2016年3月9日水曜日

《スクリーンに映画がかかるまで つくる・かう・ひろめる仕事について学ぶ》 第5回 講師・矢田部吉彦氏 ~レッド・カーペットの舞台裏~text藤野 みさき

「映画は未来の君たちのためにあるんだ〜映画という夢を追って〜」




「映画って本当にすばらしい!」と感動をすることは、すてきな作品と出逢ったときだけではありません。映画を心から愛し、情熱に溢れるひとに出会ったときも又、私はその輝く瞳に、情熱に、心動かされるのです。

 2016年1月23日(土)、深々とした寒さの厳しい中、表参道にあるスパイラル・スコレーにて《スクリーンに映画がかかるまで》の第5回目が開催されました。本講座は去年の5月から始まり、数々の映画に携わる方々を講師としてお迎えしてきました。今回の講師は、東京国際映画祭プログラミング・ディレクターである、矢田部吉彦さん。40席は予約であっという間に埋まり、皆様の温かな拍手によって、矢田部さんをお迎えしました。

 軽やかな足取りに、爽やかな笑顔。映画祭での黒いスーツに身を包んだ正装とは打って変わって、ジーンズ姿で現れた矢田部さんは、満席の会場を見渡すと「土曜日のお昼にこれだけの皆様にお集まりいただき恐縮です。本当にありがとうございます」と真摯にご挨拶をしたのち、会場のお客さんに感謝のことばを述べました。

 今回のテーマは「映画祭~レッド・カーペットの舞台裏~」。

 映画好きな矢田部さんの学生時代、そして東京国際映画祭のプログラミング・ディレクター就任へと至るまでの経緯から、現在の仕事内容まで、映画にかける熱い想いを、2時間にわたって存分にお話しくださいました。

 若いころから、シネフィル青年だったという矢田部さん。80年代のミニシアター・ブームの中で育ち、兎にも角にも映画が大好きだったと言います。やがて大学を卒業し、就職をしてわずか3日目のこと。入社するなり「これは失敗したな」と思い、そこから矢田部さんの映画の旅が始まります。サラリーマンとして働く傍ら、イギリスへと留学をして、ロンドンに住んでいたときのこと。寮からわずか5分のところに劇場があり、そこではたくさんの世界中の映画がかかっていました。朝から夜まで。古今東西、米映画から、欧州映画の世界の果てまで。矢田部さんはその劇場に通いつめました。そして数多くの映画に触れて「世界にはまだ観ぬ素晴らしい映画がたくさんあるんだ。日本では上映されていない、この素晴らしい作品を、一つでも多く届けたい」。そう、そのときにつよく思ったことが、その後の矢田部さんの人生を大きく変える原動力となりました。

 帰国後、サラリーマンとして会社勤めの生活をする中でも、映画への情熱は矢田部さんの思いを募らせててゆくばかりでした。しかしそれでも「映画の世界へと行くべきか3年間悩みました」と、矢田部さんは当時のことをこのように振り返ります。10年間のサラリーマン生活に別れを告げて、それから矢田部さんは1年間に渡り世界中の映画祭へと足を運び、数多くの映画に出会います。しかし、帰国後30歳を超えた男性を雇ってくれる会社もなく……。矢田部さんは映画祭のボランティア活動を通じて、仏映画祭の事務局での仕事を得られることになりました。初めて映画に携わることの、この上ない歓び。

 「もう、フィルム缶を押している(運んでいる)だけで幸せでした」。と、当時のことを振り返りながら、矢田部さんは表情をほころばせ、本当に幸せそうに話されていました。そして、矢田部さんの活躍の場は、仏映画祭を通じて、いよいよ大舞台である東京国際映画祭へ。矢田部さんのお話しは、今回の本題である「映画祭のことについて」へと移ってゆきます。



笑顔で六本木ヒルズに降り立つ、女優のヒラリー・スワンクさん ©2015 TIFF

そもそも《映画祭》とは、なんだろう?

 はじめに、矢田部さんはこのような問いを、観客である私たちに語りかけました。華やかなレッド・カーペットに、ドレスアップをした芸能人たち、そして、煌びやかで豪華絢爛な場所……。テレビや新聞、そしてインターネット越しに見る、私たち一般の人々には手の届かない世界。

 矢田部さんが現在のプログラミング・ディレクターに就任しはや9年。登壇する機会も多くなり、様々なところへ足を運ぶなかで、とある大学の授業で映画祭のお話しをしたことを、例として挙げていました。生徒たちに「東京国際映画祭を知っていますか?」と矢田部さんが問いかけると、そこそこの生徒が手を挙げます。しかし「東京国際映画祭に行ったことはありますか?」と言う問いかけについては、ほとんど生徒からの手は挙がらなかったと言います。もっと、若いひとたちに映画を身近に感じ、好きになってほしい。矢田部さんの純粋な願いは、きっと、映画を愛する多くの人たちの共通の願いでもあるのだと思います。

 若者たちに人気のライブや音楽フェスティバルと違い、映画祭と言う響きは、どうしても華やかな芸能界ばかりが先走り、若いひとたち、特に学生には敷居の高い印象を与えてしまうもの。その距離をどのように埋めてゆくのか。ということが、今後の大きな課題だと言います。

映画『ルクリ』の監督、スタッフ、キャストたち。写真左から、 ティーナ・サヴィさん(プロデューサー)、ユハン・ウルフサクさん(俳優)、ミルテル・ポフラさん(女優)、ヴェイコ・オウンプー監督 ©2015 TIFF

 しかし現実は、映画祭こそ、世界の映画の風を最も間近に感じることのできる場所です。特に上映後の来日ゲストによるQ&A(質疑応答)は、監督や俳優たちによる、作品に対する生の声を聴くことのできる、とても貴重な機会であり、醍醐味のひとつです。その代表的な例が去年のコンペティション部門で上映されたエストニア映画の『ルクリ』でした。エストニアという、日本からは遠く離れた欧州の国の、去年のコンペティション部門の映画の中では最も難解だと言われたこの映画。「難しい」「何が起こっているのかわからない……」などの感想が多い中での、上映後の監督、俳優たちによる質疑応答は、まさに観客からの好評を博し、アンケートでも「監督の話を聞いて理解が深まった」という非常に好意的な声が多く寄せられました。

 東京国際映画祭には毎年たくさんの映画が世界中から届きます。去年のコンペティション部門の応募総数は、1409本にも及びました。作品の選考については、毎年複数のチームを組み、ジャンル別ではなく地域別に分担し、夏場の数ヶ月という時間をかけて観てゆきます。アジア、アメリカ、ヨーロッパ。爛々と降り注ぐ夏の陽光を浴びるのを我慢しながら、ひとり部屋に閉じこもり、十数本の映画と真剣に向き合う毎日が始まります。朝は5時に起床し、夜は深夜の2時まで。とても過酷な日程でありながらも、「毎年これが最後だと思う気持ちで、覚悟をもってやっています」と、矢田部さんはとても真剣に語ります。

 映画とは、己の孤独と向き合うものでもあるもの。たとえどんなに疲れていても、1枚のディスクを入れるとき、「この1枚にたくさんの汗水と、労力、そして想いが込められているんだ。と思い、真摯に作品と向き合う思いで観ています」と矢田部さんは真剣な面持ちで言葉を続けます。たくさんの送られてきた作品の中に、宝石のように輝く映画があるかもしれない。そのような熱い想いと、一握りの映画を求めて、毎年の選考を行なっています。

 映画は産業か? それとも芸術か?

講座が終盤に差し掛かるにつれて、矢田部さんのお話しは、映画の有り方についてへと移ってゆきます。

これは映画業界に携わる矢田部さんにとっての、非常に大きなテーマです。常にこの問いと真摯に向き合い、そして同時に観客である私たちにも問いかけます。矢田部さんはこの回答を「映画はお金のかかる芸術」だと答えます。映画は産業(ビジネス)である、という避けられない側面が有りながらも、人々の心に届く、血の通った存在であってほしい。そして映画祭もまた、映画好きの人々だけのものではなく、映画を知らない、みんなのもので有ってほしい。映画を愛し、映画を信じる。どこまでもひたむきなその情熱こそが、矢田部さんの輝きの原点なのだと感じたのです。

 講座の途中、矢田部さんのお話しでとても心に残った逸話があります。大学の講義で矢田部さんが東京国際映画祭について話していたときのこと。その講義を聴いていた学生さんのひとりが映画祭へと来てくれたのです。彼は矢田部さんをロビーで見つけるなり、駆け寄ってきて言いました。

「僕は本当は日本映画が観たかったのですが、満員で観ることができなかったのです。でも折角来たのだからと、隣で上映している仏映画を観ました。そうしたら、素晴らしかったのです! 僕は仏映画を初めて観たのですが、これほど素晴らしいとは思いませんでした。だから、これからはもっと、仏映画を観ていこうと思います」と。

そのことばを聞いて、矢田部さんは「映画は未来の君たちのためにあるんだよ!」と心の中で思ったそうです。大切な映画との一期一会の出逢い。矢田部さんはその青年とのお話しを、本当に嬉しそうな表情で、瞳を輝かせながら話していました。私はそのお話しを聴いて、思わず目頭が熱くなってしまったのです。

 情熱は、人の心を動かすものです。
講座時間の約2時間。お水を飲むのも惜しまれるほど、マイクを握り続け、私たちに映画への熱い想いを語ってくれた矢田部さん。輝くばかりの好奇心。謙虚な姿勢。そして人々に注がれる、あたたかくて優しい眼差し。映画を超えて、人として忘れてはならないことを、今回の講座を通じて、矢田部さんは私に思い出させてくれたかのようでした。私も矢田部さんのように、映画を情熱的に語り、そして、ずっと愛せる人で在りたい。そして何より、映画が大好きなこと。そのまっすぐな心を、大切にずっと持ち続けられる人で在りたいと思いました。

 「映画は世界に開いた窓である」。
これは、去年の東京国際映画祭のラインナップ発表会で矢田部さんが仰った、私のとても好きなことばのひとつです。映画は過去の産物ではなく、未来へと羽ばたいてゆくもの。古典映画は回顧上映やデジタル・リマスター版として美しくスクリーンに蘇り、未来の映画は東京国際映画祭という大舞台を経て世界へと飛び立ってゆきます。まだ観ぬ可能性に満ちた映画との出会いを求め、映画の夢のその先へ、矢田部さんは走り続けます。

 昨年の東京国際映画祭は、会期中の10日間、天候にも恵まれ、一度も六本木の地を濡らすことなく閉幕しました。私は本年も六本木へと映画の夢をみにゆきます。柔らかな陽光のもと、一つでも多くの映画との邂逅がおとずれることを願って。

矢田部さんの情熱度!:★★★★★
(text:藤野みさき)

◉ 講師紹介
矢田部吉彦(やたべ・よしひこ)
東京国際映画祭 作品選定ディレクター

仏・パリ生まれ。小学生時代を欧州、中学から大学までを日本で過ごす。大学卒業後、大手銀行に就職。在職中に留学と駐在でフランス・イギリスに渡り、帰国後、映画の配給と宣伝を手がける一方で、ドキュメンタリー映画のプロデュースや、フランス映画祭の業務に関わるように。2002年から東京国際映画祭へスタッフ入りし、2007年よりコンペティションのディレクターに就任。
本年度の第29回東京国際映画祭は、2016年10月25日(火)~11月3日(木・祝)に開催決定。

◉ 講座紹介

スパイラル・スコレー 《スクリーンに映画がかかるまで ~つくる・かう・ひろめる仕事について学ぶ~》

昨年の5月より、表参道のスパイラルホールにて開催。過去の講師に、土肥悦子氏、諏訪敦彦氏、野下はるみ氏、上田健太郎氏と多彩な人々を迎える。講座の終了後には講師を交えたお茶会も開催。本講座では、映画が上映されるまでのプロセスに関わっているゲストの方々から、それぞれの仕事の内容についてを伺う。
講座web:https://www.spiral.co.jp/e_schedule/detail_1659.html

 最後にこの記事を執筆するにあたり、画像の提供を頂きました《スクリーンに映画がかかるまで》のコーディネーターである平山玲さん、本講座の覚書を提供してくださいました、同じくことばの映画館のメンバーである宮本匡崇さんの御二人に、心からの感謝を申し上げます。

第29回東京国際映画祭
http://2015.tiff-jp.net/ja/


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【執筆者プロフィール】

藤野 みさき:Fujino Misaki

1992年栃木県出身。シネマ・キャンプ 映画批評・ライター講座第二期後期、UPLINK主催「未来の映画館をつくるワークショップ」第一期受講。映画の他では、自然・掃除・クラシックバレエ、そして洋服や靴を眺めることが趣味。
昨年の映画ベストは小栗康平監督の『FOUJITA』とマルコ・ベロッキオ監督の『私の血に流れる血』。

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