2016年9月1日木曜日

映画『64 −ロクヨン− 前編/後編』評text今泉 健

「“昭和”in平成 」


※文章の一部で、結末に触れている箇所があります。

 昭和の終わり、その当時のことはまだ記憶に残っている。昭和63年の年末、確か11月前後から昭和天皇の健康状態の報道一色になっていて、プロ野球のビールかけや優勝パレードも中止になった程だった。そして松が明ける頃平成になった。テレビは通常の番組が一切なく、4月から社会人生活が控えていた正月で友人たちと街に出たが、商店やデパート、映画館も喪に服して営業を控えていたのを覚えている。東北の大震災直後に似ているかもしれない。昭和元年も年の瀬の7日間だったそうで、元号の切り替わりは、カウントダウンの出来るミレニアムと違い、やはり突然やってくる感は否めない。だから心に何かが残る。長い間病床にいる身内が亡くなっても親族には突然なのだが、この感覚に近いのではないか。
 
 映画『64-ロクヨン-』は、フィクションであり昭和64年1月の7日間のうちに、群馬県(名前はD県)で未解決少女誘拐殺人事件が起きたことに端を発する話である。事件を作品内では通称「ロクヨン」と呼ぶ。正月であり且つ世間やマスコミの関心が陛下の崩御一色になっていたあの時に誘拐を企てるのは、犯人は余程追い詰められているか、すこぶる頭が切れるかどちらかである。ストーリーの主なタイムラインは平成14年にもかかわらずドラマからは昭和の香りが漂っている。家父長制的な家庭環境、公衆電話BOX、電話帳の登場等もあるが、背景に「時効」があるからだろう。当時の法律ではこの事件の時効は15年である。つまりあと1年後には刑事訴追はできなくなる。時効は昭和のドラマ、映画にも使われるが、平成22年に死刑になる殺人であれば時効はなくなった。米ドラマの「コールドケース」(2003-2010)のような未解決殺人事件捜査のドラマが日本で可能になったわけだ。この場合15年という想定なら、現行法でも時効は存在する。事件自体が地方の群馬県警では稀な凶悪犯罪であったが、結果は散々で、犯人も逃し、被害者も殺されたとなれば大失態だ。従って被害者のみならず警察関係者も含めて15年前の昭和の頃で心の中の一部の時間が止まってしまっている。さらに主人公の県警広報官は娘の家出、引きこもり気味の妻という家庭内の問題も抱えているので、なおさらだろう。
 
 作品はほぼ2時間ずつの前後編で計4時間、テレビドラマは5話で計5時間、NHKは1話正味57~8分はあるので密度が濃い。テレビドラマと比べて1時間短いと考えると丁度良いのかもしれない。前編は「事件は現場で起きているんです」と言わんばかりに、「組織あるある」で一つ終わればまた一つことが起こり、息つく間もなく仕事に追われる感じだ。前編の締めくくりはロクヨンを模したような誘拐事件が発生したところで終わる。そして後編はこの誘拐事件が中心の展開になり、さらに人物描写に重きが置かれる。この作品はじっくり事の成り行きを描いているが、決して余すところなくではない。テレビドラマ編でも同様だが、パズルのピースを埋めるには観客が想像で補わないといけない。また多くの事象は独立しておらず、時に密接に結びつく。実に映画的であり、かつ連続ドラマ的でもある稀有な作品だ。4時間も詳細に人物描写をした上に、観客に想像の余地が残るのである。映画版を前後編に分けたことは、映画の要素とテレビドラマ的要素の表現に効果的だと思う。
 仕事面のみならず私生活も含めフックの多い作品である。組織・ポストと対立、キャリア・ノンキャリア、職業としての刑事、刑事のもつ業(ごう)、職責、犯罪被害者、記者クラブなどのマスコミ、被害者と加害者の匿名報道、隠蔽工作、仇討(復讐)、親子・夫婦関係、など事象が多岐に渡る。後編のエンディングに向かうにつれて、ロクヨンの真犯人を捜査に見せかけ、刑事や当時の捜査関係者皆で追い詰める展開になる。鑑識職員でも捜査現場にいる者はハンターなのだ。時に人生を棒に振った仲間を思い、時に肉親の境遇に重ね合わせて、義憤にかられながら、新たな仇討ち的誘拐事件を追う。主人公はロクヨンの犯人と対峙した時、堰が切れたかのように刑事の本性が剥き出しになる。こうして14年ぶりにケリが付き、関係者の心の時計も動き出す。主人公の心はやはり娘への思いに帰結するが、希望を含んだジエンドとなる。

 かつての日本軍の評価で、兵隊は一流、士官は普通、将校は三流という分析を外国が行っていた。これは指揮官不在でも統制を乱さないかららしい。隠ぺいは断罪されるべき行為だが、組織を守ろうとして歪んだ結末とも言える。あのキャリア組という最低の指揮官を仰ぎながら、統率が乱れない優秀さこそ、警察組織が一兵卒たちの頑張りでもっている、という昭和の発想である。平成に存在する「昭和」を見出せるのだ。またエピソードの密接なつながりと切り口の多さ故に、様々なエンディングを想起させる。これだけ人物設定がしっかりしていながら、いかようにもできそうなのは興味深い。実際に映画版とテレビドラマ版はエンディングが全く違う。だが違和感はなく、どちらも視点の違いでアリだと思えるのだ。

※NHKテレビドラマ「64(ロクヨン)」
 全5回1話58分 放送日:2015年4月18日(土)~5月16日(土)

刑事たちの暑苦しさ度:★★★★☆
(text:今泉健)



『64 -ロクヨン- 前編/後編』
2016年/前編:121分、後編:119分/日本

作品解説
『半落ち』『クライマーズ・ハイ』などの傑作で知られる、横山秀夫の7年ぶりの衝撃作『64(ロクヨン)』が、前後編2部作のエンタテインメント大作として、映画化。『ヘヴンズ ストーリー』(2010年)で「第61回ベルリン国際映画祭」国際批評家連盟賞を受賞するなど世界的にもその実力が評価されている瀬々敬久がメガホンをとった。
かつては刑事部の刑事、現在は警務部の広報官として、昭和64年に発生した未解決の少女誘拐殺人事件、通称「ロクヨン」に挑む主人公・三上義信(佐藤浩市)。事件は未解決のまま14年の時が流れ、平成14年、時効が目前に迫っていた。三上は、広報官として働き、記者クラブとの確執や、刑事部と警務部の対立などに神経をすり減らす日々を送っていた。そんなある日、ロクヨンを模したかのような新たな誘拐事件が発生する。

キャスト
三上 義信:佐藤 浩市
諏訪:綾野 剛
美雲:榮倉 奈々
三上 美那子:夏川 結衣
日吉 浩一郎:窪田 正孝
雨宮 芳男:永瀬 正敏

スタッフ
監督:瀬々 敬久
原作:横山 秀夫『64(ロクヨン)』発行元:文藝春秋
脚本:久松 真一/瀬々 敬久
脚本協力:井土 紀州
撮影:斉藤 幸一

主題歌:小田 和正「風は止んだ」(アリオラジャパン)

配給:東宝

劇場情報
有楽町スバル座、池袋シネマ・ロサ、他にて公開中

公式ホームページ
http://64-movie.jp/

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【執筆者プロフィール】

今泉 健:Imaizumi Takeshi

1966年生名古屋出身 東京在住。会社員、業界での就業経験なし。映画好きが高じてNCW、上映者養成講座、シネマ・キャンプ、UPLINK「未来の映画館をつくるワークショップ」等受講。現在はUPLINK配給サポートワークショップを受講中。映画館を作りたいという野望あり。

オールタイムベストは『ブルース・ブラザーズ』(1980 ジョンランディス)。
昨年の映画ベストは『激戦 ハート・オブ・ファイト』(ダンテ・ラム)、『海賊じいちゃんの贈りもの』(ガイ・ジェンキン)と『アリスのままで』(リチャード・グラッツアー)。

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