2016年7月28日木曜日

フランス映画祭2016〜映画『パレス・ダウン』ニコラ・サーダ監督インタヴューtext藤野 みさき

CJoe D Souza

テロ事件そのものではなく、
若い女の子がこの危機的な状況の中でどのような成長を遂げるのかーー
そのことが私にとって最も大切なことでした。

                        ー ニコラ・サーダ



 現在の私達の生きるこの世界は、まるで大きなうねりをあげるかのように、映画の世界をも凌駕する非情な現実が日々世界各国で起こっている。本作『パレス・ダウン』は、2015年11月13日に起きたパリの同時多発テロ事件の直後に本国フランスでの公開が予定されていた。当初は公開を慎むことも考えられたのだが、この映画の製作陣、そして何よりも監督であるニコラ・サーダは「この映画がテロへの警鐘を鳴らすものであるのなら」との想いを込めて公開することを決意した。

 この映画『パレス・ダウン』は、2008年に実際に起きたインドの同時多発テロ事件を、事件当初襲われた「タージマハル・ホテル」の一室に滞在していた一人の18歳の少女の視点から描いた事実に基づく作品である。ホテルで夜を過ごそうとしていた主人公のルイーズ(ステイシー・マーティン)は、 突如銃声音を聞き、何が起こったのかを知ろう客室を出る。しかし、事態を飲み込めぬまま部屋に戻されてしまい、部屋の鍵を閉めて電気を全て消すように指示されるルイーズ。彼女の手元に残された唯一の命綱は、一つの携帯電話であった。

 本作において最も恐ろしいことは、今自分自身の周囲で何が起こっているのかを「見えない」「知ることができない」ことである。情報は遮断され、聞こえてくるものは銃声音や悲鳴だけである。そんな目に見えない不安に襲われる中で、それでも懸命に「生きよう」とする少女の勇気と成長をしてゆく姿に、サーダ監督は一筋の希望を託したのではないだろうか。
 今回、仏映画祭で来日をなされたニコラ・サーダ監督に、本作を製作するに至るまでの動機を始め、映画の構築の仕方や影響を受けた監督達、そして、この映画に込めた想いを伺った。

(取材・構成・文:藤野みさき 2016年6月25日 パレスホテルにて)


ニコラ・サーダ監督

──この度はインタヴューをお引き受けくださって本当に有難うございます。まずはその感謝の気持ちから申し上げたいと思います。

ニコラ・サーダ(以下NS) こちらこそ、有難うございます! このような時、日本語で何と言ったらいいのかを調べておいたものがあるのです。ちょっと待ってくださいね。
「ミナサマニ カンシャ モウシアゲマス(皆様に感謝申し上げます)!」

──メルシー・ボークー! 有難うございます。
では、質問に入る前に私の感想からお伝えしたいと思います。私はこの映画を観る時、何の予備知識もなく、ただムンバイにいる女の子がテロ事件に巻き込まれたのだ、ということだけで観たのです。ですので、すごくサスペンスフルに描かれていることが本当に面白く、手に汗握りました。

NS 日本のお客さんはこのような映画を好きになると思いますか?

──はい、もちろんです。実はこの映画を観る前、私は体調が悪くてとても眠かったのですが、この映画を観たら「ハッ」と目が覚めて、最初から最後まで画面に惹きつけられました。ですので、日本の観客はもちろん、私よりも若い人達、ルイーズの歳頃の観客にも伝わる映画だと思います。

NS 有難うございます。

──では映画の内容についてお伺い出来ればと思います。この映画を撮られる一番の動機は何でしたか?

NS 私は当時、2008年に起こったこのムンバイのテロ事件はテレビで見ていました。そのときはすごいことが起こったな、と思っていたのですが、その少し後に友人と話していたら、その友人のうちの一人の親類が事件当時、この映画の舞台となる「タージマハル・ホテル」にいて、事件に巻き込まれたのだということを知りました。
 もちろん、テロの問題というのは、今や世界中の関心を集めている非常に重要な、現代的な問題だと思います。しかし、関心はもちろんあるものの、私はそのような問題、テロを主題とした映画を作るということは考えてはいなかったのです。ですが、その友人の話を聞きながら、「このテロ事件というのは一つの映画のテーマ(主題)の中に描くことが出来るのではないか」と思い始めて、具体的な私自身の視点も輪郭を帯びてきたように思います。
 現在の大衆映画の中には、非常に残酷な場面が描かれている作品が多くあります。ですから、現在の私達というのは、大衆映画の中の残酷さに慣れてしまっていると思うのです。その映画の中には爆発シーンを始め、血ふぶきや死体など、様々な残酷な場面が出てきます。しかし、私が描きたかったものというのは、スペクタクル的な残酷な場面ではありません。観ている人の感性に訴えかける映画を作りたいと思ったのです。

──まさにそのことについてお伺いしたいことがあります。この映画は終始「見えない」ということに徹底されています。ホテルの一室でルイーズが見るもの、聞くもの全てが、観ている私達にとっての唯一の情報源となります。血ふぶきもなければ、人が撃たれる場面もありません。ピストルの音しか聞こえない、犯人の顔も見ることが出来ない。そんな見えない恐怖に包まれて、ルイーズは本当に怯えていますよね。この映画を演出するにあたり、何か意識なされたことはございますか?

NS 私はこの映画を作る時、主人公であるルイーズに焦点を定める描き方をしようという思いがありました。ですので、この映画の中で、いかにルイーズという人物像を浮かび上がらせるのか、ということを具体的に構築するために、本物のルイーズさんに会い、今あなたが私にやってくださっているようなインタヴューを行いました。その時、あの晩どのような状態であったのかという詳細を彼女に話してもらい、その話してもらったことを元に、どのようにして映画的に表現したらいいのかを考えました。
 ですから、彼女が一人であの日あの夜、どんな恐怖を感じ、不安を抱いていたのかを、どのようにして映画の中で表現するのかということが、私にとって最も大きな問題だったのです。もちろん、映画の中には時々ご両親も出てきますよね。ですが、それはあくまで時々であり、テロリストもまた存在はしていることを匂わせる描き方をしています。それは、実際にルイーズがテロリストたちを見ていないわけですから、映画の中で描く必要はなかったのです。

──とても気になっていたことがあります。本物のルイーズさんは、主役を演じられたステイシー・マーティンさんと似ていますか?

NS それは、とても不思議なことです。ステイシーは『ニンフォマニアック』という映画にも出演しているのですが、私が彼女に会ったのはこの映画が公開される前のことでした。ですが、彼女に会った時点で、彼女がこの映画に非常に適していると直感的に感じたのです。そして、映画の撮影を始める数ヶ月前に、本物のルイーズとステイシーに会っていただき、二人で話してもらう機会を設けました。そして、その時に、本当に偶然なのですが、彼女達が会話をしている最中に二人には高校時代の共通の友人がいることが分かったのです。そのような共通項を得ながら、彼女達の距離感もぐっと近づいてゆきました。色々な話が出来たことは本当にこの映画の役に立ったと思いますし、そのこと自体、私は運命的なことであったと思っています。
 そして、この映画の最後のほうで、彼女が住んでいるアパルトマンのキッチンで、ルイーズとお姉さん、そしてお母さんの三人が出てくる場面があります。そのルイーズのお姉さんを演じた女性というのは、実は本物のルイーズの姉妹なのです。ですからあの時に、全く違う感じがするのですが、なんとなく似ている。観ている人は、本物のルイーズの姉妹だということは分からなくても、「似ている」と言ってくださった方が沢山いらっしゃいました。ですので、似ていないようで、実は似ている、ということが大変興味深かったのです。

──それは非常に興味深いことですね。そんな偶然があるなんて……。

NS ええ、私もとても驚きました。




──私は、私達観客に想像力を委ねる映画が大好きです。私がこの作品を好きな理由も、やはり本作は私達観ている観客の想像力、そして知性を奪わない点にあります。映画が私達の想像する力を信じてくれるのです。私はこの作品を観た時に幾つかのアルフレッド・ヒッチコック監督の作品を思い出しました。例えば『断崖』や『裏窓』などがそうなのですが、ヒッチコック監督の映画もまた私達観客の想像力を掻き立て、委ねてくれます。
 私の好きな場面の一つに、ルイーズが身を隠したお風呂場にある電話が鳴り響くシーンがあります。あの電話を掛けた人というのは、彼女を助けようとしているホテルの従業員なのかもしれない。でも、もしかすると、それは彼女を殺そうとしているテロリストなのかもしれないのです。誰が、彼女に電話を掛けたのか。その真実は映画を観終わった後でも謎のままですね。

NS そうです。そのことがまさに私がこの場面に期待をしていたことだったのです。もしもあなたがホテルにいて部屋の電話が鳴ったとしても、それは日常的な光景ですから電話に出られますよね。でも、もしも今まさに攻撃されているホテルにあなたがいた場合は、状況は一変してしまいます。全てのことが脅威へと変わってしまうのです。ですから、私はこの場面が大変気に入っています。
 そして、ヒッチコック監督については、私が映画を観始めた頃に最も影響を受けた監督です。彼の作品は良く知っていますし、私は今でも常に彼の作品から学ぶことが多くあります。本作『パレス・ダウン』では本格的なサスペンス映画を作ろうと思っていましたので、緊張感を演出する上でも、彼の『鳥』からインスピレーションを受けました。

──有難うございます。またこの作品は一つ一つの場面がとても丁寧に撮影されていることも非常に印象的でした。中でも客室係の男性が二度、ルイーズの部屋を往復する場面があります。私はこの場面を観た時「なぜ、この場面はこんなに長いのだろう?」と、ずっと思っていました。二回目はノックして、お水を取り替えに来ますよね。そんな何気ないワンシーンが、しっかりと伏線になっており、最後に繋がってゆきます。そんなところで、観客である私達に、様々な人が存在するのだと憶えていてもらうということ。私達は一人では生きることは出来ません。そこには様々な人の存在が、支えがあります。そう思う時、この場面は非常に印象的で心に残った場面の一つでした。

NS このような非常に規模の大きな悲劇的な事件が起こった時に、その事件に巻き込まれる人々の中には、異なる宗教を持っている人達がいるでしょうし、宗教だけではなく、異なる人種や、国籍、職業など、様々な人達が一気に事件に巻き込まれて犠牲になってしまうことがあります。
 そして、それはとても大きな不幸な出来事なのですが、観ている私達や巻き込まれた人達というのは、このような不幸に巻き込まれたからこそ、宗教や人種や職業、そして社会的な階級などを全て排除して、連帯感というものを改めて確認することが出来るのではないかと考えます。それは非常に相矛盾していることであるのですが、平和な時は感じられずに、大きな災害の時だけ感じる不思議な連帯感が起こることも、また事実であると思います。

──このような災害時における非日常な状況に置かれた時、自らの持つ本質的な人間としての芯が問われるように感じます。

NS ルイーズは18歳と非常に若く、彼女の同年齢の人達というのは、これから自分が歩む道、どんな大学へ行こうかな、ですとか、どのような勉強をして、どのような職業に就きたいのかを考えます。あるいは、恋人のことを考えたり、どのような家庭を築きたいかを考えたりもします。そのような、彼ら彼女達なりの、様々な関心があると思うのです。しかし、このような大きな災害が訪れてしまったら、普段考えている日常的な、とても普通の彼らの関心事が一気に失われ、根こそぎ切り落とされてしまうような状況になってしまいます。つまりは非常に極端な状態に陥ってしまうのです。しかし、そのことで彼ら達は、その瞬間にただの若い人ではなく、一気に成熟した大人に成長するということもまた考えられるのではないかと思います。
 ですから、これは私が本物のルイーズに会って話をした時に感じたことなのですが、とても若い彼女達だからこそ、このような大きな災害に遭ったときに大きく成長出来る可能性を秘めていると思うのです。それは本当に矛盾していることなのですが、このような災害があるからこそ、大人になってゆく。このことは本当に普遍的だと思いますし、その姿というのは私の心を揺さぶるものがありました。

──私がこの映画を観た時に感じたのは、やはり主人公であるルイーズの成長です。最初は携帯電話を片手にとにかく「怖い」と、お父さんに「早く助けに来て」と言っていた女の子が、様々な体験 ─ホテルのタオルを濡らし煙を来なくするようドアの下に敷くところなど─を通じて、少しずつ強くなってゆきます。そして、一階下に取り残された女性にも、「大丈夫。私達はきっと助かるわ」とまで言えるようになるのです。その本当に短時間の中でも人間は成長できるのだというところに私は大変感銘を受けました。若く、か弱い女の子が強くなってゆくその過程が、とても鮮明に描かれていたからです。

NS そうですね。一階下にいるイタリア人女性の存在というのは、今あなたがおっしゃってくださった、彼女がいかに成長していったのかということを見せる良いきっかけになっていると思います。私は脚本を書きながらも、イタリア人女性の存在を描いたことは、ルイーズの成長を決定付けるためにという認識は全くありませんでした。ですが、改めてそのことを考えてみますと、確かにそうだという思いがします。
 最初、彼女はただお父さんに対して「助けてほしい」「どうしたらいいの?」と訊いて、お父さんに依存をしていたのです。そしてお父さんはひたすらに「大丈夫だから」と彼女を慰め、元気づけていましたよね。でも、ことが段々大きくなってゆきながら、彼女が一階下の部屋にイタリア人女性がいると分かった時に、初めて、彼女はお父さんを理解することが出来たと思うのです。人を元気づけることがいかに大切なのかということを理解し、そして、自分もお父さんのように彼女に対して「頑張って。大丈夫、助かるわ」と言い、彼女を励ます言動に出てゆくのです。ですから、ルイーズは事件が起こった最初の時よりも成熟してゆきましたし、それから、恐怖の状態に置かれている時の責任感も得たのだと思います。イタリア人女性を励ますのは自分しかいない。しかし、彼女を励ますことは同時に自分自身を励ますことでもあるのです。


CJoe D Souza


──実はインタヴューを行う前、サーダ監督はアルノー・デプレシャン監督の幾つかの脚本に携わっていたということを知りました。私はアルノー・デプレシャン監督が大好きなのです。彼との仕事というのは、『“男たちと共に”演技するレオ』と『あの頃エッフェル塔の下で』でしょうか? 『“男たちと共に”演技するレオ』は残念ながら日本未公開なのですが、『あの頃エッフェル塔の下で』は大変美しく、素晴らしい作品でした。彼との仕事というのは如何でしたか? そしてもしも印象的なエピソードなどがございましたら、教えていただけると嬉しいです。

NS 『あの頃エッフェル塔の下で』においては、私は共同執筆をしていないのですが、モスクワの場面での脚本に携わりました。アルノーとは『“男たちと共に”演技するレオ』でも一緒に仕事をしました。彼は私のとても良き友人で、私達はしばし自分達の映画や企画についてを語り合います。特に『“男たちと共に”演技するレオ』では、彼から多くのことを学びました。アルノーはとても几帳面な人です。そしてスクリーンの上での役者の動きをよく考慮して脚本を書くべきだということを、私に教えてくれた人でもありました。この経験というのは、今でも私にとても大きな影響を与えています。

──そして、ルイーズの母親役を演じられたジーナ・マッキーさんについてもお聞かせください。サーダ監督はデプレシャン監督の『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』の彼女の演技を見て、本作に起用なされたとのことでした。私は『ノッティングヒルの恋人』が大好きなのですが、デプレシャン監督のことばを借りるのであれば、彼女は私にとってもまた「夢」の存在でした。彼女との仕事は如何でしたか?

NS ジーナはとても私達に協力的で、そして思慮深い人でした。彼女が撮影現場にいると常に場が和んでいましたし、いつもアイデアを出してくれたのです。たとえ難しい場面の撮影であっても、彼女は私を信頼してくれていましたので、彼女との仕事というのはとても楽しかったです。

──最後になりますが、このインタヴューを通じて、サーダ監督は「若い人」について触れられていました。そして日本の観客の皆さんがどのようにこの作品をご覧になられるのかということを。よろしければ、日本の観客、特に私やルイーズのような若い世代の観客にメッセージやお伝えしたいことがございましたら是非お聞かせください。

NS はい、もちろんです。この物語を書き始めたのは4年ほど前のことで、ちょうどその頃私は別の作品で東京に来ていました。その時にはもう既にこの物語を書き始めていたのですが、私にとって重要だったのは若い人が主人公である、ということでした。若い人を主人公にしたかったのです。その理由は、今の若い人達というのは、やはり世界の状況を見ると、彼らにとって残されているのは不安の材料でしかないのではないか、自分達の将来はどうなるのだろう、どのような世界に生きてゆくのだろうという、本当に切りがないほどの不安が沢山ある中で、若い人達は生きているのだと思うのです。
 ですから、そのような彼ら達がこれから先どのような局面に出会うのかというのは未知なることです。例えば、昨年フランスでロック・コンサートの会場でテロ事件があり、若い人も沢山亡くなられました。ですからテロの対象というのは、もはや若い人も含まれてきている状況にあります。そのような人達が、これからの自分達がどういう風に生きてゆくのかということに対して、恐怖を味わっていない皆さんの心の中にも不安が存在していると思いますので、実際にルイーズが体験した恐怖を共有しながら、自分達の未来、そして自分達は今の世界をどのように見なければならないのか。そのことを考えるきっかけになってくれたら嬉しいなと思います。
 それから、お互いに愛し合うということです。人間同士、お互いを尊重し、愛し合うということが大切なのだということを、この映画を通じて感じていただけたらとても嬉しいです。

 一つ一つことばを選びながら、サーダ監督は丁寧に私の質問に答えてくれた。その瞳は大きく、眼差しはあたたかく、そして終始、今私が何についてを話し、何を伝えようとしているのかということを真剣に汲み取ろうとしてくれていた。「ウィ、ウィ」と頷きながら優しく微笑む時もあれば、時にその瞳から優しい光が消えることもあった。特にテロ事件の問題、そして現在の若い人達の不安については時間を掛けながら、ことばを紡ぐようにして、私の瞳をしっかりと見つめながら答えてくれたことがとても印象深い。
 最後に私が御礼の握手のために手を差し出すと、サーダ監督は優しく微笑み、とてもあたたかく大きな手で、私の想いに応じてくれた。その時の誠実な眼差しと包み込んでくれた手のぬくもりが、今でもずっと私の中に残り続けている。

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ニコラ・サーダ:Nicolas Saada

1965年、フランス・ブローニュ=ビヤンクール生まれ。87年にフランスの映画批評誌「カイエ・ドゥ・シネマ」のスタッフを経て、92年に仏独共同テレビ局Arte(アルテ)に入社し、93年~98年までに約50本のテレビ番組に携わる。99年の『砂の売人』(監督:ピエール・サルバドーリ)にて映画脚本を手掛け、その後脚本家として、アルノー・デプレシャンや、ゲラ・バブルアニらの監督作品を執筆。『スリープレス・ナイト』(2012/監督:フレデリック・ジャルダン)では共同制作を担う。短編映画『 Les Parallèles』(04)にて監督デヴュー。『ザ・スパイ 裏切りのミッション』(2009・日本未公開)が翌年のセザール賞最優秀デヴュー賞にノミネートされる。短編映画を数多く手掛け、『Aujourd’ hui』(2012)が、13年のニューヨーク映画祭に出品された。

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『パレス・ダウン』
原題:Taj Mahal
2015年/フランス/91分/フランス語・英語/DCP/2.40/ドルビー

作品解説
主演はラース・フォン・トリアー監督の『ニンフォマニアック』(14)で、色情狂のヒロインを体当たりで演じて話題となったステイシー・マーティン。本作ではテロ事件に巻き込まれ過酷な状況下に置かれた実在の少女を熱演。
公開直前の15年11月にフランス・パリ同時多発テロが起き、公開自粛も考えられたが、“テロへの警鐘を鳴らすため”と監督をはじめ製作陣は公開を決定し、大きな話題を呼んだ。
ルイーズは18歳。転勤が決まった両親とともに、ムンバイで2年間暮らすことになる。引越し先の新居が決まるまで、彼女と両親はタージマハル・ホテルの豪華なスイートルームに宿泊していた。ある晩、両親は夕食に出かけ、彼女は一人ホテルの部屋に残る。ホテルの廊下で聞き慣れない物音がして、彼女は即座にホテルがテロリストに襲撃されたことを知る。彼女と外の世界の唯一のつながりは携帯電話のみ。大混乱に陥ったムンバイの街中で必死に彼女を救出しようとする父親と連絡を取りつつ、スイーズは危険と向き合いながら、長い夜をたった一人で過ごさなければならなかった……。

キャスト
ルイーズ:ステイシー・マーティン
ルイーズ父:ルイ=ド・ドゥ・ランクザン
ルイーズ母:ジーナ・マッキー
ジョヴァンナ:アルヴァ・ロルヴァケル

スタッフ
監督:ニコラ・サーダ

配給:バップ
配給協力:プレイタイム

提供:日活

2015年 ヴェネチア国際映画祭 オリゾンティ部門 正式出品作品

公式ホームページ
「カリコレ2016」にて上映
7月29日(金) 16:00/8月2日(火) 13:00/8月13日(土) 10:00
「カリコレ2016」公式ホームページ

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【執筆者プロフィール】

藤野 みさき: Misaki Fujino

1992年、栃木県出身。
私にとって仏映画祭は、私の夢を叶え、そして夢の続きを歩ませてくれる映画祭でもありました。14歳のときアルノー・デプレシャン監督の映画に魅了され、その三年後の仏映画祭でデプレシャン監督にお逢いするという幸運に恵まれました。当時17歳の少女だった私をとても優しく包み込み、頬にキスをしてくださったことを忘れることはありません。またいつか逢えることを信じて、私はこれからも映画の夢を見続けたいと願っています。

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