2016年1月17日日曜日

【アピチャッポン特集】映画『ブンミおじさんの森』評 text長谷部 友子

私はもうアピチャッポンについて何も語りたくない 

独特である。見る人を選ぶというか、ある種の忍耐がいる。けれどそれは厳格な、選民的なものではなく、優しさと素朴さに満ちている。この独特の流れにのることができれば、身を任せることに快感を覚えるし、他の作品も見たくなる。アピチャッポン監督の作品とはそういうものだ。

タイの山間に住むブンミおじさんは死期が迫っている。亡くなった妻の霊や、かなり昔に行方不明になった息子が猿の姿をした精霊になって現れる。そんなとんでもない状況に少し驚きながらも、ブンミおじさんは自然と受け入れ、かつての家族と話し、束の間の交流をする。彼らはブンミおじさんを迎えに来たかのように、おじさんと共に再び姿を消していく。
人間、幽霊、精霊や動物。人ならざる者との共生と転生輪廻。タイにおける共産主義化をめぐる歴史問題を織り交ぜつつ、詩情豊かに「土地」と「記憶」をめぐる物語が紡がれる。

世界は開かれているらしい。
万人に等しく開かれているのだから、万人にわかるように、合理的で論理的な説明が求められる。最短での論理の組み立てが是とされ、なんとなくといった弱い感覚は隅に追いやられ、零れ落ちていく。

世界は広がっているらしい。
インターネットの普及をはじめとするテクノロジーの進化により、あらゆるものはアクセス可能となり、つながることができる。けれどそこに理解はあるのだろうか。理解ではなく、わかる範疇のものへの同意と、それ以外のものへのすさまじい切り捨てと分断こそが行われているようにも見える。

©Kick the Machine Films

アピチャッポン監督の映画が私に与える感覚を、まだ私は言い当てられない。
けれどそこに潜む快楽は、世界の広大さを予感させる。そしてその広大さとは、先述した類のものとは、まったく別の種類のものだ。

「私たちは等しく間違っている」と私は常々思っている。何故そう思うのかと聞かれても、究極的に理由はない。人生に対して肯定よりも否定を多く感じる性質なのだろう。しかしある種の作品は「私たちは等しく正しいのかもしれない」と励ましのような、前向きさのような肯定を与えてくれることがある。アピチャッポンはそれすらも超え、私の予知や予感が及びもしない領域が世界にはある、そしてそれはよきものであると感じさせるのだ。示すのでもなく想定するのでもなく、感じさせる。アピチャッポンの特異さはそこにあるように思う。

しかしアピチャッポンの作品を手放しに称賛することに、私はためらいを覚える。
西洋人からみた東洋の思想、特に転生輪廻などの死生観はとても新鮮に映るようだが、それはアピチャッポン個人としての独創の産物というより、彼に連なる脈々とした土地の記憶から生じているもののように思われる。ある種の素朴さから生じているものに、過剰な意味づけをすることで、そこに宿る本質を損なってしまうのではと恐れている。

西洋的な価値が敷衍している現在、各々の宗教観や死生観によるとはいえ、多くの人間はこのたった一度の人生を生き切らなければならないというすさまじい圧力のもとにある。この人生で勝たねばならないし、表現をしなければならない。意味のあることをしなければならないし、価値を創出しなければならない。この一生を生き尽くさなければならない。

心配なら幽霊になって手伝いにくるから、この農場を継がないかと亡き妻の妹に言うブンミおじさんに思わずくすりと笑ってしまう。
もしもこの生だけではないとしたら。幽霊にもなるし、猿の精霊にもなれる。転生輪廻をするとしたら、たゆたうような善良さで私たちは生きられるのかもしれない。何かを為さずとも、その素朴な生がきらめくのかもしれない。

私はもうアピチャッポンについて何も語りたくない。
彼を論じれば、それは論理という枠組みで彼の素朴さを殺してしまうことに加担するような気がする。アピチャッポン監督は、自身の映画を解釈されることを求めてはいないと思う。くすっと笑うこと。きっとそういうことのはずだ。

感じることからはじめてみよう。
ブンミおじさんと一緒に森へ分け入りながら。

(text:長谷部友子)





ブンミおじさんの森
英語題:
 UNCLE BOONMEE WHO CAN RECALL HIS PAST LIVES
2010年/イギリス、タイ、ドイツ、フランス、スペイン/カラー/35mm/114 分

作品解説
腎臓の病に冒され、死を間近にしたブンミは、妻の妹ジェンをタイ東北部の自分の農園に呼び寄せる。そこに19年前に亡くなった妻が現れ、数年前に行方不明になった息子も姿を変えて現れる。やがて、ブンミは愛するものたちと ともに森に入っていく......。美しく斬新なイマジネーションで世界に驚きを与えた、カンヌ国際映画祭パルムドール(最 高賞)受賞作。

キャスト
タナパット・サーイセイマー
ジェンチラー・ポンパス
サックダー・ケァウブアディー
ナッタカーン・アパイウォン

スタッフ
製作/脚本/監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン 
製作:サイモン・フィールド/キース・グリフィス/シャルル・ド・モー/アピチャッポン・ウィーラセタクン
撮影:サヨムプー・ムックディープロム
編集:リー・チャータメーティクン
音響:清水宏一

第63回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞
「ブンミおじさんの森」
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督
UNCLE BOONMEE WHO CAN RECALL HIS PAST LIVES
A FILM BY APICHATPONG WEERASETHAKUL

提供:シネマライズ

配給:ムヴィオラ

公式ホームページ

劇場情報

「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の旧作長編+アートプログラムを特集上映!

期日:2016年1月9日〜2月5日
場所:シアター・イメージフォーラム

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