2016年1月16日土曜日

【アピチャッポン特集】映画『真昼の不思議な物体』評 text高橋 雄太

「森への入り口」


アピチャッポン・ウィーラセタクンの長編第一作『真昼の不思議な物体』は、アピチャッポン映画への入り口となるだろう。

本作は次のような作品である。アピチャッポンたち撮影チームの依頼により、行商人の女性が「真昼の不思議な物体」の登場する架空の物語を即興で語り始める。彼女の後を受け、老婆、セパタクローをする青年たち、村人たちなど、多くの人々が物語を語り継いでいく。物語の中では、脚に障害のある車椅子の少年と家庭教師の女性の元に「不思議な物体」が現れ、その物体が別の少年になり、家庭教師になり、さらに鬼になり、再び少年に……と「物体」は定型をなさず、変化していく。それとともに語られる物語も、少年と家庭教師との話、隣人による鬼退治、隣人と家庭教師との恋物語、少年の脚が悪くなった過去のいきさつ、子供を誘拐してバンコクへの逃避行……などと移り変わっていく。この映画は、始めから終わりまでが一本につながる線形的なものではない。語り手が物語の分岐点として機能することで、彼らに応じて変化していく多元的なものである。また、おそらく映画とは関係のないと思われるテレビ番組やボクシングの試合も、ナレーションや字幕を重ねることで、例えば少年の過去を説明するなど、物語の一部として機能する。

©Kick the Machine Films

では本作は、各人の語る物語やテレビ番組をコラージュして一つの物語を作り上げたのだろうか。いや、この映画ですら一つの物語とは言えないであろう。
「物体」の物語は、基本的に劇映画的な映像として描かれている。だがその物語を演劇として演じる村人たちも登場する。脚の不自由な少年は、映像では車椅子の少年として登場するが、演劇では自転車に乗った大人の男性になっている。また、家庭教師や隣人も、映像と演劇とでは別人が演じている。複数の語り手たちが織りなす一つの物語が、複数の形式で表現されているのだ。
また、村人たちの前にテープレコーダーが置かれ、撮影チームが彼らに物語の続きを語るように促すシーンがある。このことから、映画に登場する人々は、「物体」の物語を映像として観ているのではなく、口伝えで物語を聞いていると推測される。一方、映画の観客である我々は「物体」の物語を映像として観る。すなわち、都市伝説のように口承される物語と、一本の映画としてスクリーンに投影され、我々の目に触れる映像としての物語が存在している。無論のこと、これらは別物である。
複数の語り部たちが語る複数の物語、それらをコラージュした物語、そして複数の表現形式。これらを組み合わせた本作は、通常の劇映画のように単線的に物語る構造ではなく、複線的な構造を有している。噂や都市伝説が伝播するうちに変化していくように、複数の語り手たちによる即興の物語は、常に変化の可能性に開かれている。実際、前述のように本作の中において、物語は次々と変わっていく。だが、可能性は本作に具現化したものに限られない。例えば語り部の一人が別人、または語る順番を入れ替えれば物語が変わり、それに影響されて物語の続きも変わったはずだ。また、音声ではなく映像によって彼らに物語を伝え、その続きを語らせることもできたであろう。その場合、別の物語が語られた可能性もある。さらに、劇映画か演劇かなど、表現の形式にも選択肢が存在する。本作は確かに一本の映画であるが、それすら可能性のうちの一つを取り出したに過ぎないのだ。

これがアピチャッポンの長編第一作であることは示唆的である。アピチャッポンの映画には『ブリフスリー・ユアーズ』のような二部構成の作品がある。『ブンミおじさんの森』には本筋とは異なる物語が挿入される。複数の物語を有しており、また観る者によって意見が大きく異なるであろうアピチャッポン作品。その作品群の始まりにおいて、既に複数の世界が並行しており、わかりやすい唯一の世界など存在しない。本作はアピチャッポンの森に分け入るために準備された作品のようである。

「物体」と同様に、映画に登場する人々も複数の世界を生きている。序盤に登場する行商人や老婆のシーンでは、例えば行商の宣伝の声が「物体」の物語の映像内に重なるなど、彼女らの実生活の声と物語を語る声とが区別なく響く。村人たちの演劇のシーンでは、終演するとカメラは舞台からパンして、拍手する観客たちを映し出す。終盤、二人の少年たちが「物体」の物語を演じているのだが、同じショットで「もう終わった?」、「アイスクリーム忘れないでよ」などと物語外のことを話し始める。さらに車椅子の少年は自らの脚で立ち上がる。これらのシーンにおいて虚構と現実との区別は消失し、ワンカットの中で共存する。まるで現実から分岐して虚構の物語が生まれているようだ。見方を変えれば、現実の方が物語の一つの可能性にも思えてくる。

現実に生きる我々が、映画『真昼の不思議な物体』を観て、それについて語ること。このことは本作の語り部たちの活動を引き継ぐこと、物語を継続させることではないか。アピチャッポンの映画と同様に、複数の世界を発生させることではないか。我々の前にアピチャッポンの森への入り口は開かれているのだ。

森への誘惑度:★★★★★
(text:高橋 雄太)

『真昼の不思議な物体』
英語題:Mysterious Object at Noon
2000年/タイ/モノクロ/35mm/83 分

作品解説
監督はタイの国中を旅し、出会った人たちに物語の続きを創作してもらう。画面には、マイクを向けられるタイの地方の人々と、彼らによって語られた「不思議な物体」の物語が、交錯して描かれる。話し手により物語は次々と変容する。

スタッフ
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
脚本:タイの村人たち
撮影:プラソン・クリンボーロム
編集:アピチャッポン・ウィーラセタクン、ミンモンコン・ソーナークン

配給:ムヴィオラ

公式ホームページ

劇場情報

「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の旧作長編+アートプログラムを特集上映!

期日:2016年1月9日〜2月5日
場所:シアター・イメージフォーラム

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