過大評価
映画ファンの間では、本作が絶賛され過ぎている、と感じている。
音大生でジャズドラマーのアンドリュー。彼は当初、憧れていたフレッチャー先生の指導に、喜びを感じていたが、彼の、理不尽なまでのしごきに耐えかね、鬼教師を見返そう、とドラムに打ち込んでいく。アンドリューはそのためなら、恋人を捨て、父との関係性もぎくしゃくさせ、練習に没頭していく。
まずこの手の、「何者かに魅力を感じ、自分の全てをなげうつ」というお話で、非常に重要な、カリスマの描写において、本作は説得力に欠ける。フレッチャーには、観客と主人公とで共感すべき魅力が、絶対に必要だが、楽器の演奏、または指揮のプロという描写がない上、彼がバンドの士気を上げていく描写もない。その欠陥ゆえ、ラストの、あの素晴らしいシークエンスの魅力も、激減させる。
また、アンドリューのドラマ描写も、もろ手を挙げて絶賛はできない。彼の、殺気に満ちた練習描写も、血豆のつぶれた手、ドラムにしたたる汗、極端なアップの手や目の表現など手数が少なく、陳腐である。
ちなみに、監督のデミアン・チャゼルがP・T・Aを大好きなのは、ひしひしと伝わってくる。その辺りは微笑ましいところである。
白熱度★★★☆☆
(text:梅澤 亮介)
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これはロボットの映画である。
ドラマーを目指して音楽大学に入学したアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)は、鬼教師フレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドに加入する。彼はフレッチャーのスパルタ指導にも耐え、主奏者の座を手にするが…。
人物のドラマが弱い。ニーマン以外のバンドメンバーはほぼ名前もセリフもなし。ニーマンは恋人ニコル(メリッサ・ブノワ)とあっさり別れる。彼を捨てた母親も伏線ではない。
一方「物」を描くとき、映画は活性化する。
演奏シーンでは楽器と人間が同等だ。鍵盤と叩く指、管楽器と吹く口など、人と楽器が一体になったアップが連続する。ニーマンとドラムが切り返しされ、ドラムが人のようにニーマンと見つめ合う。言い換えればニーマンはドラムと同じく「物」。さらに、バンドメンバーの一斉起立、ドラマを叩くニーマンの手の上下動、フレッチャーの拳を握る動作、指揮の動作。こうした運動が繰り返される。
機械のように定型化された運動を行う彼らは、人というよりロボットである。
ニーマンはフレッチャーの支配を逃れて、自律した音楽機械として駆動する。そのときカメラ=撮影機械は、二人を高速パンとアップの連続で追随する。そして圧倒されつつスクリーンを凝視する私は、見るロボット=映画機械になる。これぞ映画を見る快楽。
さて、人がロボットなら、フレッチャーの「セッション」(授業)はロボット工場である。そこでタイトルを考え直す。原題『WHIPLASH』は曲名であるが、無理やり分解すればWHIP「むち」LASH「激しく打つ」だ。LASHを行うロボットの映画なのだから、タイトルは原題通り『WHIPLASH』、または『われはロボット』とする。
機械化度:★★★★☆
(text:高橋 雄太)
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一言、「圧倒された」。
マイルズ・テラー演じる名門音楽大学に入学したドラマーのニーマン。彼の情熱は凄まじく、途轍もなく、尋常じゃない。自分は一流になれると信じて疑わない。そのためには、どんなことだって犠牲にする。
そんなニーマンを、自ら率いるバンドにスカウトするのは、J・K・シモンズ演じる伝説の鬼教師フレッチャー。彼のバンドの練習時の鬼っぷりは、常軌を逸し、支配的であり、恐怖そのものだ。目標達成の使命にかられ、バンドのすべてをコントロール下に置き、どんな手段をもってしてでも自分の理想に持っていこうとする。
実際に近くにいたら絶対に関わりたくない、そんな異常な二人が相まみえる。まさしく「セッション」だ。
奇しくも、両者ともにアカデミー助演男優賞を受賞したということで、鑑賞前、『セッション』における鬼教師フレッチャー(J・K・シモンズ)は、『愛と青春の旅だち』(1982)における鬼軍曹フォーリー(ルイス・ゴセット・Jr)のような役まわりかと思っていた。しかし、そんなシンプルなことではなく、全くもって一筋縄ではいかないものだった。さらに、ニーマン(マイルズ・テラー)は、ザック(リチャード・ギア)とは途方もなくかけはなれている嫌な奴であり、ニーマンの恋人となるニコル(メリッサ・ブノワ)は、ザックにお姫様だっこされるポーラ(デブラ・ウィンガー)とは雲泥の差の扱いだ。
そんな登場人物なのに、なぜか異常なほど引き込まれた。感情移入してしまっている自分に驚いた。そして、時に人生には、決められた枠にとらわれずに何かを成し遂げることも「あり」なんだというメッセージを強く感じた。やはり、どんなに酷い状況でも、情熱や使命に燃える姿には心を打たれるのかもしれない。「エヴィ(エブリ)バディパッション!」とはパッション屋良もよく言ったもので、誰しも情熱を持っていたい。そして、目標、夢、使命(ミッション)があれば情熱を注ぎ込むことができる。まさしくこれは「PassionとMissionのSession」だ!
とは言え、原題は“Whiplash”。劇中登場する曲名であり、鞭打ちを意味する。そのままのタイトルだとやはりしっくりくるかもしれないが、日本でおなじみの単語ではないので『セッション』となったのだろう。
ちなみに、『愛と青春の旅だち』の原題は“An Officer and a Gentleman”。
それになぞらえて、こんなタイトルはどうだろう。“A Psychopath and a Dictator”。
ちょっと芸がない。
それならば邦題は…、『魂と狂乱の激突』……、やっぱり無理だ。
拳をぐっと握って何かを止めたくなる度:★★★★★
(text:神原 健太朗)
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正直言ってジャズのことなど何も分からない。ましてやドラムのことだってよく知りはしない。ジャズドラムのスティックの持ち方が違うことだって『セッション』を観て初めて気がついたくらいには、何も知らない。
だけどオモシロイ。
いや、だからオモシロイ、のかもしれない。
ジャズ・ミュージシャンであらせられる某・菊地さんがこの映画をこき下ろしていらっしゃるように、本作はジャズに精通、もしくはプロの方々からすると怒り心頭なくらい実状とはかけ離れているようだ。
それだけは何となくわかる。
だがこの映画は「ジャズがどういったものか」を伝えるために作られたわけではないし、それどころか見終わった後には音楽の映画ですらなかったように感じられるような作品だ。
これは監督であるデミアン・チャゼルが「音楽を介しての恐怖」を描きたかったとコメントしているように、その恐怖との戦いの映画になっているのだ。
音楽を介しての恐怖は、音楽教師のフレッチャーに集約されている。
怪物然としたフレッチャーと、それに食らい付き食い尽くそうともがく主人公ニーマンのボクシングであり、プロレスであり、喧嘩であり、戦争の映画なのである。
なので「ジャズはよく分からないから」と敬遠する必要はないし、むしろジャズを知らない人ほど純粋に楽しめる作品になっている。
それがジャズミュージシャンからは嫌われる要因のひとつになっているのかもしれないが、それでも映画作品として楽しめるようになっていることには違いない。
フレッチャー先生怖い度:★★★★☆
(text:くりた)
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サスペンス、ホラー映画にはサイコパスや怪物が登場することが多い。1人(1匹?)でも充分に話は成立する。2人なら、さらにパワーアップしそうなものだが、『フレディVSジェイソン』(2003)のように、おバカ作品的扱いを受ける場合もある。しかし所謂サスペンスでもなく、2人のサイコパスが登場しながら、鑑賞後も余韻に浸り、しばらく座席を離れたくなくなる作品があれば素敵ではないか。それが『セッション』だ。
主要人物2人は名門音楽大学講師フレッチャーとドラマー志望の新入生ニーマンで、音楽(ミュージック)サイコパスとでも呼ぶべきか。ニーマンは、音楽史に残る逸材を育てるという、フレッチャーの狂人的指導により、元来持っていた資質が完全覚醒してしまうのだが、サイコパス同士が争うのだから、セッションどころではなく、戦(いくさ)となる。その他登場人物やサイドストーリーは極端に影が薄く、2人のバランスの狂った内面がそのまま投影されているかのようだ。しかし、緊迫したやり取り、常軌を逸した行動が映像として、時に心の経絡秘孔を突いてくる。また同時に、両者間に介在する音楽により、音の波動、振動も身体に降り注ぐ。ドラムだからこそ為せる技かもしれない。
芸術を極めるのに艱難辛苦が伴うのは想像できるとしても、完全にフィクションでしかありえない設定、展開であり、逆にフィクションだからこそ、ここまで出来たともいえる。まさにスクリーンで体験すべき「劇映画」である。
★★★★☆
(text:今泉 健)
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『セッション』
監督/脚本
デイミアン・チャゼル
製作総指揮
ジェイソン・ライトマン
製作
ジェイソン・ブラム
撮影
シャロン・メール
編集
トム・クロス
美術
メラニー・ペイジス・ジョーンズ
音楽
ジャスティン・ハーウィッツ
キャスト
マイルズ・テラー - アンドリュー・ネイマン
J・K・シモンズ - テレンス・フレッチャー
ポール・ライザー - ジム・ネイマン
メリッサ・ブノワ - ニコル
オースティン・ストウェル - ライアン
ジェイソン・ブレア - トラヴィス
カヴィタ・パティル - ソフィー
コフィ・シリボー - グレッグ
スアンネ・スポーク - エマおばさん
エイプリル・グレイス - レイチェル・ボーンホルト
作品情報:名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。
公式ホームページ:http://session.gaga.ne.jp
われはロボット
これはロボットの映画である。
ドラマーを目指して音楽大学に入学したアンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)は、鬼教師フレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドに加入する。彼はフレッチャーのスパルタ指導にも耐え、主奏者の座を手にするが…。
人物のドラマが弱い。ニーマン以外のバンドメンバーはほぼ名前もセリフもなし。ニーマンは恋人ニコル(メリッサ・ブノワ)とあっさり別れる。彼を捨てた母親も伏線ではない。
一方「物」を描くとき、映画は活性化する。
演奏シーンでは楽器と人間が同等だ。鍵盤と叩く指、管楽器と吹く口など、人と楽器が一体になったアップが連続する。ニーマンとドラムが切り返しされ、ドラムが人のようにニーマンと見つめ合う。言い換えればニーマンはドラムと同じく「物」。さらに、バンドメンバーの一斉起立、ドラマを叩くニーマンの手の上下動、フレッチャーの拳を握る動作、指揮の動作。こうした運動が繰り返される。
機械のように定型化された運動を行う彼らは、人というよりロボットである。
ニーマンはフレッチャーの支配を逃れて、自律した音楽機械として駆動する。そのときカメラ=撮影機械は、二人を高速パンとアップの連続で追随する。そして圧倒されつつスクリーンを凝視する私は、見るロボット=映画機械になる。これぞ映画を見る快楽。
さて、人がロボットなら、フレッチャーの「セッション」(授業)はロボット工場である。そこでタイトルを考え直す。原題『WHIPLASH』は曲名であるが、無理やり分解すればWHIP「むち」LASH「激しく打つ」だ。LASHを行うロボットの映画なのだから、タイトルは原題通り『WHIPLASH』、または『われはロボット』とする。
機械化度:★★★★☆
(text:高橋 雄太)
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そうだね、プロテインだね
一言、「圧倒された」。
マイルズ・テラー演じる名門音楽大学に入学したドラマーのニーマン。彼の情熱は凄まじく、途轍もなく、尋常じゃない。自分は一流になれると信じて疑わない。そのためには、どんなことだって犠牲にする。
そんなニーマンを、自ら率いるバンドにスカウトするのは、J・K・シモンズ演じる伝説の鬼教師フレッチャー。彼のバンドの練習時の鬼っぷりは、常軌を逸し、支配的であり、恐怖そのものだ。目標達成の使命にかられ、バンドのすべてをコントロール下に置き、どんな手段をもってしてでも自分の理想に持っていこうとする。
実際に近くにいたら絶対に関わりたくない、そんな異常な二人が相まみえる。まさしく「セッション」だ。
奇しくも、両者ともにアカデミー助演男優賞を受賞したということで、鑑賞前、『セッション』における鬼教師フレッチャー(J・K・シモンズ)は、『愛と青春の旅だち』(1982)における鬼軍曹フォーリー(ルイス・ゴセット・Jr)のような役まわりかと思っていた。しかし、そんなシンプルなことではなく、全くもって一筋縄ではいかないものだった。さらに、ニーマン(マイルズ・テラー)は、ザック(リチャード・ギア)とは途方もなくかけはなれている嫌な奴であり、ニーマンの恋人となるニコル(メリッサ・ブノワ)は、ザックにお姫様だっこされるポーラ(デブラ・ウィンガー)とは雲泥の差の扱いだ。
そんな登場人物なのに、なぜか異常なほど引き込まれた。感情移入してしまっている自分に驚いた。そして、時に人生には、決められた枠にとらわれずに何かを成し遂げることも「あり」なんだというメッセージを強く感じた。やはり、どんなに酷い状況でも、情熱や使命に燃える姿には心を打たれるのかもしれない。「エヴィ(エブリ)バディパッション!」とはパッション屋良もよく言ったもので、誰しも情熱を持っていたい。そして、目標、夢、使命(ミッション)があれば情熱を注ぎ込むことができる。まさしくこれは「PassionとMissionのSession」だ!
とは言え、原題は“Whiplash”。劇中登場する曲名であり、鞭打ちを意味する。そのままのタイトルだとやはりしっくりくるかもしれないが、日本でおなじみの単語ではないので『セッション』となったのだろう。
ちなみに、『愛と青春の旅だち』の原題は“An Officer and a Gentleman”。
それになぞらえて、こんなタイトルはどうだろう。“A Psychopath and a Dictator”。
ちょっと芸がない。
それならば邦題は…、『魂と狂乱の激突』……、やっぱり無理だ。
拳をぐっと握って何かを止めたくなる度:★★★★★
(text:神原 健太朗)
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恐怖との戦い
正直言ってジャズのことなど何も分からない。ましてやドラムのことだってよく知りはしない。ジャズドラムのスティックの持ち方が違うことだって『セッション』を観て初めて気がついたくらいには、何も知らない。
だけどオモシロイ。
いや、だからオモシロイ、のかもしれない。
ジャズ・ミュージシャンであらせられる某・菊地さんがこの映画をこき下ろしていらっしゃるように、本作はジャズに精通、もしくはプロの方々からすると怒り心頭なくらい実状とはかけ離れているようだ。
それだけは何となくわかる。
だがこの映画は「ジャズがどういったものか」を伝えるために作られたわけではないし、それどころか見終わった後には音楽の映画ですらなかったように感じられるような作品だ。
これは監督であるデミアン・チャゼルが「音楽を介しての恐怖」を描きたかったとコメントしているように、その恐怖との戦いの映画になっているのだ。
音楽を介しての恐怖は、音楽教師のフレッチャーに集約されている。
怪物然としたフレッチャーと、それに食らい付き食い尽くそうともがく主人公ニーマンのボクシングであり、プロレスであり、喧嘩であり、戦争の映画なのである。
なので「ジャズはよく分からないから」と敬遠する必要はないし、むしろジャズを知らない人ほど純粋に楽しめる作品になっている。
それがジャズミュージシャンからは嫌われる要因のひとつになっているのかもしれないが、それでも映画作品として楽しめるようになっていることには違いない。
フレッチャー先生怖い度:★★★★☆
(text:くりた)
サスペンス、ホラー映画にはサイコパスや怪物が登場することが多い。1人(1匹?)でも充分に話は成立する。2人なら、さらにパワーアップしそうなものだが、『フレディVSジェイソン』(2003)のように、おバカ作品的扱いを受ける場合もある。しかし所謂サスペンスでもなく、2人のサイコパスが登場しながら、鑑賞後も余韻に浸り、しばらく座席を離れたくなくなる作品があれば素敵ではないか。それが『セッション』だ。
主要人物2人は名門音楽大学講師フレッチャーとドラマー志望の新入生ニーマンで、音楽(ミュージック)サイコパスとでも呼ぶべきか。ニーマンは、音楽史に残る逸材を育てるという、フレッチャーの狂人的指導により、元来持っていた資質が完全覚醒してしまうのだが、サイコパス同士が争うのだから、セッションどころではなく、戦(いくさ)となる。その他登場人物やサイドストーリーは極端に影が薄く、2人のバランスの狂った内面がそのまま投影されているかのようだ。しかし、緊迫したやり取り、常軌を逸した行動が映像として、時に心の経絡秘孔を突いてくる。また同時に、両者間に介在する音楽により、音の波動、振動も身体に降り注ぐ。ドラムだからこそ為せる技かもしれない。
芸術を極めるのに艱難辛苦が伴うのは想像できるとしても、完全にフィクションでしかありえない設定、展開であり、逆にフィクションだからこそ、ここまで出来たともいえる。まさにスクリーンで体験すべき「劇映画」である。
★★★★☆
(text:今泉 健)
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『セッション』
監督/脚本
デイミアン・チャゼル
製作総指揮
ジェイソン・ライトマン
製作
ジェイソン・ブラム
撮影
シャロン・メール
編集
トム・クロス
美術
メラニー・ペイジス・ジョーンズ
音楽
ジャスティン・ハーウィッツ
キャスト
マイルズ・テラー - アンドリュー・ネイマン
J・K・シモンズ - テレンス・フレッチャー
ポール・ライザー - ジム・ネイマン
メリッサ・ブノワ - ニコル
オースティン・ストウェル - ライアン
ジェイソン・ブレア - トラヴィス
カヴィタ・パティル - ソフィー
コフィ・シリボー - グレッグ
スアンネ・スポーク - エマおばさん
エイプリル・グレイス - レイチェル・ボーンホルト
作品情報:名門音楽大学に入学したニーマン(マイルズ・テラー)はフレッチャー(J・K・シモンズ)のバンドにスカウトされる。ここで成功すれば偉大な音楽家になるという野心は叶ったも同然。だが、待ち受けていたのは、天才を生み出すことに取りつかれたフレッチャーの常人には理解できない〈完璧〉を求める狂気のレッスンだった。浴びせられる罵声、仕掛けられる罠…。ニーマンの精神はじりじりと追い詰められていく。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーが目指す極みへと這い上がろうともがくニーマン。しかし…。
公式ホームページ:http://session.gaga.ne.jp
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