2016年4月19日火曜日

映画『阿賀に生きる』『阿賀の記憶』評text高橋 雄太

「映画の遅れに向き合うこと 〜『阿賀に生きる』と『阿賀の記憶』〜」


ドキュメンタリーは現実のありのままの記録ではない。この一文によって言いたいことは、ドキュメンタリーには制作者の意図が介入しているという一般的な事実だけではない。無論のこと、今は亡き佐藤真監督の映画『阿賀に生きる』(1992年)などが、佐藤真の意図により構成されたものであることは確かであろう。これに加え、『阿賀に生きる』と『阿賀の記憶』(2004年)からは、時間の側面において、ドキュメンタリー映画が単なる現実の記録でないことが見えてくる。

佐藤真の長編第一作『阿賀に生きる』は、阿賀野川流域の集落を舞台としたドキュメンタリーである。昭和電工は阿賀野川に水銀を流出させ、その影響により集落の人々は新潟水俣病と呼ばれる公害病を患っている。村人の指は病気によって硬直し、一部の人々は公害病の患者認定を求めて訴訟を起こす。村人たちにとっては公害との戦いが続いているのだ。だが本作は社会派映画ではない。裁判所に入っていく村人たちの背中を遠目に捉えるショットに象徴されるように、映画は社会問題と距離を置いている。

本作が至近距離で描くもの、それはタイトル通り「阿賀に生きる」人々である。佐藤監督ら撮影チームは、集落の近くに「阿賀の家」を構え、村人たちと生活を共にし、三年をかけて本作を撮影したという。彼らは生活者として、「阿賀に生きる」者として、村人たちの中に入り込んだ。病気の苦しさや法廷闘争ではなく、日常に注目すること。それが佐藤真らの意図であり、本作はありのままの記録ではなく彼らの意図に沿った記録である。

泥に足を取られながらの田植え。音楽のようにリズミカルな方言。屈託のない笑顔。囲炉裏で火にかけられた鍋とペヤングが共存する食事風景。そこには、「かわいそうな被害者」や「のどかな田舎の人々」という類型におさまらない、現実に生きている人々が存在している。被写体の老人たちは、「いま撮ってる?」とカメラマンに問いかけ、撮影されていることに気づくと照れ笑いを浮かべる。日常と撮影、カメラのこちら側とあちら側とが一続きである。生きることと撮ることを一致させた撮影チーム、生きることと撮られることが一致していった阿賀の人々。本作は、彼らの生きることの結晶なのだ。

だが、ここで疑問が生じる。『阿賀に生きる』の人々は、果たして「いまここ」に生きているのだろうか。この疑問が大きくなるのは、引退した二人の人物、船大工の遠藤と漁師・長谷川のエピソードにおいてである。遠藤は船作りの工房を閉鎖しており、道具を手に取ることもない。その彼が弟子を取ることになり、船作りを再開する。遠藤は弟子の作業を見守り、ときには自ら道具を使い、久しぶりに船を作る。本作には完成後の祝宴や進水式の様子も捉えられている。一方、現役時代の長谷川は、川に鉤を沈める鉤流し漁という方法で、鮭などを獲っていたという。彼は近隣の漁師と協力し、特別に漁をやることになった。最初は肥料袋を引き上げてしまうものの、見事に魚を捕まえる。

撮影当時の彼らにとって、久しぶりの船作りや漁、それを達成した喜びは、「生きる」ことであったろう。だが、それは現役当時のものではない。佐藤真らのカメラは、現役時代の遠藤らを記録することはできず、過去の再現を記録するのみである。すなわち、『阿賀に生きる』が捉えるのは、いまここに「生きる」ことでありながら、実は過去において「生きた」ことの再現でもあるのだ。言い換えれば、本作は、阿賀の人々の生きた現実に遅れており、その現実を後追いしたものである。

佐藤真らが再び阿賀を訪れて制作した『阿賀の記憶』は、現実からさらに遅れている。『阿賀に生きる』から20年以上の時を経ており、老人たちの多くは既に亡くなっている。田植えも漁も『阿賀の記憶』の画面には現れない。野外スクリーンに『阿賀に生きる』らしき映像が映写されている。「阿賀に生きる」ことは、もはや目の前の現実ではない。記録することすらできない、映像として残された記憶でしかない。

『阿賀の記憶』が捉えるのは、閑散とした集落、廃墟にすら見える家、漁師のいない阿賀野川などである。村人たちの生が感じられた前作とはあまりにも違っている。『阿賀に生きる』で老婆が、「あんまり撮られると、影が薄くなって消える(死ぬ)」という意味の言葉を残している。この言葉通り、『阿賀に生きる』で存在感を誇示していた生と対照的に、『阿賀の記憶』の画面には死と不在が漂っている。

9.11アメリカ同時多発テロの映像を見たとき、我々は「映画のようだ」とつぶやいた。東日本大震災の津波の映像を見て「現実とは思えない」とも言った。現実が映画を追い越したと言われることもある。佐藤真の映画は、こうした信じがたい出来事を扱ったものではなく、日常に取材しており、現実に密着しているはずである。だが、時間の観点において現実に追いついていない。むしろ意図的に現実から遅れているのかもしれない。佐藤真の他の作品『SELF AND OTHERS』(2000年)は写真家の牛腸茂雄、『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(2005年)は思想家エドワード・サイードをそれぞれ取り上げており、いずれも彼らの死後に制作されたものである。これらも、やはり生きる者たちの現実から遅延し、彼らの不在を見つめている。

ゼノンのパラドクスにおけるアキレスと亀のように、映画は現実を追いかけるが、既に過ぎ去った現実に追いつくことができない。遠藤の船作り、長谷川の漁、老人たちの死などの現実にことごとく立ち会えず、映画は不在を提示し続ける。無論のこと、映画の観客である我々も、現実という亀から遅れたアキレスであり、常に不在を見ることになる。

不在が極限に達した特異点とも言える場面が『阿賀の記憶』にある。畑に一人たたずむ老人がカメラを見つめながら唄う。カメラは老人の顔から空に眼差しを向け、太陽を直視する。スクリーンからは物体も人も消え去り、色彩もなくなり、白い光が満ち溢れる。もはや見る対象すら消失した究極の不在の画面。

だが私たちは、被写体を失った画面を見なければならない。あらゆる波長を含む白色光を青や赤の光に分光するプリズムのように、白い不在の画面から色を見出すことが要求されている。そのとき映画は、一気に現実に追いつき、いまここにある対象として浮かび上がる。

2016年現在、災害や人口減少により、多くの「不在」が発生しており、今後も増えていくと思われる。映画はそうした現実を追い、現実から遅れ、映画を見る我々も遅れる。亀に追いつけないアキレスたらざるを得ない私たちは、その遅れとどのように向き合うのか。不在の佐藤真が残した問いは、「いまここ」に生きる我々の問題である。

参考文献:『日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』(里山社 2016年)

アキレスと亀度:★★★★★

(text:高橋雄太)


『阿賀に生きる』
1992年/115分/日本/16mm



作品解説

かつては鮭漁の名人で田んぼを守り続ける長谷川芳男さんとミヤエさん、200隻以上の川舟を造ってきた誇り高き舟大工・遠藤武さんとミキさん、餅つき職人で仲良し夫婦の加藤作ニさんとキソさん。生きる喜びに溢れた豊かな暮らしが映し撮られた生の記録は、全国から支持を得て1400人余りのカンパを集めて完成。日本全国で上映され、自らの人生と風土を見直す賛辞がうずまき一大ブームを巻き起こした。

キャスト
長谷川 芳男
長谷川 ミヤエ
遠藤 武
遠藤 ミキ
加藤 作二
加藤 キソ
旗野 秀人

スタッフ

監督・編集 :佐藤 真
撮影:小林茂
録音:鈴木 彰二
撮影助手:山崎 修
録音助手:石田 芳英
助監督:熊倉 克久
スチール:村井 勇
整音:久保田 幸雄
録音協力:菊池 信之
音楽:経麻朗

『阿賀の記憶』

2004年/55分/日本/16mm


作品解説
新潟県に流れる阿賀野川のほとりに暮らす人々を3年間に渡って撮影した『阿賀に生きる』から10年、映画に登場した愛すべき人たちの多くがこの世を去ってしまった。佐藤真監督と小林茂キャメラマンは再び阿賀の地に赴くことを決意する。今は荒れてしまった田んぼや、主を失った囲炉裏などにキャメラを向け、人々が残した痕跡に10年前の映画づくりの記憶を重ねていく。そして、時間とは無関係であるかのように、阿賀野川はいつまでも雄大に流れる。人々と土地をめぐる記憶と痕跡に、『阿賀に生きる』という映画の記憶が交差し、過去と現在を繊細かつ大胆に見つめた作品の誕生である。

スタッフ
監督:佐藤 真
撮影:小林 茂
音楽:経麻朗
録音・音構成:菊池 信之
助監督:山岡 央


公式サイト
『阿賀に生きる』
http://kasamafilm.com/aga/
『阿賀の記憶』
http://www.mmjp.or.jp/pole2/aganokioku.htm

『日常と不在を見つめてードキュメンタリー映画作家・佐藤真の哲学』
佐藤真の単行本未収録原稿、関係者インタビューなどを収録した書籍が里山社より発売中。

劇場情報
4/29~5/3、特集上映「佐藤真の不在を見つめて」@神戸映画資料館
http://satoyamasha.com

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【執筆者プロフィール】

高橋雄太:Yuta Takahashi

1980年生。北海道生。映画好きの会社員。仕事で文章を書くことが多く、映画と文章の足し算で現在に至る。映画の他にサッカー、読書、旅行が好き。
2015年の映画ベストは『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』。

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