「 ぺりぺり皮をむくのは好きです」
できる限り物語に触れずに稿を進めようとすると、はたと困惑する。
どうすればいいのか。
この映画は、映画を観ている者の思い込みを軽快に裏切り続ける。
それはもう、あっけにとられるほど。
©Kick the Machine Films
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映画はいきなり始まる。
青年、若い女性、中年女性。診療所にて。診察台に座っているのは青年である。
さて、この場面を、観客はどのように捉え、映画の続きを観るだろうか。
中年女性が軽やかに野菜を刻み、タッパーに無造作に放り込む。ドレッシングをかけて……
って、それドレッシングじゃないでしょう?
え? 食べさせるの? それ?
それって、食べ物なの?
ずいぶん無口な青年だと思っていたら?
ざっと冒頭数十分を観ただけで脳裏にハテナマークが山のように浮かぶ。
しかし、映画そのものはキュートな音楽や燦々たる陽光に彩られ、幸福な空気感に包まれている。なんだかエッチなムズムズ感すら全体的に漂っている。あぁ、ムズムズ。チクチク。
おばさんもムズムズ。若者もムズムズ。若者ふたりのラブラブいちゃいちゃ……ちょっとそのシフトノブの握り方はけしからんのではないですか…うふふ、などと迂闊に思ってしまったらもう術中にはまっている。あぶない。
いきなり始まった映画は、町から森の中へと舞台が移るときにやっとタイトルクレジットが入る。「あ、そういえばクレジットなかった」と思うほど唐突に入ってくるのだが、ここで物語のトーンもはっきりと変化するので、丁度いい眠気覚し、というよりこれから本格的に夢うつつの世界に放り込まれる、というべきか。
観客の目に映るのは、したたる緑に降りそそぐ光、若い恋人たちのヒミツの場所でのピクニック。コーラ、串に刺したお肉、パンのようななにか。さっきの得体の知れないものが入ったタッパーもちゃんとある。長回しが妙な臨場感を誘い、こちらもちょっとムズムズする。あらあらうふふ。若いっていいわねぇ、などと正真正銘のおばさんのごとく眩しい若さに目を細めつつ観ていると、ふたりの会話に「え?」さらにかぶさるモノローグに「はい??」と虚を突かれる。
こっそり種明かしをしてしまうと、この作品、3人の関係性がおそらく意図的に曖昧にされているために、観る者は先入観をところどころで混乱させられるのである。そして、映像で勝手に想像させられる事柄と、音声で語られる事柄が時折乖離するために、さらにハテナマークが増える。この混乱のさせ方は非常に計算されており、そのさりげなさに「お……おぅ」とため息をついたのは映画が終わってからであった。すごい。
若いっていいわねぇ、と言ってるそばから申し訳ないが、中年女性もなかなかやりよる。そこまでやるか。カメラの前でそこまでやるか。天晴れである。しかしこの女性の勇姿の向こうに、この作品の舞台であるタイ国境地域の問題が、ほんの少しだけ見えてくる。そして、青年の素性がはっきりしてくるにしたがって、この作品が単なる艶笑譚であること以上に、タイの社会問題、特にタイ北部、ミャンマーとの国境地帯における問題を隠しテーマとしているのであろう、ということもわかってくる。タイとミャンマーの国境線は実は大部分定まっていないとのことで、この付近の住民は、密入国者、この付近の少数民族、各々少数民族が構成する武装組織などのいろいろな問題と、すこぶる日常的に付き合っていると考えられる。
おそらく、それらいろいろ巧みに隠された事柄と、対して驚くほど赤裸々に描かれた事柄を紐解いていくと、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督自身が本当に描こうとしているテーマにたどり着くのかもしれないが、そして実際監督はあちこちのインタビューでそれらについてはっきりと語っているのだが、なんとなくそこまできっちりと論じるのも野暮な気がするので、ムズムズと痒いところに手が届かないままで一旦考察を止める。
深入りを野暮と感じさせるほど、この作品は軽快で、翻弄されるのも心地よい、うまく作られたスクリューボールコメディなのである。
なお、耳に残るテーマソングは、タイのシンガーNadiaによる「Summer Samba(So Nice)」である。多くのアーティストによってカバーされているスタンダードナンバーであるが、この愛らしさが映画のトーンに大きな影響を与えているような気がする。是非フルでお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=b9kH4dhsg6E
『ブリスフリー・ユアーズ』
英語題:Blissfully Yours
2002年/タイ/カラー/35mm/125 分
作品解説
ミャンマーからやって来た不法労働者のミン、そのガールフレンドの若い女性ルン、ミンを何かと気づかう中年女性 オーン。ミンとルンとは森の中をさまよいながらひと時を一緒に過ごす、偶然同じ時に不倫相手と森に入ったオーン は姿を消した相手の男を探すうちにミンとルンと遭遇する...。ジャン・ルノワール監督の不朽の名作『ピクニック』 にもたとえられた至福の映画。
スタッフ
劇場情報
「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の旧作長編+アートプログラムを特集上映!
期日:2016年1月9日〜2月5日
場所:シアター・イメージフォーラム
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