2016年1月1日金曜日

【アピチャッポン特集】《第一弾》映画『世紀の光』評text長谷部 友子

「記憶のにおいが交錯する場所」

みずみずしい映画だ。
豊かな自然の中にある地方の病院。女医ターイはノーンを面接している。ノーンは軍で医学を学び、今日からこの病院で働きはじめる。ターイは僧院長の診察をしたり、ラン養殖家へ恋をした過去を思い起こす。脈略のない些細な日常が展開される中、舞台は急に近代的な白い病院となる。
近代的な病院の一室で、女医ターイは同じくノーンを面接している。働きはじめることになったノーンは、先輩の医師によって、軍関係者が入院している地下の病室を案内される。義足が散乱する不思議な地下の病室で、前半の自然あふれる風景とはまったく異なる情景が描かれる。

地方と都市。医師と患者。恋の芽生えや生まれ変わり。交錯する記憶と物語が、形を変えながら反復していく。これはいったいどういうことなのだろう。
アナザーワールド? パラレルワールド? それともオルタナティブな世界?
そのどれもが違う。前半と後半の整合性を考えながら、矛盾点を探したり、解釈を考えることは無意味だ。これは論理が支配する映画ではなく、記憶のにおいのようなものが交錯する映画なのだから。

映画の舞台が病院であることは、とても興味深い。病院は病を得た患者がやってくる。医師は彼らの肉体の事情を聞く。それは不自由な四肢から不可思議な夢の話にまで及び、「正常」から逸脱したはずの話だ。しかしふと思う。それは本当に逸脱しているのか。現実とされている今この瞬間の方が逸脱しているのではないだろうか。
医師は患者から症状を聞き出すが、処置をしたり薬を処方する以前に、症状を聞き出すというそれ自体に「治癒」があるようにすら感じられる。そうこの映画にはある種の「治癒」がある。しかし「解決」はない。

生きていることに「解決」はあるのだろうか、とふと思う。万能の薬のようなクリアな解がいつか到来するのかと。それとも明確な解はないまま、多くの矛盾を引き受け、力強く生を肯定するしかないのだろうか。
生きることを力強く肯定すると、そこにはある種の力学が生じてしまうように思う。強度を持った物語は、ベクトルがどこに向かっていようと、何かを主張し、どこかうるさく胡散臭いように感じられる。
アピチャッポンの映画はその対極にあるように思う。気負わない肯定。この映画は生きるという営みをみずみずしくたちあらわせる。

香り豊かなみずみずしい草花を前にそっと息を吸い込むように、この映画を見てほしい。記憶のにおいのようなもの、そのざらつきが現れる中、小さく目眩を感じながら、その一瞬をどうか思う存分味わってほしい。

2016年はアピチャッポンの年!度:★★★★★
(text:長谷部友子)



『世紀の光』
原題:Sang sattawat
2006年/タイ・フランス・オーストリア合作/105分

作品解説
『世紀の光』は、1月9日より東京のシアター・イメージフォーラムほか全国にて順次公開。また同館にて特集上映「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」が同時開催されるほか、監督最新作「光りの墓」が3月より劇場公開される。

出演
ターイ先生:ナンタラット・サワッディクン
ノーン先生:ジャールチャイ・イアムアラーム
ヌム:ソーポン・プーカノック
ジェンおばさん:ジェンチラー・ポンパス
サクダー(僧侶):サックダー・ケァウブアディー

スタッフ
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
製作:アピチャッポン・ウィーラセタクン
製作総指揮:サイモン・フィールド、キース・グリフィス
脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン

配給:ムヴィオラ

公式ホームページ

劇場情報
2016年1月9日:渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開

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「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」
全長編作品+アートプログラムを上映する特集上映

期日:2016年1月9日〜2月5日
場所:シアター・イメージフォーラム
公式サイト:http://www.moviola.jp/api2016/woods/index.html

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