2016年6月20日月曜日

【特別寄稿】『海よりもまだ深く』評text成宮 秋祥

「実体と精神諸共の“父親探し”」


 是枝裕和の映画で主役として描かれる父親は、どれも“良多”という名前だ。『歩いても 歩いても』と『そして父になる』に続き、三回目の登場となる良多。前二作の良多は、経済的に成功し家族も築いているが、本作の良多はその真逆である。彼は、貧乏で生活に行き詰まり、妻とも離婚している。さらに賭博に溺れ、亡くなった父親の遺品を質に出すような情けない男として描かれ、今までの是枝作品で描かれてきた良多の人物造形と大分異なっている。

 こうした駄目な男を描いた映画は、戦後初期の邦画にも多く作られてきた。中でも、成瀬巳喜男の傑作、『浮雲』(1955)の森雅之が、その筆頭と言える。森の駄目男ぶりは、敗戦によって“喪失した日本人の魂”を象徴していると言えるが、本作の良多の駄目男ぶりにも、森と同じく“何かしらの魂の喪失”を感じる。その原因は、是枝監督が常々テーマとして描いてきた“父親”にある事は間違いない。

 そうであるならば、本作は前二作に比べて分かりやすく観る事ができる。前二作で描かれた良多は、実体面として父親にはなっているが、精神面では自身の父親との関係性が原因で、真に父親になりきれずにいる。本作の良多は、精神面でも実体面でも父親になりきれていないので、自分を作っていない(もしくは作れない)分、感情移入しやすい。

 分かりやすく観られる分、映画としての質が落ちているという意見もありそうだが、本作にそれは当てはまらない。登場人物たちの自然な振る舞いや言葉の掛け合い、飲食物や食器類などの装置を会話の合間に巧みに画として挟み込み、屋内や家庭内の雰囲気を静かにリアルに描写する手腕は、ドキュメンタリー調の演出を得意とする是枝の面目躍如と言える。

 このように、しっかり画作りが施された映像の中で、父親になりきれない良多の実体と精神諸共の“父親探し”が描かれるのだが、物語の方向性は、実は前二作と何ら変わりはない。要するに、“自身の父親との関係性を見直し受容していく”までを描く事にある。
 先に述べた通り、良多の父親は既に故人で、良多自身も妻との離婚で家族と別れている。この良多の置かれた状況こそが本作独自の特徴であり、それをどのように見直し受容していくのかが見どころと言える。

 劇中での良多は、実に情けなく描かれている。演じる阿部寛の熱演もあり、その情けなさは奇妙に画になっている。それは例えば豊田四郎の名作、『夫婦善哉』(1955)の森繁久彌のような愛嬌ある情けなさではない。ただ単純に情けないのであり、そのオーバーアクトな情けない風貌に、不思議と画を見出してしまう。競輪で大負けした時の阿部の情けない悔しそうな顔はちょっとやそっとでは忘れられないだろう。

 その良多の”情けなさ”は最初から最後まで一貫しており、特に変化する事もない。彼の情けなさを支えているのが、彼が連発する根拠の無い”嘘”にある。嘘をつき続ける事で、彼は情けなく生き続ける事ができている。そして、その嘘が得意だったのが彼の父親であり、嘘という特技は間違いなく父親から受け継いだものだ。

 良多は、父親のようになりたくないと思いながら、父親のようになってしまい、反対に父親のようになってしまったからこそ、父親が得意だった嘘によって現在も生き長らえているともいえる。台風の夜に、離婚によって別れてしまった元妻と一人息子と共に、久しぶりに一つ屋根の下で過ごす事ができたのも、元はといえば彼の嘘が原因である。その夜、公園で彼ら三人が慌ただしく宝くじを探し合うという”短い家族の再生”を生み出したのも彼の嘘が火種である。

 父親から受け継いだ嘘を、良多は肯定も否定もしない。嘘という特技は、無意識レベルで彼に備わってしまったため、それを表に出して考える事はないのだろう。では、彼は父親の何を受容する必要があったのだろうか。それは、自身と異なる父親の資質だ。彼にとって最も価値のないものは、自身の資質に関係のないものだ。それは父親も同じだ。その資質の違いを彼が受容する場面は特に印象に残った。

 後半、良多は父の遺品である硯を質に出してしまう。字が汚い彼にとって書道は価値のないものだったが意外に高値がついた。その時、父親が彼自身の文才を認めていたという旨を、彼は質屋から聞いた。父親は文学に関心がなかったと彼は思っていたが、それが覆った。家族の品を質に出す事で、家族の絆を手放してしまった彼は、皮肉な事に質を通じて、家族の絆を知った。最終的に硯を売らなかった彼の眼差しは、温かい。

 最後まで良多は、実体と精神諸共に父親になれたとは言い難い。借金だらけで仕事も不安定なのも変わらない。恐らく今後も彼は嘘をつき続けるだろう。彼は何も変化していない。しかし何かを受容したのは事実だ。だからこそ、父親の遺品である硯を見つめる彼の眼差しは温かいのだ。

 そして、良い父親になるという行動レベルでの変化を敢えて描かなかったからこそ、今後の良多の変化に自然と期待できる。その方がリアルだ。彼は、駄目男なりに自分を見直し、嫌っていた父親を見直し、父親の資質を受け継いだ自分と、自分と異なる資質を持った父親を受容した。駄目男が駄目男のまま父親としての自分を受容していく過程を静かに丁寧に描いた映画は珍しい。しかし、そのアプローチの珍しさに負けず、“父親”というテーマをぶれずに描き抜いた是枝裕和の堅実な手腕は、すでに巨匠の域にある

(text:成宮秋祥)

『海よりもまだ深く』

2016年/117分/日本

作品解説

15年前に文学賞を一度受賞したものの、その後は売れず、作家として成功する夢を追い続けている中年男性・良多。現在は生活費のため探偵事務所で働いているが、周囲にも自分にも「小説のための取材」だと言い訳していた。別れた妻・響子への未練を引きずっている良多は、彼女を「張り込み」して新しい恋人がいることを知りショックを受ける。ある日、団地で一人暮らしをしている母・淑子の家に集まった良多と響子と11歳の息子・真悟は、台風で帰れなくなり、ひと晩を共に過ごすことになる。

キャスト
良多:阿部 寛
白石響子:真木 よう子
中島千奈津:小林 聡美
山辺康一郎:リリー・フランキー

スタッフ
原案・脚本・監督・編集:是枝 裕和
撮影:山崎 裕
主題歌・音楽:ハナレグミ

公式ホームページ
http://gaga.ne.jp/umiyorimo/

劇場情報
丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国公開中

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【執筆者プロフィール】


成宮 秋祥 Akihiro Narimiya
1989年、東京都出身。専門学校卒業後、介護福祉士として都内の福祉施設に勤める。10歳頃から映画漬けの日々を送る。これまでに観た映画の総本数は5000本以上。キネマ旬報「読者の映画評」に掲載5回。ドキュメンタリー雑誌『neoneo』(neoneoWeb)に寄稿。映画イベント「映画の“ある視点(テーマ)”について語ろう会」主催。その他、映画解説動画「映画観やがれ、バカヤロー!」を定期的に実施。将来の夢、映画監督になる。

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