2015年6月19日金曜日

映画『サンドラの週末』text加賀谷 健

「サンドラに魅せられて」


 映画は、ベッドに身を沈める一人の女性の寝顔を捉えたショットから始まる。携帯電話が鳴り出すと、その女性は気だるそうな表情を浮かべながらも起き上がり、電話を片手にキッチンで子どものためだというタルトの焼き具合を確認する。だが、その様子を捉えたロング・ショットはどこか不吉な雰囲気を漂わせている。女は、電話先の相手から職場を解雇されるかもしれないという報せを受け、再びベッドに身を沈める事となる。すると、家の中には夫らしき男性が慌ただしく駆け込んでくる。男は、鍵のかけられた部屋のドアをノックしながら「サンドラ」と何度もその名を呼び続ける。日常の中にふと訪れる環境の変化。ダルデンヌ兄弟の作品に相応しい導入部である。

 かくして「サンドラの週末」はこれからの生活を左右する重大な二日間となるのだが、ダルデンヌ兄弟はあらゆる映画的細部を「失業」という現代ベルギーがかかえる社会問題を暴き立てるために構築しようとはしない。専ら、一人の女性の魅力ある姿を捉える事に徹しているのである。

 例えば、サンドラが職場の同僚の住むアパートを訪れる場面。インターフォンを押したサンドラは、アパートの上層へ視線をむける。激しい日光に照らされた彼女の額からは汗が流れ落ちる。その一粒一粒、さらには汗を流す彼女自体が言葉では言い表せぬ感動を観る者に喚起する。サンドラがあちこちを歩き回ったり、水を呑んだり、ふとどこかへ視線をすべらせたりするだけで、我々観客の頭からは、時折、画面をちらつく現代ベルギーの「失業問題」が嘘のように消え去るのである。そう人に思わせる何かが「サンドラ」という美しい響きの名を持つフランス人女性にはあるのだ。

 実際、サンドラが訪ね回る同僚達は皆そろって、その美しい響きを必ず口にする。説得しに行った相手の反応の善し悪しに関わらず、決まって彼らは立ち去ろうとする女性に「サンドラ」と一声かけるのである。呼び止められた彼女は無論、声の主の方へ振り返るのだが、その瞬間の彼女の何気ないかに見える表情は、まるで時が止まり重力に逆らうかのようにして観る者の瞳に肉迫する。ことによったら、それは、この映画で最も感動的と言える瞬間かもしれない。

  だが、冒頭でタルトを焼き上げていた女性は結局の所、その職を失ってしまう。こうなるであろう事は初めから予想しなかったでもないが、映画の終わりで放浪者チャプリンさながらに遠くまでのびる道を進んでゆくサンドラの姿を見て、観客は何を感じるのだろうか。この映画に感動を覚えたのであれば、心の中で「サンドラ」と思わずその名を呟いて、いや叫んでしまうはずである。


サンドラの魅力度:★★★★☆
(text:加賀谷 健)




映画『サンドラの週末』

2014/ベルギー=フランス=イタリア/95分

作品解説
体調を崩し、休職していたサンドラ。回復し、復職する予定であったが、ある金曜日、サンドラは上司から突然解雇を告げられる。 解雇を免れる方法は、同僚16人のうち過半数が自らのボーナスを放棄することに賛成すること。 ボーナスか、サンドラか、翌週の月曜日の投票に向けて、サンドラが家族に支えられながら、週末の二日間、同僚たちにボーナスを諦めてもらうよう、説得しに回る。

出演
サンドラ:マリオン・コティヤール
マニュ:ファブリツィオ・ロンジォーネ
エステル:ピリ・グロワーヌ
マクシム:シモン・コードリ

スタッフ
監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
助監督:カロリーヌ・タンブール
撮影監督:アラン・マルコアン(s.b.c)
カメラマン:ブノワ・デルヴォー
カメラマン助手:アモリ・デュケンヌ
編集:マリ=エレーヌ・ドゾ
音響:ブノワ・ド・クレルク
ミキシング:トマ・ゴデ
美術:イゴール・ガブリエル
衣装:マイラ・ラムダン=レヴィ
メーキャップ:ナタリ・タバロー=ヴュイユ
ロケーション・マネージャー:フィリップ・トゥーサン
ユニット・プロダクション・マネージャー:フィリップ・グロフ
スチール:クリスティーヌ・プレニュヌ

制作:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ、ドニ・フロイド
エグゼクティヴ・プロデューサー:デルフィーヌ・トムソン
共同製作:ヴァレリオ・デ・パロリス、ピーター・ブッケルト
製作協力:アルレッテ・ジルベルベルク

公式ホームページ:http://www.bitters.co.jp/sandra/

劇場情報:Bunkamura ル・シネマ、他、劇場にて公開中

0 件のコメント:

コメントを投稿