2016年1月2日土曜日

映画『アンジェリカの微笑み』text高橋 雄太

「もっと光を」


E=mc² 

この式が示すように、アインシュタインの相対性理論によれば、物質とエネルギーは等価である(E:エネルギー、m:物質の質量、c:真空中の光速)。人間は質量を持った物質であり、光はエネルギーの形態の一つである。したがって、人間という物質は、光というエネルギーに変換可能である。上式に象徴される人間と光の等価性を描いた映画がある。2015年に亡くなったマノエル・ド・オリヴェイラの『アンジェリカの微笑み』である。

富豪ポルタシェ家の娘アンジェリカ(ピラール・ロペス・デ・アジャラ)が亡くなった。写真が趣味の青年イザク(リカルド・トレパ)は、アンジェリカの遺体を撮影するように依頼され、真夜中にポルタシェ邸を訪れる。純白の花嫁衣装で青いソファに横たわり、微笑みを浮かべる金髪のアンジェリカ。イザクがカメラを覗き込むと、死んだはずのアンジェリカが目を開け微笑みかけてきた。彼女の微笑に驚きつつ撮影を終えたイザクだが、アンジェリカのことが頭から離れない。アンジェリカの写真を眺め、夢の中ではアンジェリカと抱き合い空を飛ぶ。下宿の女将らの心配と奇異の目をよそに、イザクはアンジェリカの幻影に魅入られていく。

作中に登場する詩の一節「時よ止まれ」。この言葉通り、イザクは時を止める。人間の遺体はやがて腐敗し、消滅してしまうだろう。死せるアンジェリカを写真に収めることは、その美しい姿を静止画に固定すること、すなわち時を止めることである。またイザクは、部屋の窓から見える農夫たちに興味を持ち、彼らに近づき執拗に撮影する。鍬を持った農夫、土を耕す農耕機。これらを写真に撮影することは、鍬を振り下ろすという運動や、土を掘り返す機械の回転を、写真という形で止めることに相当する。

だが、時は止まると同時に、動いてもいる。

イザクがカメラを覗くと、左右に分かれたアンジェリカの像が中央で重なり、彼女が微笑みかける。さらに、彼女は写真を飛び出し、幻影としてイザクの前に現れる。静止画から動画へ。二次元の写真から三次元の幻影へ。現行の3D映画の方式では、左右の目に異なる2D(二次元)映像を見せることで3D(三次元)映像を創り出す。そのことと同様に、イザクのカメラは空間の次元を増加させ、時間という次元も加えて、アンジェリカをよみがえらせる。また、農夫たちの写真はイザクの部屋に列をなして並んでいる。静止画を連続させることで動画として見せる映画のように、鍬を振り上げた農夫の写真が一列に並ぶと、止まったはずの彼らの運動が感じられる。

静と動、生と死。これらの境界を越えるものは光である。カメラという光学機器がアンジェリカの光を捉えるとき、写真と微笑みが誕生する。そして彼女は白い光としてイザクの前に現れる。E=mc2を体現したかのように、死んだはずのアンジェリカは光に変換され、イザクはその光に魅了されていくのだ。

下宿人たち(ルイス・ミゲル・シントラら)は食堂で朝食をとりながら、橋の建設計画、欧州の不景気など、現実的な話をしている。これに対しイザクは、コーヒーカップを手にして、下宿人と朝食に背を向け、光の射す窓を見つめている。イザクは人間、社会、食事などの現実には見向きもせず、光=エネルギーにのみ興味を抱いている。

丸い金魚鉢を通して見える歪んだ赤い金魚、鏡に映るイザクなど、屈折と反射という光の諸性質も作中には示されている。夜のポルタシェ邸やイザクの部屋の電灯は、カラヴァッジョの絵画のような強烈な明暗のコントラストを作り出す。ファーストシーン、雨の降りしきる夜、画面の奥から自動車のヘッドライトがやってくる。写真屋の二階の窓が開き、部屋の明かりが灯る。こうした光の登場で映画は始まる。本作の真の主人公は、全編を彩る「光」だ。

前述のようにイザクは四角い窓を通して光を見つめる。白く輝くアンジェリカは窓に立つ。アンジェリカの光は四角い写真に写し取られる。光と窓、光と写真のフレーム、これらはいずれも光と四角形である。このペアがもう一つある。映写機から投影された光と四角いスクリーン、つまり映画だ。

オリヴェイラは、撮影当時101歳という高齢でも映画を撮り続ける生の情熱を、「もっと光を」とでもいう執拗さでアンジェリカを追い求めるイザクに投影しているように思える(イザクを演じるリカルド・トレパはオリヴェイラの孫だ)。

窓が閉じられ、光が遮断されたとき、スクリーンも暗転して映画は終わる。また、2015年4月2日にオリヴェイラは106歳で生涯を終えた。『世界の始まりへの旅』(1997年)、『ブロンド少女は過激に美しく』(2009年)など、オリヴェイラの作品を観てきた私は、彼の死に寂しさを感じずにはいられない。

だが、映画は存在している。

本作に登場する窓やイザクのカメラは、生と死をつなぐトンネルであり、アンジェリカの光=エネルギーの経路になっていた。それならば映画も生と死を超越した光の通り道であるはずだ。写真に撮られたアンジェリカと同様に、被写体たちの時は映画の中で止められており、映画が上映されれば時は動き出す。E=mc2の式のごとく、被写体=物質は光に変換され、四角形のスクリーンにエネルギーが満ちあふれる。 

オリヴェイラが長きにわたって映画を撮り続けたように、一つの映画が終わる度に私は望むだろう。

もっと光を。

オリヴェイラ追悼度:★★★★★
(text:高橋雄太)






『アンジェリカの微笑み』
2010年/ポルトガル・スペイン・フランス・ブラジル合作/97分

作品解説
2015年4月に106歳で亡くなるまで精力的に映画を撮り続けたマノエル・ド・オリヴェイラ監督が101歳の時にメガホンをとった一作。主役のイザク役はオリベイラ作品の常連俳優で、監督の実の孫でもあるリカルド・トレパ。アンジェリカ役に「女王フアナ」「シルビアのいる街で」のピラール・ロペス・デ・アジャラが起用された。

出演
リカルド・トレパ
ピラール・ロペス・デ・アジャラ
レオノール・シルベイラ
ルイス・ミゲル・シントラ
アナ・マリア・マガリャーエス

スタッフ
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ
製作:フランソワ・ダルテマール
脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ
撮影:サビーヌ・ランスラン
美術:クリスティアン・マルティ

公式ホームページ
http://www.crest-inter.co.jp/angelica/

劇場情報
12月5日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー

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