2015年7月22日水曜日

フランス映画祭2015 映画『ヴィオレット』(原題) text佐藤 奈緒子

「トークショーゲスト: 監督マルタン・プロヴォ/女優エマニュエル・ドゥヴォス」


本作はフランスに実在した女性作家ヴィオレット・ルデュックの半生を描いた伝記映画である。ヴィオレット(エマニュエル・ドゥヴォス)は両親に愛されずに育った孤独を抱える女性。だが彼女には小説を書く才能があった。第二次大戦中は闇市で生計を立てながら地道に文章を書き溜め、いつしかボーヴォワール(サンドリーヌ・キベルラン)に認められるようになる。文壇は彼女をすぐには受け入れなかったが、誰かに認められたい、愛されたいと願うヴィオレットはもがき苦しみ、自身の恋愛を赤裸々に描いた小説を発表することでようやく世間に認められていくのだが……


女性が自立することの難しかった20世紀半ば、父親に認知されず母親の愛に飢え、夫にも恵まれないヴィオレットは自立を強いられる。その過酷な環境や葛藤は結果として彼女の才能を育んだ。敷かれたレールのない人生が彼女をつまらない常識から解放し、愛への渇望が奔放な恋愛体験へと結びつけた。思想もビジョンもない彼女が結果的にフェミニズムの礎となったボーヴォワールにたどり着く奇跡的な巡り合わせは、ヴィオレット自身が切り開いた道でもある。その生き様はしかし、一言で言って痛い。自分を受け入れることのない男や女に期待して纏わりついて追いすがる、 結果自分を傷つける行動にばかり走るヴィオレットは、さながら自傷癖のある女。しかし彼女のなりふり構わぬ愛への渇望を痛々しく感じるのは、自分の中の小さなヴィオレットが同じ痛みを感じるからかもしれない。


マルタン・プロヴォ監督は映画『セラフィーヌの庭』に続き、再び、ひたむきで清らかな魂によって徐々に才能を認められていく女性アーティストを描いた。上映後に催されたトークショーで、監督がボーヴォワールをヴィオレットの「父親代わり」と評したのは興味深い。庇護者となる男性がいないヴィオレットの生き方がボーヴォワールを引きつけ、彼女の思想にも少なからぬ影響を与えたとも考えられる。ヴィオレット役にエマニュエル・ドゥヴォスを選んだことについて監督は「最初から彼女しかいないと思っていました。最初に、顔を醜くしてもいいかと聞いたら、女優にとってはプレゼントのようなものだと答えてくれました」と言っている。
確かに本作のエマニュエルは美しくない。もともと一度見たら忘れられない印象を残す彼女だが、どこをどうメイクしたのか、本作では顔にコンプレックスを持つヴィオレットに説得力を与えている。そのギャップもあってか、同じくトークショーに登壇した今年のフランス映画祭の団長であるエマニュエルの美しさには驚いた。作中のヴィオレットとはまったく異なる優雅で気品ある姿はまさにフランスの大女優の名にふさわしい。
彼女は演じた役について「男でも女でも絵画でも文学でも、アートで苦悩を乗り越える姿が素晴らしいと思います」と語った。

監督と女優が口を揃えて言っていたのは、現在では忘れ去られてしまったヴィオレット・ルデュックという作家の文章が非常に美しいということ。もし日本語訳で体験できるならぜひ一読してみたい。

痛さに共感度:★★★☆☆
(text佐藤 奈緒子)



『ヴィオレット(原題)』
原題:VIOLETTE 
フランス映画|2013年|仏語|カラー|1:1.85|5.1ch|139分|DCP
日本語字幕:松岡葉子

作品解説
『セラフィーヌの庭』でセザール賞最優秀作品賞に輝いたマルタン・プロヴォ監督が、“ボーヴォワールの女友達”と呼ばれた実在の女性作家、ヴィオレット・ルデュックの半生を描く。私生児として生まれたヴィオレットは作家モーリスと出会い、やがて小説を書き始める。ボーヴォワールを訪ね才能を見いだされるが、ヴィオレットの小説は大きなスキャンダルになりパリ文学界に大きな衝撃を与える。当時の社会に受け入れられず、愛を求める純粋さゆえに傷ついた彼女は……。生涯にわたり続いたボーヴォワールとの関係を中心に描かれ、背景となる40〜60年代の文学界の様子や、戦後パリの新しい文化の胎動も見所の一つとなっている。

出演
エマニュエル・ドゥヴォス
サンドリーヌ・キベルラン
オリヴィエ・グルメ
ジャック・ボナフェ
オリヴィエ・ピィ

監督:マルタン・プロヴォ

作品情報(フランス映画祭2015の作品ページより)
http://unifrance.jp/festival/2015/films/film08

劇場情報:12月岩波ホールほか全国順次公開
配給:ムヴィオラ
© TS PRODUCTIONS - 2013

フランス映画祭2015
6月26日(金)~29日(月) 有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇(東京会場)にて開催!
公式サイト : http://unifrance.jp./festival/2015/

関連レビュー:
フランス映画祭 
フランス映画祭2015試写〜映画『ヴィオレット』text藤野 みさき 

2015年7月19日日曜日

フランス映画祭2015〜映画『アクトレス〜女たちの舞台〜』text岡村 亜紀子

「青い小鳥よ いずこに」


 この文章を書いていたわたしの脳内に、アニメ『銀河鉄道999』の同名オープニング曲の歌詞がふと浮かんできた。

ひとは誰でも しあわせさがす
旅人のようなもの
希望の星に めぐりあうまで
歩きつづけるだろう *
 
 映画は国際的に活躍する実力派女優のマリア(ジュリエット・ビノシュ)が、魅力的な若い女性シグリッド役でかつて彼女をスターダムに押し上げた舞台、『マローヤの蛇』の作者である劇作家ヴィルヘルムの受賞式に出る為に、マネージャーであるヴァレンティーヌ(クリステン・スチュワート)と、列車でヨーロッパを移動している場面から始まる。

 クリステン・スチュワートが演じるヴァレンティーヌは、あまり化粧っ毛が無く飾らない雰囲気の女性で、タブレットを駆使しながら大女優であるマリアをサポートする姿は、大女優マリアと観客とをつなぐ架け橋のような身近な存在として映る。彼女とマリアとの間には、大女優とそのマネージャーという関係から想像する主従関係というより(チューリッヒで授賞式に出たマリアがヴァレンティーヌの計らいによって若手の演出家と会い『マローヤの蛇』の再演依頼のオファーを受けたりもしていて)まるでパートナーのような対等な関係が成立しているように見える。とは言え、ヴァレンティーヌはマリアに対して率直な意見やアドバイスを言いながらも、年齢の違いから起こる感覚の違いに苛立ち、こっそり舌打ちをしたり不満を呟いたりもしつつ、現代的なバランス感覚で、雇用主であるマリアに対処している。

 原題(『Sils Maria』)でもある地名シルス・マリアは、スイスのグラウビュンデン地方のユリア峠とマローヤ峠の間にある、湖に挟まれたシルスという村の一画である。バゼリアとマリアという2つの地区に分かれ、大きい湖、谷、山々が美しい風景からは、マイナスイオンが溢れて来そうである(芸術家たちがインスピレーションや安らぎを求めて訪れる地としても知られている)。マリアは授賞式の後、シルス・マリアにあるヴィルヘルムのコテージで、ヴァレンティーヌと2人で籠り、台詞の読み合わせを行ったり、ハイキングをしたりしながら役作りをする。そこには幻想的ムードを持つ美しい風景と共に、現実と切り離されたマリアの為の時間が映し出されている。

 この地でのマリアは大女優ではなく対ヴァレンティーヌとしての一個人としてあり、女優としての自分を持つひとりの女として、様々な人間的感情を覗かせる。マリアとヴァレンティーヌの別荘でのひととき、湖で水浴びをするなどの楽しい瞬間(シーン)の幕引き(カット変え)の性急さが何度か繰り返され、何か別の出来事が水面下で起こっているような不穏な感覚を覚える。台詞合わせを行う2人のやりとりでは、そのやりとりは台本の台詞なのか、それとも2人の現実での会話なのか、曖昧さを伴って緊張感が漂い、現実と物語の世界との境界線を曖昧にして行き、一体何を観ているのか、そんな問いがふと頭を過る。

 そして後に起こるある不思議な出来事をもって、この地でのヴァレンティーヌは、マリアの孤独が生み出した幻だったのでは無いかという考えが起こる。その現代性や積極性、リスクを恐れぬ若さや飾らない様子はマリアの中に知らないうちに芽生えた欲求で、マリアに対するヴァレンティーヌの抱く不満さえ、かつてマリアが感じ取っていた感情の合わせ鏡のようなものなのではないかと。ヴァレンティーヌに対して、マリアはあくまで悠然と構えている様に見えながら、彼女の意見を受け入れ、影響され、時に甘える。「あなたが必要なのよ」と。それはまるで、ビジネスの相手ではなく、母親が娘に対して接している様な姿にも映る。そしてそれは、なぜか少し寂しい。

 映画を通してずっとマリアが孤独に見えたのはなぜなのか。舞台稽古が始まり、マリアはかつて自分が演じたシグリッド役のジョアン(クロエ・グレース・モレッツ)に、ある場面の舞台の演出上の意図の理解を得ようと話しかける。マリアは再演にあたりシグリットに破滅させられる上司の中年女性ヘレナを演じており、舞台の筋書きと同じ様に、手のひらを返したジョアンに冷たくあしらわれてしまう。そこで思うのは、かつてのマリアはジョアンであったかもしれず、ジョアンはいつかマリアになるのもしれないという時間がもたらす人に起こっていく変化である。これまでの作品と同様にオリヴィエ・アサイヤス監督の映画の舞台はグローバルな幅を持っているが、さらに視線は人の内面である個人的な内面世界へと向けられている。今作では三人の女性を主軸に、画面には出てこない劇作家ヴィルヘルムの一生を垣間見せながら、人間の一生の内に積み重なって行く時間が描かれ、マリア(あるいはヴィオレンティーヌ)を通して、周囲との間に常に起こる自身の変容も描かれている。内面世界とその外側の間にあるものは、目に見えぬ境界であり大仰に言えばひとつの国境だ。今作はその境界内について描かれている、最小単位の世界の物語でもある。そこには誰にも個人的な歴史がある。誰も自分のものには出来ぬけれど、その誰かの幻の集合のようなものが陰の様に、人生の傍らには寄り添う。

 この映画にはメインキャスト3人の、キャスティングの妙がある。主演マリアの役柄は国際的に活躍するジュリエット・ビノシュ本人とおのずと重なる。ハリウッドの注目の若手女優ジョアンは、まるで設定を写したようなクロエ・グレース・モレッツが演じ、クロエのジョアンがパパラッチの標的になるシーンはリアルに感じられるが、実際にはクロエよりもヴァレンティーヌ演じるクリステン・スチュワートが共演者との恋愛によってパパラッチの標的になってきたイメージが強く、少し強引に言えばクロエは家族にサポートされて子役からキャリアをスタートしており、マリアとヴァレンティーヌの2人の関係性は、彼女と家族のそれと類似しているのではないだろうか。本編には直接関わりのない、演じた役柄と本人像が近いという背景の部分が、物語の中で覚えた感覚と同じ様に、映画と現実の世界とが入り交じった様な感覚を与え、映画の中に現実の彼女たちを思わずにはいられない。

 舞台は始まったら必ず幕が引かれるものだ。その道筋をマリアはどうやって歩いて行くだろうか。何層にも重なる登場人物たちのストーリーにその実際の背景が呼応して、幾度となく物語を反芻してしまう。

冒頭で引用した『銀河鉄道999』の歌詞は、こう結ばれている。

きっといつかは 君も出会うさ 青い小鳥に *

シルス・マリアにいた青い小鳥は、マリアの中にいるのかも知れない。




上映後にはオリヴィエ・アサイヤス監督のトークショーが行われた。

Q.「2010年に70年代のゲリラのテロリストを描いた『カルロス』、その後2012年に『五月の後』という五月革命の後の世代を描いた青春映画がありましたが、その後に女性映画を作るということになった考えといきさつを教えてください。」

A.「70年代を描くもの(『カルロス』、『五月の後』)で、その時代の人物について語りたい事を尽くしたため、新しいものを作りたいと思いました。ジュリエット・ビノシュとは以前から一緒に作りたいと話しており、2人の気持ちが一致して映画が出来ました。」

Q.「脚本は、ジュリエット・ビノシュと一緒に作り上げたのですか?」

A.「そうではありません。ある時ジュリエットから、“わたしたち2人の関係を表すような映画をつくってはどうか”という提案がありました。わたしたちは電話でのやり取りで映画についてのイメージを語り合い、彼女のこの作品についてのイメージを聞いて、わたしたちの人生にしみ込んだ時間、過ぎた長い時間、変わって行く時間について語る映画が撮れるのではと思いました。ジュリエットとは定期的に会って話していましたが、何がテーマの映画になるのか彼女は脚本が出来るまで知りませんでした。」

Q.「クリステン・スチュワートの起用過程を教えて下さい」

A.「彼女は『トワイライト』シリーズとメディアによって有名になったかも知れないが独特の存在感があると思っていました。『イントゥ・ザ・ワイルド』に5分程出演しているのを見て、忘れられない存在となりました。カメラ写りの良さが素晴らしい、アメリカ映画では希有な女優です。」

「今まで彼女にもたらされなかった事、自由を与え、自分自身を発見し理解する事を、高額な報酬も居心地の良さも無いインディペントな映画の現場において、自分が与える事が出来るのではないかと思ったし、現実にそうすることが出来たと思っています。」

「今回の映画によって彼女は新しい扉を開きました。彼女は彼女自身が想像しているよりも息の長い素晴らしい女優になると思います。」

クリステン・スチュワートは本作で米国人女優初のセザール賞助演女優賞を受賞しており、監督の言葉が現実になるであろうと感じられた。

また、ジュリエット・ビノシュとクリステン・スチュワートの相性と、2人の関係が作品に与えた影響については、

「本当にこの2人が上手く行くかというのは、本質的な問題でした。2人の関係が上手く行かなかったら作品はダメになっていたでしょう。クリステンはジュリエットを、自由に強く女優を続けている先輩として、彼女にその姿勢を学びたいと思っていたようです。ジュリエットは、クリステンは若いけれど、映画に対する情熱の持ち方に感心していました。彼女たちは、お互いに刺激を与え合い、いい意味での競争心があるバランスが取れていた良い関係でした。」

と答えられていて、それほど2人の関係が今作で重要であったことを思わせられた。

『アクトレス〜女たちの舞台〜』という邦題やシャネルが特別協力したという華やかな衣装が話題を呼び、女性雑誌などで特集されそうな気配があり、女性からの関心が高まりそうだ。トークショー時には年配の方から若い方まで男性が熱心に監督に質問をしていた。是非、男性も多く劇場に足を運んでみてほしい。

映画祭の熱狂の中、日本で産声を上げたばかりの映画を観る喜びと、帰りしなに何度も観客席に向かってお礼をするアサイヤス監督の人柄に触れ、貴重な時間を持つことが出来た幸せに感謝を添えて。







*橋本 淳作詞『銀河鉄道999』より引用

(text:岡村 亜紀子)

関連レビュー:フランス映画祭2015〜映画『ティンブクトゥ』(仮題)text井河澤 智子





映画『アクトレス』

原題『Sils Maria』

作品解説
大女優として知られるマリアは、忠実なマネージャーのヴァレンティーヌとともに、二人三脚で日々の仕事に挑んでいた。そんな中、マリアは自身が世間に認められるきっかけとなった作品のリメイクをオファーされる。しかし、そのオファーは彼女が演じた若き美女の役柄ではなく、彼女に翻弄される中年上司の方。主人公役は、ハリウッドの大作映画で活躍する今をときめく若手女優だった…。


出演
ジュリエット・ビノシュ、クリステン・スチュワート、クロエ・グレース・モレッツ

スタッフ
監督:オリヴィエ・アサイヤス
脚本:オリヴィエ・アサイヤス
制作:シャルル・ジリベール

受賞歴
2015年セザール賞助演女優賞受賞

配給:トランスフォーマー

2015年秋、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次ロードショー

ホームページ:http://unifrance.jp/festival/2015/films/film07

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「フランス映画祭2015」

【開催概要】
日程  : 6月26日(金)~29日(月)
会場  : 有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇(東京会場)
団長  : エマニュエル・ドゥヴォス(『ヴィオレット(原題)』主演女優)
公式URL: http://unifrance.jp/festival/2015/

主催:ユニフランス・フィルムズ
共催:朝日新聞社
助成:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
協賛:ルノー/ラコステ
後援:フランス文化・コミュニケーション省-CNC
特別協力:TOHOシネマズ/パレスホテル東京/全日本空輸株式会社
Supporting Radio : J-WAVE 81.3FM
協力:三菱地所/ルミネ有楽町/阪急メンズ東京
運営:ユニフランス・フィルムズ/東京フィルメックス
宣伝:プレイタイム

2015年7月16日木曜日

映画『雪の轍』text高橋 雄太

「雪の下には…」


私がトルコに行ったのは、もう八年くらい前だろうか。九月のカッパドキアは暑く、乾燥していた。宿の人やガイドさんは、私を温かく迎えてくれた。
だが、映画『雪の轍』には、私の経験とは全く異なるカッパドキアが存在している。その中では、秋から冬にかけての寂しさと人間の裏表が、196分にわたって描かれている。

元・俳優で初老の男性アイドゥン(ハルク・ビルギネル)は、ホテルを経営する実業家であり、文筆家でもある。慈善事業に熱中する若く美しい妻ニハル(メリサ・ソゼン)、妹ネジラ(デメット・アクバァ)と裕福な生活をおくっている。表向き、アイドゥンの生活は不自由のないものに思える。
だが、アイドゥンへの家賃を滞納しているイスマイル(ネジャット・イシレル)らとのトラブル、そして家族内のすれ違いが表面化する。 

カッパドキアの奇岩、馬の捕縛シーンにおける荒野、後半に登場する雪原。屋外の雄大な風景がシネマスコープサイズの横長の画面に広がる。その一方で、屋内は狭く、調度品や本で満載、明暗のコントラストが目立つ。
空間の内と外が対照的であるように、人間にも対照的な面がある。すなわち裏表だ。
イスマイルの弟でありイスラム教の導師ハムディは、富裕なアイドゥン一家に低姿勢で、トラブルの釈明をする。だが、アイドゥンから一歩離れれば「なんて奴らだ」と悪態をつく。
アイドゥンらも、ハムディやイスマイルの息子イリヤスと会うときは大らかな態度を見せている。しかし実際にはアイドゥンもイスマイル一家への悪意を持っており、彼らの訪問に対して居留守を使い、導師ハムディへの攻撃を記事に書く。
そもそもアイドゥンは俳優であり、現実/演劇の二面性を体現していた男だ。また書斎には、本当の顔を隠す道具=仮面が飾られている。人間の裏表を知るアイドゥンは、妻ニハルの慈善事業に首を突っ込み、彼女の協力者にも疑いの目を向ける。

裏表だらけの人間関係の中、裏表を見せない人物が二人いる。トラブルの元であるイスマイルと息子のイリヤスだ。
イリヤスはアイドゥンの車に投石して窓を割る。イスマイルは自宅の窓を素手で割る。彼らにとって、内と外の境界は壊すべきものであり、それと同様に裏と表の二面性もない。
イリヤスはアイドゥン宅に訪問し、アイドゥンへの謝罪の接吻を要求される。だが彼はアイドゥンらの目の前で失神し、結果的に接吻を拒否する。終盤、イスマイルは、ニハルの慈悲をニハル本人の前で拒絶する。

だがアイドゥンたちは、イスマイルのようには生きられず、裏表を抱えるしかない。 
彼らの人間性は自然と共にある。例えばアイドゥンによる馬の捕縛と解放、狩ったウサギを持ち帰ること。この動物の扱いは、アイドゥン自身の内と外との往復そのものであり、家族との距離も示す。また、終盤に降り積もる雪は画面を美しい純白にする。しかし、雪の下には黒い土があり、「雪の轍」からは土が露出する。表面上の美しさの裏には黒いものがある人間と同じく。
アイドゥンが家族(主にニハル)との関係を解消してしまうのか、それとも裏表、愛憎を抱えるのが人間だという納得と諦めの中で生きていくのか。動物、雪と土といった自然は、彼の選択と対応している。

美しいカッパドキアにおける、決して美しいだけではない人間の姿。
見ごたえは十分。だが196分は長すぎる。

カッパドキアに行きたくなる度:★★★☆☆
(text:高橋 雄太)


映画『雪の轍』

2014年/トルコ・フランス・ドイツ/196分/

作品解説
世界遺産のトルコ・カッパドキアに佇むホテル。親から膨大な資産を受け継ぎ、ホテルのオーナーとして何不自由なく暮らす元舞台俳優のアイドゥン。しかし、若く美しい妻ニハルとの関係はうまくいかず、一緒に住む妹ネジラともぎくしゃくしている。やがて季節は冬になり、閉ざされた彼らの心は凍てつき、ささくれだっていく。善き人であること、人を赦すこと、豊かさとは何か、人生とは? 他人を愛することはできるのか―。

出演
アイドゥン:ハルク・ビルギネル
ネジラ:デメット・アクバァ
ニハル:メリサ・ソゼン
イスマイル:ネジャット・イシレル

スタッフ
監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
脚本:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、エブル・ジェイラン
制作:ゼイネプ・オズバトゥール・アタカン
原案:アントン・チェーホフ

公式ホームページ:http://bitters.co.jp/wadachi/

劇場情報:角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館、ほか全国公開中

2015年7月15日水曜日

映画『海街Diary』text今泉 健

Fairy Tale


Fairy Tale / おとぎ話 :子供と家庭のための童話。民話。民間に語り継がれてきた昔話や伝説、民譚、民間説話(新潮現代国語辞典より) 

 三姉妹で暮らす家に腹違いの妹が加わり四姉妹になる物語だ。綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず、皆美人である。周りの女優も樹木希林は別格としても総じて綺麗で、特に風吹ジュンは美しい。吉田秋生の同名の漫画原作は未読だが、頭をよぎったのは江口寿史の『可愛い子の渡る世間に鬼はいない』という別の短編マンガ。「鬼はいない」というと言い過ぎになってしまうが、救いの手は伸びるので、当たらずとも遠からずである。そういえば、清涼飲料水の宣伝で江口寿史は広瀬姉妹の似顔絵を描いていた。

 月並みな言い方だが、誰が映っても美しいということで、画面が綺麗になると認識させられた。また感覚的なものだが、女優が張り合っている様子を感じず、チームワークよく、各々の役割に専念しているように見えた。インタビューからするとそのような撮影現場だったようだ。四姉妹は真っ直ぐに生きてる感じで、昭和の女優のように汚れた感じや妖艶さはないが、鎌倉の四季の風景と日本家屋の陰影にも馴染んでいたと思う。そしてその美人達の周りには、モデルのようなイケメンではなくても、イケてる男達が集まってくる。この段階で「けっ<(`^´)>」と思いそうなものだが、淡々とした話しながらテンポの良い展開で、スクリーンに集中できた。

 設定は原作のままだそうだが、あり得ないおとぎ話的なイメージを感じる。特にお葬式や法事の場面が3回あるが、長女次女の喪服姿はコスプレの域だった。これもおとぎ話たる所以である。是枝裕和監督はおとぎ話作家だと思う。「そして父になる」、「空気人形」、「奇跡」にしても、出世作「誰も知らない」にしても日常的な設定を、話の展開でデフォルメして観客の心に訴えてくるところはこの作品でも当てはまっていた。

女優たちの美人度:★★★★☆
(text:今泉 健)



映画『海街Diary』

2015/日本/126分

作品解説

鎌倉に暮らす三姉妹の幸、佳乃、千佳は15年前に家を捨てた父の訃報を受ける。葬儀に出席した3人はそこで異母姉妹のすずと出会う。母親も既に他界していたため、身寄りのない彼女を引き取る提案をし、4人で暮らし始めるが…

出演

香田幸:綾瀬はるか
香田佳乃:長澤まさみ
香田千佳:夏帆
浅野すず:広瀬すず

スタッフ

監督・脚本:是枝裕和
原作:吉田秋生
制作:石原隆、都築伸一郎

公式ホームページ:http://umimachi.gaga.ne.jp/

劇場情報:全国のTOHOシネマズ、イオンシネマ、ユナイテッドシネマの系列映画館で上映中

2015年7月12日日曜日

フランス映画祭2015〜合同取材〜ユニフランス代表 イザベル・ジョルダーノ氏 text藤野 みさき

『ユニフランス代表 イザベル・ジョルダーノ氏合同取材』text藤野 みさき


今年で23回目を迎えるフランス映画祭。本映画祭に伴い、2015年6月26日(金)、パレスホテル東京にて、ユニフランス代表であるイザベル・ジョルダーノ氏の合同取材が行われた。
 
代表に就任する前は、20年間に渡りジャーナリストとして活躍。幼い頃から映画が好きで、中学・高校時代は学校が終わると週に3回ほど映画館に足を運んでいたという、ジョルダーノ氏。ジャーナリストとして活動をしていた頃は、取材する立場だった彼女にとって、「私が現在のフランス映画界を代表する、オリヴィエ・アサイヤス監督や、女優のエマニュエル・ドゥヴォスさんと共に来日できるとは思ってもみませんでした。」と、今回の来日を感慨深く述べてくれた。



Q:私は昨年のフランス映画祭で上映された『スザンヌ』(*1)という映画を観て、とても感動しました。日本において本作は映画祭のみでの上映でしたが、日本ではまだ知られていない素晴らしい作品や監督も沢山いらっしゃるかと想像します。今後、ジョルダーノさんが日本において紹介したいと願う、作品、監督がいましたら、教えていただけないでしょうか?

A:『スザンヌ』は、私も好きな映画です。まず、この映画祭で他では観ることの難しい作品を観ていただけたことを、とても嬉しく思います。映画祭のラインナップのバランスを考えるとき、まだ配給の決まっていない作品を、2つは入れるように心掛けているのです。今年は『ヴェルヌイユ家の結婚協奏曲』と『夜、アルベルティーヌ』ですね。フランスにも才能に溢れる若手監督は多いのですが、強いて一人挙げるのでしたら、私はエマニュエル・ベルコを推したいと思います。彼女は非常に才能豊かな女性監督であり、最新作である『La Tete Haute』(*2)は今年のカンヌ映画祭のオープニングを飾りました。日本には河瀬直美監督がいらっしゃいますが、私は若手の女性監督の描く鋭い視点や世界感に惹かれます。フランスでは、現在女性監督の割合が25%をしめており、この数字は世界で最も高い水準を誇っているのではないかと思います。

また、2015年のフランス映画祭の団長を務めるエマニュエル・ドゥヴォスについても、

「彼女はフランスではとても愛されている女優です。彼女が歩いていると、道行く人が彼女を呼び止め、『ありがとう。』と伝えるのです。『あなたが出演しているおかげで、私はこの映画に出逢うことが出来た。』と。エマニュエルは、映画を、役柄を選ぶことが、非常に上手な女優ですね。」

と、こころ温まるエピソードも語ってくれた。

大きな瞳に、優しいまなざし。質疑応答中はもちろん、瞳が合うといつも優しく微笑んでくれたことが本当に嬉しく印象的だった。私が質問の中で挙げた『スザンヌ』のカテル・キレヴェレ監督も女性であることから、今回の取材を通じて、現在のフランス映画界において女性監督が担うことの頼もしさをも感じることができた。『私たちの宣戦布告』(*3)で知られる、ヴァレリー・ドンゼッリ、本映画祭で上映される『夜、アルベルティーヌ』のブリジット・シィや、『EDEN/エデン』の監督である、ミア・ハンセン=ラヴ。実際今年のラインナップでは上映される12本中の3本が女性監督の作品であり、今後とも彼女たちの活躍から目が離せない。

現在日本では年間約40本のフランス映画が配給されている。その本数に対して、「もっと増やせると思います。」と、ジョルダーノ氏はつよく頷く。これからも日本にフランス映画を届け続けたい。という、彼女の願い。その想いは、彼女の物腰の柔らかい姿勢や、一呼吸置いた言葉の紡ぎ方、そして時に微笑みながら私達の質問に答えている様子から、とてもよく伝わってきた。
 
映画祭開催前の、小雨模様の昼下がり。大都会のオフィス街から離れた、閑静なホテルの一角にて、落ち着いた時を過ごすことができた。

1. 『スザンヌ』
監督:カテル・キレヴェレ
出演:サラ・フォレスティエ、フランソワ・ダミアン、アデル・エネル
2013年|フランス映画祭2014年にて上映

2. 『La Tête Haute/ラ・テートゥ・ウート(原題)』
監督:エマニュエル・ベルコ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ブノワ・マジメル他
2015年|2015年カンヌ映画祭オープニング作品

3. 『私たちの宣戦布告』
監督:ヴァレリー・ドンゼッリ
出演:ヴァレリー・ドンゼッリ、ジェレミー・エルカイム
2011年|2012年日本公開

PROFILE:
イザベル・ジョルダーノ Isabelle Giordano
ユニフランス・フィルムズ代表
1963年パリ生まれ。パリ政治学院を卒業後、ジャーナリストとして活躍。10年にわたってテレビ局で映画情報番組の製作とプレゼンターをつとめる。2009年、フランス芸術文化勲章オフィシエ受勲。2013年にレジオンドヌール勲章シュヴァリエ受勲。2013年9月よりユニフランス・フィルムズ代表に就任。フランス文化の海外での普及復興に力を注いでいる。

「フランス映画祭2015」

【開催概要】
日程  : 6月26日(金)~29日(月)
会場  : 有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇(東京会場)
団長  : エマニュエル・ドゥヴォス(『ヴィオレット(原題)』主演女優)
公式URL: http://unifrance.jp/festival/2015/

主催:ユニフランス・フィルムズ
共催:朝日新聞社
助成:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
協賛:ルノー/ラコステ
後援:フランス文化・コミュニケーション省-CNC
特別協力:TOHOシネマズ/パレスホテル東京/全日本空輸株式会社
Supporting Radio : J-WAVE 81.3FM
協力:三菱地所/ルミネ有楽町/阪急メンズ東京
運営:ユニフランス・フィルムズ/東京フィルメックス
宣伝:プレイタイム


2015年7月11日土曜日

フランス映画祭2015〜映画『ティンブクトゥ』(仮題)text井河澤 智子

「トークショーゲスト:アブデラマン・シサコ監督」


広大な砂漠に、伝統的な人形が並べられている。次々に撃ち抜かれ破壊される人形。
このシーンで、その後の物語は語られたようなものである。

マリ北部の村にイスラム過激派組織がやってくる。住民と同じイスラム教徒ではあるが、彼らは彼らによる解釈に基づく教えを正義であると信じ、市民に強いる。音楽を楽しむこと、サッカーをすること、煙草を吸うことは禁止。女性はチャドルで体を覆い、素手素足を曝すことも禁止される。武器を持ち足音高くその地のモスクに踏み込む過激派に、その地域の宗教指導者はこう諭す。「私たちは私たちのやり方で神に祈る」、と。

牛飼いは音楽家でもあり、ティンブクトゥ近郊の砂漠に居を構えている。妻と娘と少年と、静かに暮らしている。
住居のそばには河が流れ、対岸には漁師が住んでいる。

この映画は「様々な対立」の構造を内包している。同じ宗教を信じながら、相容れない考えを持った集団。牛飼いと漁師の間の緊張関係。それぞれの正義がある。穏やかに諭す現地の宗教指導者に対しても、過激派は淡々と、神の教えを解釈するのは我々であり、守らない者は鞭打ち、石打ちの刑を科す、と述べる。神の教えは彼らにとって人命に先立つものであった。市民たちは理不尽な刑を受けながらも誇り高く抵抗を示す。
しかし、過激派の教えは、当の過激派に属する兵士にも守りきることはできないほど厳格なものであった。象徴的な一本の煙草。

さて、街外れに住んでいた牛飼いはどうなったか。
彼もまた、過激派の力から逃れることはできなかった。

セザール賞を7部門受賞したこの映画は、2012年、監督が新聞で読んだ、石打で処刑されたマリのカップルについての記事に基づき、製作されたという。もともとマリには死刑制度はないが、この時期マリ北部を占拠していた過激派により、この事件は起きた。いくつかの死刑がこの物語にも現れるが、実はこれらは「法に基づく刑」というより「私刑」に近いものだったのではないだろうか。


アブデラマン・シサコ監督はこの映画についてこう語った。

「この映画は野蛮な行為に抵抗する映画です。イスラム教は野蛮な宗教ではありません。一部の人々が野蛮な行為をするのです。」

「暴力のシーンを見世物のように描くのは避けたかった。人の死を描くの血を見せる必要はありません。
重要なのは、"野蛮な行為をするのは、人間である、だから恐ろしい"ということです。」 

「シナリオはマリ北部が占拠されていた時に書きましたが、解放後色々な人から話を聞きました。
住民たちは"平和な抵抗"を行っていました。ボールなしでのサッカーのシーンや鞭打たれながら歌う女性の場面にそれを描きました。また、"平和な抵抗"は主に女性たち、強い女性たちによって行われていました」

監督が語るように、この映画は「女性の強さ」も非常に印象に残る。市民のしなやかな抵抗、女性たちの肝の据わった美しさにも、ぜひ注目してご覧頂きたい。


(text:井河澤 智子)


映画『ティンブクトゥ』(仮題)
原題:Timbuktu
2014/フランス・モーリアニア/97分

作品解説
2015年のセザール賞の7部門受賞、同年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート。世界遺産登録のマリ共和国の古都を背景に、音楽を愛する父と娘がイスラム過激派の弾圧に苦しみ、闘う姿を描いた感動作。
ティンブクトゥからそう遠くない街で、 家族と共に音楽に溢れる幸せな生活を送っていたギターンだが、過激派が街を占拠してからは彼らの法によって支配され、歌、笑い声、たばこ、そしてサッカーでさえも禁止され、毎日の様に悲劇と不条理な懲罰が待っていた。一家はティンブクトゥに避難するのだが、ある出来事によって彼らの運命は大きく変わってしまう。

出演
イブラヒム・アメド・アカ・ピノ
トゥルゥ・キキ
アベル・ジャフリ

監督:アブデラマン・シサコ

受賞歴
2015年 セザール賞 最優秀作品賞・監督賞・脚本賞・音楽賞・撮影賞・編集賞・音楽賞受賞
2015年 アカデミー賞®外国語映画賞ノミネート

作品情報(フランス映画祭2015の作品ページより)
http://unifrance.jp/festival/2015/films/film09

劇場情報:2015年公開予定

フランス映画祭2015 
6月26日(金)~29日(月) 有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇(東京会場)にて開催! 公式サイト : http://unifrance.jp./festival/2015/


2015年7月10日金曜日

映画『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』textくりた

「妄想活劇/エイジ・オブ・ホークアイ」


超大作の制作に際し、様々な大人の事情があることでしょう、それはわかります。
しかし、今回の作品は実に様々な超展開が巻き起こっていて理解と共感が難しい作品であったと言わざるを得ません。
誤解なきよう前もって明言しておきますと、本作は老若男女人種を問わず楽しめる、非常に愉快な娯楽作となっておりました。

ではそんな作品の一体何が理解できないか、共感が難しいかと言いますと、それはホークアイ(ジェレミー・レナー)に家族ができていたことですね、急に。それはもう予告を観た段階で「おやおや?」です!

しかしまた何故なのか? 理由が本当によくわかりません。

コミック版ではホークアイとブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)は恋に落ちるという設定で、しかも前作の『アベンジャーズ』ではそのニュアンスが僅かに引き継がれているようでした。そして『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』でもその雰囲気を匂わせていておいて、今回のこれですよ。本作では「色々あって隠してたんですよね」、的な説明がなされていましたが、それらのエピソードが全てなかったことになっているこの展開には度肝抜かされましたよ。

ホークアイさんどーなってるんですかこれは。
前作からこの間に一体何があったんですか!

これはもうホークアイとブラック・ウィドウの間で「実は俺、奥さんと子供がいるんだよね」というやり取りがあったようにしか思えません。そしてやけを起こしたブラック・ウィドウがその当てつけに、根暗で女性関係に奥手なハルク(マーク・ラファロ)を誘惑したようにしか見えません! そしてハルクもハルクで彼女がいたような気がします。『インクレディブル・ハルク』でのあの純愛はなんだったのか…ベティ(リヴ・タイラー)もマジ切れですよ!

そういえば『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の時もブラック・ウィドウはキャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)に対してちょっと思わせぶりな態度だったことを思い出しました。きっともうその時点でホークアイに妻子がいたことを知ってしまったためにあんなことをしてしまったのですね。
今ようやく腑に落ちました!

そうなのです、アベンジャーズ内の唯一まともそうなキャプテン・アメリカは、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の時に少しいい感じになれたブラック・ウィドウが、今回知らぬ間にハルクと急接近しているのを目の当たりにして「お似合いの2人だよ…」などとハルクを応援する始末。
哀れでなりません。
このどうかしている集団(アベンジャーズ)をまとめているキャプテン・アメリカが一番苦労しているのにその扱いは可哀想すぎやしませんか!

と、その代わりと言っては何ですが、女好きのアイアンマン(ロバート・ダウニーJr.)とモテモテのソー(クリス・ヘムズワース)が自分たちの彼女自慢で対抗意識を燃やすという一途さを垣間見せたりして、こっちはこっちで一体何を見せられているのか、という気持ちになりますね。このリア充2人だけはシリーズ通して平和です。アベンジャーズ内で修羅場が巻き起こっているなど知る由もないのです。

ところで肝心の本編はと言いますと、そんなどうかしている集団の一員であるアイアンマンが何となく開発したAIの自我が芽生えて暴走してみたりして、何だか色々大変な事態が巻き起こるわけなんですが、アベンジャーズ内の恋愛事情が複雑すぎてもうそんなことはこの際どうでもいいのです! そしてそっちの事件は何だかんだで丸く収まったようなので大変良かったです!

そんなことよりもブラック・ウィドウがホークアイに騙されて捨てられたんじゃないかと気が気じゃありません。
あんな誠実そうなのに、ホークアイさんひどすぎる!
そんなブラック・ウィドウは当てつけにアベンジャーズ内で奥手そうな男を2人も手玉に取って、しまいにはハルクをあんな谷底(?)に突き落としたりしちゃうんですよ!

ヒーロー活劇の裏側では昼ドラレベルの恋愛模様が渦巻いてるのです!
お忘れかも知れませんがこれはヒーローのお話ですよ、みなさん!
もうウルトロンどころの騒ぎじゃありません!
これは修羅場です!
そんなカオスな状況なのに1人で家に帰っちゃうホークアイさんはやっぱりひどいです!
「愛を知る全人類に送る」とはよく言えたもんです!
とにかくジェレミー・レナーさんひどい! でもかっこいい!
今後はもうこれ以上スカーレット・ヨハンソンさんがやけを起こさないような展開にしてあげて欲しいと願ってやまない作品でした!
次回作の『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』も楽しみにしています!

修羅場度:★★★★☆
(text:くりた)



映画『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』

2015/アメリカ/141分

作品解説
マーベルコミック原作の人気作品からヒーロー達が集結したアクション大作『アベンジャーズ』(2012)の続編。前作に続きジョス・ウェドンが監督、脚本を手掛け、主要キャラクター演じる豪華キャストも続投している。

出演
トニー・スターク/アイアンマン:ロバート・ダウニーJr.
ソー:クリス・ヘムズワース
ブルース・バナー/ハルク:マーク・ラファロ
スティーブ・ロジャース/キャプテン・アメリカ:クリス・エヴァンス
ナターシャ・ロマノフ/ブラック・ウィドウ:スカーレット・ヨハンソン
クリント・バートン/ホークアイ:ジェレミー・レナー
ピエトロ・マキシモフ/クイックシルバー:アーロン・テイラー=ジョンソン
ワンダ・マキシモフ/スカーレット・ウィッチ:エリザベス・オルセン


スタッフ
監督・脚本:ジョス・ウェドン
制作:ケヴィン・ファイギ
制作総指揮:ヴィクトリア・アロンソ、ジェレミー・レイチャム、スタン・リー、アラン・ファイン、ジョン・ファヴロー


劇場情報:全国のTOHOシネマズ系列で公開中

2015年7月3日金曜日

映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』text高橋 雄太

「バイオレンス駅馬車」


ゴダールは「男と女と自動車があれば映画ができる」と言ったという。
本作はそのテーゼを具現化した。しかも「目的地を目指す」と「追いかけっこ」という最も単純な形で。
男:マックス(トム・ハーディ)、ニュークス(ニコラス・ホルト)
女:フュリオサ(シャーリーズ・セロン)、妻たち
この男女の一団と、イモータン・ジョーなどの敵とが、追いかけっこをする。

アイアンマンが空を飛び、自動車がロボットにトランスフォームし、X-MENが超能力でバトルする21世紀。
生身の人間が改造車でカーチェイスするなど時代錯誤とも思える。
だが、単なる光の点にしか見えない弾丸やミサイル、光線を出すだけの超能力では、本作の迫力は得られない。
人が傷つけば血が出る。車がクラッシュすれば破片が飛び散り、砂煙が舞う。
『マッドマックス』では、そんな当たり前のことが画面狭しと繰り広げられる。
画面いっぱいに散乱するモノから、物質の体積や質量、materialとしての物質の存在感が伝わってくる。

おバカ映画、低IQと言うなかれ。
横と縦、近さと遠さの切り替えが、メリハリを生んでいる。
自動車の猛スピードの水平移動。そこにバイクがジャンプして爆弾投下。
さらに、棒飛び隊が上空で振り子運動する。
全編通じての横移動に、縦のアクションが加わるのだ。
クラッシュ時の目が飛び出る超クローズ・アップなど、過剰なまでの接近がある一方で、空撮による車列のロングショットもある。
遠近の視点で、状況説明と激しさを両立させている。

そしてシンプルさ。
冒頭に述べたように、乗り合わせた乗客が敵の追跡を振り切って目的地を目指すことが、本作のほぼ全て。
乗客に妊婦がいる。大切な荷物(本作では種子)を抱えている。
また、乗り物から乗り物へと飛び移る曲芸のようなアクションもある。
まるでジョン・フォードの『駅馬車』だ。
遠近の視点の使い分けも共通。
そこで、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を21世紀に生まれた「バイオレンス駅馬車」と勝手に認定しよう。

シンプル・イズ・ベスト度:★★★★★ 





『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

2015/アメリカ/120分

『マッドマックス』(1979)のシリーズ第4作。石油も水も尽きかけた世界。主人公は愛する家族を奪われ、本能だけで生きながらえている元・警官のマックス(トム・ハーディ)。荒野をさまようマックスは、資源を独占し恐怖と暴力で民衆を支配する凶悪なイモータン・ジョーに捕えられる。そこへジョーの右腕の女戦士フュリオサ(シャーリーズ・セロン)、配下の全身白塗り男ニュークスらが現れ、マックスはジョーへの反乱を企てる彼らと協力し、奴隷として捕われていた美女たちを連れ、決死の逃走を開始する。追いつめられた彼らは、自由と生き残りを賭け、決死の反撃を開始する!

出演
マックス:トム・ハーディ
フュリオサ:シャーリーズ・セロン
ニュークス:ニコラス・ホルト
イモータン・ジョー:ヒュー・キース=バーン
トースト:ゾーイ・クラビッツ

スタッフ
監督:ジョージ・ミラー
脚本:ジョージ・ミラー、ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラザリウス
撮影:ジョン・シール
美術:コリン・ギブソン
衣装:ジェニー・ビーバン
編集:マーガレット・シクセル
音楽:ジャンキー・XL
制作:ダグ・ミッチェル、ジョージ・ミラー、P・J・ボーデン
製作総指揮:イアイン・スミス、グレアム・バーグ、ブルース・バーマン

劇場情報:TOHOシネマズ、ユナイテッド・シネマ、MOVIX、ピカデリーの各劇場他にて絶賛公開中