2015年7月16日木曜日

映画『雪の轍』text高橋 雄太

「雪の下には…」


私がトルコに行ったのは、もう八年くらい前だろうか。九月のカッパドキアは暑く、乾燥していた。宿の人やガイドさんは、私を温かく迎えてくれた。
だが、映画『雪の轍』には、私の経験とは全く異なるカッパドキアが存在している。その中では、秋から冬にかけての寂しさと人間の裏表が、196分にわたって描かれている。

元・俳優で初老の男性アイドゥン(ハルク・ビルギネル)は、ホテルを経営する実業家であり、文筆家でもある。慈善事業に熱中する若く美しい妻ニハル(メリサ・ソゼン)、妹ネジラ(デメット・アクバァ)と裕福な生活をおくっている。表向き、アイドゥンの生活は不自由のないものに思える。
だが、アイドゥンへの家賃を滞納しているイスマイル(ネジャット・イシレル)らとのトラブル、そして家族内のすれ違いが表面化する。 

カッパドキアの奇岩、馬の捕縛シーンにおける荒野、後半に登場する雪原。屋外の雄大な風景がシネマスコープサイズの横長の画面に広がる。その一方で、屋内は狭く、調度品や本で満載、明暗のコントラストが目立つ。
空間の内と外が対照的であるように、人間にも対照的な面がある。すなわち裏表だ。
イスマイルの弟でありイスラム教の導師ハムディは、富裕なアイドゥン一家に低姿勢で、トラブルの釈明をする。だが、アイドゥンから一歩離れれば「なんて奴らだ」と悪態をつく。
アイドゥンらも、ハムディやイスマイルの息子イリヤスと会うときは大らかな態度を見せている。しかし実際にはアイドゥンもイスマイル一家への悪意を持っており、彼らの訪問に対して居留守を使い、導師ハムディへの攻撃を記事に書く。
そもそもアイドゥンは俳優であり、現実/演劇の二面性を体現していた男だ。また書斎には、本当の顔を隠す道具=仮面が飾られている。人間の裏表を知るアイドゥンは、妻ニハルの慈善事業に首を突っ込み、彼女の協力者にも疑いの目を向ける。

裏表だらけの人間関係の中、裏表を見せない人物が二人いる。トラブルの元であるイスマイルと息子のイリヤスだ。
イリヤスはアイドゥンの車に投石して窓を割る。イスマイルは自宅の窓を素手で割る。彼らにとって、内と外の境界は壊すべきものであり、それと同様に裏と表の二面性もない。
イリヤスはアイドゥン宅に訪問し、アイドゥンへの謝罪の接吻を要求される。だが彼はアイドゥンらの目の前で失神し、結果的に接吻を拒否する。終盤、イスマイルは、ニハルの慈悲をニハル本人の前で拒絶する。

だがアイドゥンたちは、イスマイルのようには生きられず、裏表を抱えるしかない。 
彼らの人間性は自然と共にある。例えばアイドゥンによる馬の捕縛と解放、狩ったウサギを持ち帰ること。この動物の扱いは、アイドゥン自身の内と外との往復そのものであり、家族との距離も示す。また、終盤に降り積もる雪は画面を美しい純白にする。しかし、雪の下には黒い土があり、「雪の轍」からは土が露出する。表面上の美しさの裏には黒いものがある人間と同じく。
アイドゥンが家族(主にニハル)との関係を解消してしまうのか、それとも裏表、愛憎を抱えるのが人間だという納得と諦めの中で生きていくのか。動物、雪と土といった自然は、彼の選択と対応している。

美しいカッパドキアにおける、決して美しいだけではない人間の姿。
見ごたえは十分。だが196分は長すぎる。

カッパドキアに行きたくなる度:★★★☆☆
(text:高橋 雄太)


映画『雪の轍』

2014年/トルコ・フランス・ドイツ/196分/

作品解説
世界遺産のトルコ・カッパドキアに佇むホテル。親から膨大な資産を受け継ぎ、ホテルのオーナーとして何不自由なく暮らす元舞台俳優のアイドゥン。しかし、若く美しい妻ニハルとの関係はうまくいかず、一緒に住む妹ネジラともぎくしゃくしている。やがて季節は冬になり、閉ざされた彼らの心は凍てつき、ささくれだっていく。善き人であること、人を赦すこと、豊かさとは何か、人生とは? 他人を愛することはできるのか―。

出演
アイドゥン:ハルク・ビルギネル
ネジラ:デメット・アクバァ
ニハル:メリサ・ソゼン
イスマイル:ネジャット・イシレル

スタッフ
監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
脚本:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン、エブル・ジェイラン
制作:ゼイネプ・オズバトゥール・アタカン
原案:アントン・チェーホフ

公式ホームページ:http://bitters.co.jp/wadachi/

劇場情報:角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館、ほか全国公開中

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