名前があがり「私は常に日本映画から学ぶことがあります」と述べた。ベント・ハーメル監督は、黒澤明監督の『羅生門』を友人に勧めたばかりだと明かし、大森一樹監督は「黒澤明監督がこうして世界中の映画監督に影響を与えていることに感激をしています。私は高校時代に黒澤監督の『赤ひげ』を観て医者を志し、医学部へ進学をしたのですが、医学を学び、自分は映画を学びたいのだ思いました。そして映画監督の道に進んだのですが、その選択は間違ってはいなかったのだと皆様のお話を聞いて思います」と、日本映画が世界に影響を与えることの喜びと、自身の経験を語った。

スサンネ・ビア監督
  現在の政治問題、社会背景も映画を審議する基準として含まれるのか? という問いかけに対し、ベント・ハーメル監督は「映画を観るにあたり、社会的、政治的背景は非常に大切な要素です。答えを出す、ということは難しいことですが、これから映画を観て様々なことを皆で論議をしていきたい」と発言し、トラン・アン・ユン監督は「私にとっては、やはり語られる“言葉”が大切です。何十年後に観た時も、その映画が自分の心に届くのか、何かを語ってくれるのか、という事が重要なことです」と述べる。ナンサン・シーは「物語がどのように語られ、役者たちが演じるのか、というのは良い映画において必要な要素です。そこに政治的背景を捉えながら、万国共通して、50年後に観たときでも、何か心に訴えかけることがある作品というものこそが、真の素晴らしい作品であると思います」と語った。

 最後にブライアン・シンガー監督は「様々なジャンルはもちろん、ホラー映画を出品するのは本当に勇気あることだと思います。映画祭はこういったものでなければならない、という決まりはありません。東京国際映画祭のように、より多くのジャンルの映画を揃えるということは本当に素晴らしいことだと思います」と述べ、この記者会見を締めくくった。

 時差ぼけなどの疲労がありながらも、冗談を交えて様々なことを語ってくれた審査委員長のブライアン・シンガー監督を始め、スサンネ・ビア監督は、常に正面を見据えて真剣な眼差しで一つ一つの言葉を選び、紡いでいた。きらきらと大きく瞳を輝かせながら日本に来る喜びを表していたナンサン・シー、物腰の柔らかいベント・ハーメル監督、落ちついてしっかりと物事を語っていた大森一樹監督に、知的で生き生きと話す姿が印象的だった、トラン・アン・ユン監督。会見時も終始笑顔の絶えなかった審査委員たち。最終日、どのような作品が最高賞に選ばれるのか、その行方にさらに期待と関心が高まった。

審査委員たちの魅力度:★★★★★
(text:藤野みさき)



第28回 東京国際映画祭
28回を迎える東京国際映画祭(以下TIFF)は、1985年からスタートした国際映画製作者連盟公認のアジア最大の長編国際映画祭。アジア映画の最大の拠点である東京で行われ、スタート時は隔年開催だったが1991年より毎年秋に開催される。(1994年のみ、平安遷都1200周年を記念して京都市での開催)
若手映画監督を支援・育成するための「コンペティション」では国際的な審査委員によってグランプリが選出され、世界各国から毎年多数の作品が応募があり、入賞した後に国際的に活躍するクリエイターたちが続々現れている。アジア映画の新しい潮流を紹介する「アジアの未来」、日本映画の魅力を特集する「日本映画クラシックス」、日本映画の海外プロモーションを目的とした「Japan Now」、「日本映画スプラッシュ」などを始めとする多様な部門があり、才能溢れる新人監督から熟練の監督まで、世界中から厳選されたハイクオリティーな作品が集結する。
国内外の映画人、映画ファンが集まって交流の場となると共に、新たな才能と優れた映画に出会う映画ファン必見の映画祭である。

開催情報
2015年10月22日(木)〜31日(土)

上映スケジュール
http://2015.tiff-jp.net/ja/schedule/

会場案内
http://2015.tiff-jp.net/ja/access/

公式ホームページ
http://2015.tiff-jp.net/ja/