2017年1月14日土曜日

【第17回東京フィルメックス】個人的評〜『仁光の受難』『マンダレーへの道』を中心にtext井河澤 智子

(本記事は2016年12月に執筆された原稿を掲載しております)

第17回東京フィルメックスが、無事閉幕しました。
受賞結果の詳細は公式サイトをご覧ください。
http://filmex.net/2016/

公式サイトには、受賞結果とともに審査過程の掲載もあります。
http://filmex.net/2016/news/kisha_kaiken
これだけ多様な映画を揃えていると、審査にも諸々の事情を鑑みなければならないのだな、と、頭が下がる思いと同時に、「えっそういう理由……」と少々首をひねるところもあります。
これは「大岡裁き」と言っていいのでしょうか……?

コンペ作は10本中9本観ることができました。どれも観る者に訴える力を持つ素晴らしい作品でしたが、私が特に気に入ったものを挙げてみます。
『仁光の受難』
『マンダレーへの道』
紙幅の関係で上記2本にとどめますが、コンペ外も含めると他にもたくさんあったんですよ……。

まず、庭月野議啓監督『仁光の受難』について。
フィルメックスのコンペ部門において、1本だけものすごく毛色の変わった作品だったんです。アニメーションやイラストを多用した時代劇、しかもちょっとオトナなコメディ。アダルトな日本むかし話。落語で言うと破礼話。昔々そのむかし、「志村けんのバカ殿様」なんかでは、普通にお茶の間でもおっぱいポロリを拝めていたものだったなぁ、などと古き良きのどかな時代を彷彿とさせます。しかしそんなのんきなことを思わせつつ、とんでもなくクオリティが高い!

『仁光の受難』(c)TRICYCLE FILM

これは監督自身がQ&Aで笑いまじりに語っていらっしゃいましたが、相当戦略を練って作られた映画なんだそうです。国際マーケットでウケを取るために、時代劇という題材を選び、出すつもりはなかった浪人(サムライ)を出し、浮世絵や曼荼羅を多用したヴィジュアルを用いるなど。
また、自称「構図マニア」という監督。この作品を、商業ベースの映画と並べ引けを取らないものにするために、4年もの歳月をかけてコツコツと磨き上げたという、その根気にも頭が下がります。お金かかったでしょうねぇ……
そして出来上がったものは「女性にモテまくるお坊さんの悲喜劇」!

この作品、絵の作り方や画面の進行がとってもアイディアに満ちていて面白いんです。モーリス・ベジャールのバレエ「ボレロ」がこんなふうに使われるなんてジョルジュ・ドンすら思わなかったでしょう。当人たちは大真面目、けど傍観者たちにとっては面白くてしょうがないという状況にピッタリの使われ方でした。ベジャールに怒られないかどうかが心配ですが。

お坊さんは、なぜこんなに望まぬ女難の数々に見舞われるのか、その理由を探す修行の旅に出ます。そして延々自分と向き合い、色々な(羨ましくもけしからん)試練を乗り越えた結果、ひとつの結論に至ります。自らを肯定せざるをえない。仕方ないけど、本当に仕方ないんだけど、
「いたしかたなし」と。

今回の上映作には「ナショナルジオグラフィックの番組です」と言われたら納得するような、世界の辺境の美しい生活を描いた作品、また民族・宗教・貧困などの問題にコミットした作品が多く選ばれました。そして、監督自らの厳しい経験に基づき、製作された作品も数々ありました。その熱量は、「当事者」として我々を圧倒するように迫ってきます。自分たちの社会には、こういう問題がある。これを私は、訴えたい。しかしその熱は、時に「客観視」という大事なものを損なうのではないか、という懸念を私に感じさせました。私は「映画というものは芸術であり、娯楽である」とも考えますが(それは当たり前だろう、というツッコミを期待しつつ)、芸術であり娯楽であるためには「離見の見」とでもいうべき視点が必要です。すべてにそれがあったかというと少し疑問です。若手の監督が多いコンペでは、なおのこと。
『仁光の受難』には徹底してその視点がありました。あった、と感じました。だからこそ、この1本が絶対必要だったんだな、と私は感じました。

今回、評価は高かったものの受賞を逃したという作品の一つ、ミディ・ジー監督『マンダレーへの道』は、ミャンマーの貧しい華人コミュニティの不法就労問題という、監督の身近な問題(かつ、極めてフィルメックス的なテーマ)に基づきながら、「それだけじゃない」面白さがありました。
主人公の若い女性は、働き口を求め、故郷ミャンマーの貧しい華人コミュニティを離れタイに不法入国します。行き着いた先は、皆、彼女と同じ出自の不法移民コミュニティ。彼らはどんなに働いても働いても、彼らを食い物にする人々に搾り取られます。しかし、彼女は「なんとかまっとうな働き口を見つけ、もっとマシな生活をしたい」という希望と目標を持っています(その希望は矛盾したものであり−−手にしようとしているものが偽造パスポートである以上、まっとうな移民として認められることはないでしょう、ただバレにくいだけで−−ゆえに、怪しげな役人や業者に度々毟り取られる羽目に陥るのですが……)。

『マンダレーへの道』場面写真

そんな彼女を、恋愛が阻みます。そう、この映画は「恋愛もの」の側面も持っているのです。スリル満点の越境車両に乗り合わせ、親しくなった青年がいます。不安定な者同士、時に助け合い時に喧嘩し、いつの間にか彼氏彼女の関係である、と誰もが認める間柄になりますが……さて彼らの気持ちは通じ合っていたのでしょうか。重なり合わない視線に、はっきりと不安が漂います。驚愕のラストは……うーん、日本公開が未定である現状、ネタバレも何もないかな。悲劇的な結末を迎える、とのみ言っておきましょう。個人的には、この結末の処理の仕方がちょっと辛かったかな、と。もう少し余白が欲しかったかもしれません。

この映画の出演者たちには、撮影に際し8ヶ月ほど役作りの時間が設けられたのだそうです。甲斐あって、ふとした仕草や役者たちの距離の取り方に、「不法滞在の労働者」「異国で不安定に過ごす若い男女」としてのリアリティが漂います。そして、とにかく稼ぎたい彼らを引きずり込んでしまう沼が、そこここに水を湛えていることが示唆されます……。


彼らはどれだけ搾取されるのでしょうか!弱者からの搾取は、この作品に限らず度々描かれていました。切羽詰まった女性が自らのカラダを……という場面も多々ありました。しかし、この手の問題はここ日本においても普通に存在するのです。それはなにも「貧困ビジネス」「外国人技能実習生」などの違法すれすれのものばかりではありません。我々の身近に確実に存在する、しかしまだ顕在化していないそれらの問題は、ひょっとしたら近々、日本映画にとって「フクシマ」に続く大きなトピックになるかもしれないな、と個人的に思いますが、それはさておき。

『仁光の受難』Q&Aにて、林加奈子ディレクターが「フィルメックスは貧困にあえぐ人々の映画ばかりじゃないんですよ」とおっしゃって満場の笑いをさらっていらっしゃいました。しかし、今回の作品セレクトから強く感じたことは、この映画祭が行われた「現在の東京」から遠く離れた場所に、異なる生活、異なる価値観がある、ということでした。抑圧され、怒りを持て余す人々がいる、隔絶されたような土地で慎ましく美しく生活する人々がいる。
それらの作品において、描かれる対象は、あくまでも「社会」−−例えばソーシャルイシューであったり、コミュニティを描くことであったり、あるいはもっと大きなものかもしれません−−である、と私は感じました。
今回の授賞から、日本からの出品作は漏れました。それは、ひょっとしたら「社会を描く」という要求に応えていなかったからなのかもしれない、と私は穿った見方をしてしまいました。評を書いてみたらあまりに長くなりすぎてカットせざるをえなかった、内田伸輝監督『ぼくらの亡命』も、本物の亡命や迫害を描いた映画に挟まれると、これだから日本は甘い、と思われても仕方がない題材です。
しかし、映画は社会を描くべきものなのでしょうか? 物語を語り、人間の心の微妙なあやを描くものでもあるのではないでしょうか? 『ぼくらの亡命』は、非常に狭い人間関係を描きながらも、その心理を突き詰めることにかけては他を圧倒していました。また、韓国から出品された『私たち』『恋物語』も、人と人の関係性を優しく描いたものでした。決して、良い映画を作ることに「社会」あるいは「社会への怒り」は大前提ではありません。

映画は時にジャーナリズムで、また時に芸術で、時に、大きな娯楽でもあります。その采配は監督に委ねられています。
初監督作が多かった今回のコンペティション。数年後、数十年後が楽しみです。
これから、どんな映画を観せてくれるのでしょうか。期待しています。


(text : 井河澤智子)


第17回東京フィルメックス

公式サイト
http://filmex.net/2016/

開催情報
2016年11月19日(土)~2016年11月27日(日)

開催会場
有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇 

上映作品一覧
・東京フィルメックス コンペティション 
http://filmex.net/2016/program/competition
・特別招待作品
http://filmex.net/2016/program/specialscreenings
・特集上映 イスラエル映画の現在
http://filmex.net/2016/program/sp1


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【執筆者プロフィール】

井河澤 智子 Ikazawa Tomoko

今回のコンペで最優秀作品賞を受賞した1本について言及することができませんでした。
この映画、実はあまり印象に残っていないのです。
亡き妻が息子に憑依し、しばらく夫と過ごす、という筋立ては「アピチャッポンを想起させる」という意見も聞くことができますが、そういう設定の映画は即座にいくらでも思いつきますよね?『秘密』なんていう映画もありましたし。
輪廻転生もの、として観てしまうと、そんなに珍しい題材ではないし、怪異譚としてもあまりに日常的。
何度思い返してみても、印象に残っていないのです。
寝落ちしていたわけはありません。私はどんな状況でも寝落ちできない悲しい体質なのです……。
コンペ外で語りたい作品もたくさんあります。
また、いつか、次の機会に……。

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