2016年3月4日金曜日

映画『不屈の男 アンブロークン』評text:加賀谷 健

「不屈の行動原理」


※文章の一部で、結末に触れている箇所があります。

 戦時中の日本兵による外国人捕虜への虐待の残虐性を描いたことから、日本での配給がなかなか決まらなかったという『不屈の男 アンブロークン』(2014)。だが、実際、その全編を通して「反日」が頭をよぎることなど一度もなかった。それどころか、一種の「温かみ」さえ感じてしまうほどだった。監督デビューを果たしたアンジェリーナ・ジョリーは、その監督第2作で、戦場に駆り出された一人のオリンピック選手の実話を単なる歴史的事象として描こうとはしない。アメリカ人として、また一人の演出家として、遥か日本を見据えながら、主人公の「不屈の男」に、他者へ「視線」を投げかけつづける事を条件にことの次第を委ねようとする。言うまでもなく、その代弁者は与えられた使命に忠実であろうとし、彼の運命はその「視線」の浮遊によって決定づけられてしまうのである。

 主人公の名は、ルイス・ザンペリーニ。彼は、1936年、ナチス・ドイツによって開催されたベルリン・オリンピックに陸上競技アメリカ代表として出場し、5000メートル走の最終ラップで記録的タイムを打ち出した。次の東京五輪を夢見たルイであったが、空軍入隊とともに彼の運命は大きく悲劇的な方向へ堕ちていくこととなり、気がつけば、日本軍の捕虜として東京の大森収容所に入れられてしまっている。こうして東京への「夢」を叶えたルイは、そこで「バード」と呼ばれている鬼伍長ワタナベに出逢う。ワタナベは、新入りの捕虜たちの顔を一人一人入念に確認していく。捕虜たちの誰一人として動く素振りも見せない中、唯一人、ワタナベをちらと一瞥してみせるルイ。恐れを知らぬかに見えるルイに目をつけたワタナベは、ルイの額を手にしている竹刀で思い切り殴りつけ、血も凍るような声で「Don’t look at me」とだけ囁く。だが、そこに故のない「エロティシズム」が漂っていることは指摘しておかなければならない。ここから、鬼伍長による執拗なまでの「イジメ」が始まるのである。

 ルイがオリンピック選手であることは収容所の誰もが知っている。ワタナベは日々の労役で疲れ切っているルイの身体にさらにムチ打って、部下の日本兵を相手に競争させる。ルイはワタナベの底知れぬ「サディズム」に屈することなくヨロヨロしながらも走りつづけるのだが、彼の身体は悲鳴を上げ、はかなくも地面に崩れ落ちてしまう。その姿を見たワタナベは口元に笑みを絶やすことなくじっとルイを見つめるばかりである。その後も残虐性を極めた「イジメ」がつづくが、ワタナベは自身の「エロティシズム」を震わせることを忘れない。それは、ある日、アメリカ兵たちがほんの休息に芝居に興じる場面なのだが、客席に座るルイの隣にワタナベがそっと腰掛け、彼は、良い知らせと悪い知らせがあると言う。一方は彼が昇進することで、もう一方はそれによってこの収容所を去らなければならないことなのだが、ルイは吐息をもらすかのような口調で自分の昇進が嬉しくないのかと聞くワタナベの顔を静かに見つめ返す。目の前で演じられている「オール・メール劇」が二人の関係性を象徴づける。ワタナベの「イジメ」を「マゾヒスティック」に受けつづけるルイは、彼に恋心を抱いているのか、それとも彼が去っていくという知らせに安堵し切っているのか。だが、いずれにしても彼らが「再会」する日は近いだろう。

 終戦が迫る中、捕虜たちは別の収容所へ移送される。そこは、雪国である。固唾を呑むアメリカ兵たちは、寒空の下に整列させられている。何者かが凍てつく階段を降りてくる、その鈍い音の響きが辺りに不吉さを漂わせる。彼らの前に現れたのは、昇進したワタナベである。早速列の中にルイの姿を見つけたワタナベは、「大日本帝国の敵だ!」と言い放ち、大森の時と同じように彼の身体に一撃をくらわせる。はたして、ワタナベとルイによる「サド=マゾ」的な往復はこのまま際限なくつづいて行くのだろうか。

 ここまで寡黙ながらも反抗的態度をとりつづけてきたルイス・ザンペリーニ。そんな彼にワタナベは、最後の「使命」を与える。収容所全体が敗戦ムードに包まれつつも、日本兵は最後の悪あがきをするかのように捕虜たちへのムチを一層強める。そこでもワタナベの「視線」は、ルイ唯一人にそそがれている。彼は、煤まみれなったルイを呼びつけ、目の前に置かれている大木を持ち上げろと命じる。さらに、それを落とせば銃殺するとまで言う。絶望的状況として周りの捕虜たちも作業の手をとめ、これを見守る。危うく大木を落としかけるルイ。ワタナベは声を荒げ、部下の日本兵は、銃を握る手を固くする。この地獄はいつまでつづくのだろうか、誰もがそう思う。だが、監視され、見られつづけながらも、決して相手を「見返す」ことを忘れなかったルイは、ここでもその美しい瞳の輝きを絶やそうとはしない。彼は、垂れた頭をもたげ、大木を天めがめて一気に持ち上げる。そのルイの「不屈」が、今、目の前にいるワタナベの武装を解き、「見る」存在から「見られる」存在へと代置せしめる。「Don’t look at me」とわめきたてるワタナベは、地面に崩れる他なく、そこで「オルガスムス」に至る。「死」と隣接すことで得られる至上の快楽。だが、その臨界は、すでに踏み越えられてしまっている。

 このワタナベの「絶頂」は、そのまま日本軍の凋落を意味し、物語は、終戦へ向かって加速度的に収束を見せる。解放されたアメリカ兵たちは歓喜し、ルイは無事、家族のもとに生還する。が、ここで見逃してはならないのは、監督のアンジェリーナ・ジョリーの「視線」が最終的に家族と再会するという感動的な結末よりも「不屈の男」の一貫した行動(=視線)に向けられていることである。というのも、ルイが戦地で最後に目にしたものが、一枚の写真だったからであり、軍服姿の男性と写る幼い少年が他ならぬワタナベの姿だからである。ルイは、部屋の片隅にぽつりと置かれた竹刀を横にして座り、一心にその写真を見つめつづめる。今、彼は、何を思ってその熱い視線を対象へと投げかけつづけているのだろうか。一つ確かなのは、ルイス・ザンペリーニの「不屈」が彼の精神性の意味付けではなく、彼が他者を「見返す」という、その貫徹された行為への忠実性を表しているということであり、それに突き動かされた我々観客たちもまた、一心にその対象へ等しく「視線」をそそぐ「権利」が与えられていることである。さて、そうして得た「恩赦」は、我々日本人の未来に一体どんなことをもたらすのだろうか。


ルイの不屈度:
(text:加賀谷健)






『不屈の男 アンブロークン』
原題:Unbroken
2014年/137分/アメリカ

作品解説
アンジェリーナ・ジョリーの監督第2作。ローラ・ヒレンブランド著のノンフィクションを原作に、1936年のベルリンオリンピックに出場した陸上選手で、第2次世界大戦中に日本軍の捕虜になった米軍パイロット、ルイス・ザンペリーニの体験を描いた。

キャスト
ジャック・オコンネル:ルイ・ザンペリーニ
MIYAVI:渡辺
ドーナル・グリーソン:フィル
ギャレット・ヘドランド:フィッツジェラルド
フィン・ウィットロック:マック

スタッフ
監督:アンジェリーナ・ジョリー

脚本:ジョエル・コーエン&イーサン・コーエン、リチャード・ラグラヴェネーズ、ウィリアム・ニコルソン
製作:クレイトン・タウンゼント、マシュー・ベア、アーウィン・ストフ

配給
ビターズ・エンド

公式ホームページ
http://unbroken-movie.com

劇場情報
2月6日〜全国順次ロードショー

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