2017年1月13日金曜日

映画『ブラインド・マッサージ』評text長谷部 友子、今泉 健、井河澤 智子、佐藤 奈緒子


「揺れる欲望」


揺れるのだ。ゆらゆらと。ロウ・イエ監督の映画はいつも画面が揺れる。見ると船酔いのような気分になる。それなのに今回は揺れない。奇妙な確かさをもって南京の盲人マッサージ院を舞台に巻き起こる人間模様を描いている。そして代わりと言ってはなんだが、めまいのような光のグラデーションが画面を支配している。
盲人というと一律に目が見えないと思いがちだが、生まれながらに見えない者、事故で見えなくなった者、病気でこれから見えなくなる者と様々だ。そして盲人たちのひそやかな欲望の行方もそれぞれだ。見えなくなる前に伴侶を得ようとする者、自身が盲人でありながら全盲の人との結婚を両親に反対され駆け落ち同然で家を出た者、盲人であるため自らは見ることができないのに美人と言われる女性に執心する者。
獲得したい、敬意を払われたい、安心したい、愛されたい。懸命に日々を生きる彼らの喜びと悲しみ、善意と悪意。彼らの欲望は大それたものではなく、ひそやかなものなのかもしれないが、それゆえに切実で苛烈だ。
在るか在らぬかを私たちは気にする。見えるか見えないか。けれど多くは二者択一でも二項対立でもなく、グラデーションなのかもしれない。各々が抱える事情も、欲望も、そして決断する勇気すらもグラデーションだ。何かが圧倒的に在って、何かが圧倒的にないのではなく、そのグラデーションの中で弱く惑い、時に大胆に人生を賭す。
見えるものと見えないものの狭間を泳ぐ。ゆらゆらとけれど苛烈に。やはりロウ・イエ監督の映画は揺れている。揺れ続ける生は苦しい。

(text:長谷部友子)


「「昼メロ」な「ソープ・オペラ」」


群像劇でエロ・グロ・ナンセンスとくれば、ソープ・オペラである。米国には放送50年超のドラマもあるが、近年の日本でも知られてそうなのは、『デスパレートな妻たち』だろうか。基本はコメディタッチで、時に社会事象も絡めながら、だいたい不倫とか殺人事件がご近所を「ハイテンション」に巻き込んでいく。一方日本では「昼メロ」である。日本はシリアスを装い男女や人間関係のドロドロに重きを置く。かつては、東海テレビ制作の『華の嵐』等のシリーズが人気を呼んだが、放送枠自体が終了している。最近の『昼顔』はこの類だ。なお、韓流ドラマは因果応報が重視される。
ロウ・イエ監督の『ブラインド・マッサージ』は、日米の中間、「昼メロ」な「ソープ・オペラ」ともいうべきか。設定に大きな特徴があり、南京のマッサージ院を舞台にしているが、主要出演者はマッサージ師を中心に一人を除き盲人である。盲人独特の生活習慣がドラマのアクセントになっており、(たぶん)狙ってないのに笑えるシーンもある反面、重みのあるセリフが飛び出す上質感も併せ持つ。
盲人といっても様々で先天的か後天的かだけでも、人生のスタンスに違いが出てくる。健常者との距離感、関係のとり方などもある。盲人にとって美貌は意味を持つかという興味深い問いかけもある。最大関心事はやはり恋愛であり、カノジョがいる、いない等様々だが、そこは健常者となんら変わりはない。また一人っ子政策の影が垣間見える展開もあり、西島秀俊似の先生のピンチの切り抜け方は必見で、果たしてこれが通用するのか興味深かった。時に絡み合いながらも各人の物語がオムニバス的に進み続けるが、終盤の展開はあっと驚く唐突な事件の連続だ。さあこれからどうなるの? と思っていると、突然の幕引き。まるで、ワケありで急遽打ち切りが決まった連続ドラマみたいに「えーっ」というカットアウトで話は終わる。でも後日談でしっかりフォローされる。絶望して、自暴自棄になり風俗嬢に入れ込んだ若者のその後は必見の物語だ。人生一寸先は闇、思いもよらぬことで躓いたり、その逆もある。何が奏功するか分からない、まさに、「上質な」ソープ・オペラで、映画序盤の重さとは予想もつかない気分の良さで劇終となる。登場人物の人間模様を描きながら、物足りなさもなく、飽きることもなく、良い具合に締めくくられた115分だった。

(text:今泉健)


「ひとことで言えば、官能」


視覚に障害がある人が「色彩」について語るのを、聴いたことがある。空の青さ。水の透き通った色のない色。
彼は5歳の頃に視覚を失った。彼は「視えていた」経験を持つ人であった。

この『ブラインド・マッサージ』で「美しい」と評される女性には、視えていた経験がない。そもそも美という概念がないので自らの美しさなど無価値である。しかし、同じく視えた経験がほとんどない、診療所の若き院長は、彼女によって「美には価値がある」ことを理解した。
視えなくなることに絶望し、自殺を試み、生き残った者がいる。子供のような彼の衝動を癒す「場所」へ誘う陽気な男がいる。そして、駆け落ちのように彼らのもとにたどり着いたカップルがいる。
「五感」のひとつが欠けている人々が集う場所。彼らは「匂い」に心を動かされ、あるいは誰かの異変を察知し、「触れる」ことによって生計を立て、あるいは美の形を知り、「食べる」ことによって共同体の形を強固にする(それは擬似家族的でもある)。声、会話、賑やかな(時には喧嘩にもなる)食卓、呼ばれる名前、それらを「聴く」。
特筆すべきは「触れる」−−触覚−−であろう。触覚は雄弁である。診療所を訪れる人々の身体に、的確に触れることが彼らの仕事だ。また、若者の衝動を受け入れるのは娼婦の仕事だ。「からだに触れることを生業とする人々」の物語がここにある。
「君の美しさを知りたい」、その手段は「指先で撫でること」。愛し合うことも文字通り真の闇の中では肌の感覚が頼りだ。時折パチンパチンとクリップで指先を挟む仕草は、痛覚を通し、自らの触覚を研ぎ澄ませるようにも思える。あるいは痛覚によって自らがそこに「在る」ことを確認するようにも。
触れられる肌。しっとりと湿り気を帯びた肌。とにかくよく雨が降る。雨の音に包まれる。映画に湿度は関係するのだろうか? 
そういえば、ロウ・イエ監督の映画では、よく雨が降り、水が流れる、そんなイメージがある。
彼らの世界ははっきりとした形をとって立ち現れることはない。映像は彼らに寄り添うように、にじみ、揺らぎ、ぼける。彼らに「視えている」世界は曖昧なものである。匂い、指先の感覚、共に食べるご飯の味、すぐに消えてしまう声。
しかし、それを傍観している私たちの世界は明確なのだろうか?
彼らに視えている世界より明確であると、誰が言えるのだろうか?

(text:井河澤智子)


「(意外にも)素直に感動 」


ロウ・イエの映画を見るともやもやする。愛の渇望や性衝動があまりに自分本位で浅はかで不器用、そんなちっとも共感できない人達の織りなすメロドラマを見せられたあげくサラっと終わって肩すかしを食らうのだ。フランス映画ばりのややこしい恋愛模様にはくたびれてしまう。そんな心のねじくれた私にとって、新作『ブラインド・マッサージ』は期待を裏切る快作だった。
舞台は南京のマッサージ院。そこで働く目の見えないマッサージ師たちはそれぞれの事情や思いを抱えながら、愛を求めては打ち砕かれ、それでも前を向いて生きている。職業選択の余地がない彼らにとって、愛という目に見えないものだけは小さな夢を見させてくれる。声を聞き分け、触れ合い、においを嗅ぐ行為が優位にある世界。相手を求めまさぐり合う人間達が直接的に訴えかけてくるのは、見ているうちに自然と感性が研ぎすまされるからなのか。盲人の心の中で健常者は「一級上の目を持った動物」だとナレーションは言う。これが残酷な現実だとしても、取り立て屋の前で自身の体を斬りつける行為や暴漢に挑んで殺されかけることには、見える者と見えない者の力関係を無にする激情と暴力がある。金銭を介在した逢瀬や不確かな未来しかないカップルには、盲目的な官能と依存がある。それらはみな『春琴抄』にも似た美しい狂気だ。見たことのない「美」にとらわれ、見ることのない記念写真を撮り続ける、“見えないもの”を求める衝動は光への執着であり、愛への渇望と同義とも言える。
脇のキャストはみな実際の盲人が演じているが、メインキャストではコン役のみ、目の不自由なチャン・レイが演じている。素朴すぎるルックスの割に幼い色香を放ち意外なほど男慣れしている。おそらくそれは演じる彼女自身がまとっている空気であり、ごく普通の女達の持つ神秘であろう。コンの存在こそがこの映画の説得力を格段に引き上げ、愛のごたごたを人間のひたむきな営みに昇華させているのだ。
焦点のあわないショットはぼんやりと明滅しながら、まるで視覚に頼る観客を試すかのように予測不能に移ろう。それはロウ・イエの描くたゆたう人々そのものでもあり、心もとない人間関係や先の見えない社会と重なる。その粗い粒子の光と影に目を凝らすと何かが浮かび上がってくる。そう思いたいと思わせるものが見えるのだ。その感覚の後にくるラストには確かなものが見える。その不確かで確かな結末を信じる自分を信じられそうになる。
たゆたう人々がようやく地に足をつける瞬間の絶望を超えた人間讃歌。それを勝手に自己肯定にすりかえて素直に感動していいのではないだろうか。 

(text:佐藤奈緒子)




『ブラインド・マッサージ』
原題:推拿
2014年/中国、フランス/115分

作品紹介
シャーとチャンが経営する南京のマッサージ院では多くの盲人が働いている。若手のシャオマーは、幼い頃に交通事故で視力を失った。医師の診断は「いつか回復する」というものだったが、その日は一向にやってこない。
生まれつき目の見えない院長のシャーは結婚を夢見て見合いを繰り返すが、視覚障害者であることが理由で破談してしまう。それでも懲りずにパートナーを探し続ける明るい男だ。客から「美人すぎる」と評判の新人ドゥ・ホンもまた、生まれつき目が見えない。彼女は自分にとって、何の意味のもたない“美”に嫌気がさしていた。そのことを耳にしたシャーは、彼女の“美”が一体どんなものか知りたくて仕方がなくなる。
そんなマッサージ院に、シャーの同級生ワンと恋人のコンが駆け落ち同然で転がり込んできた。まだ幼さの残るシャオマーは、コンの色香に感じたことのない強い欲望を覚えはじめる。
ある日、爆発寸前の欲望を抱えたシャオマーを見かねた同僚が風俗店へと誘った。そこで働くマンと出会いによって、 大きく動き出した運命の歯車。己を見失いもがき苦しむ中で見つけた一筋の光とは……。

キャスト
シャオマー:ホアン・シュエン 【『空海-KU-KAI-』2018公開】
シャー ・フーミン:チン・ハオ【 『 二重生活 』 、『 スプリング・フィーバー』】
ワン:グオ・シャオトン【『天安門、恋人たち』】
ドゥ・ホン:メイ・ティン
マン:ホアン・ルー
コン:チャン・レイ

スタッフ
監督:ロウ・イエ
脚本:マ ー・インリ ー
原作:ビー・フェイユィ著「ブラインド・マッサージ」(飯塚容訳/白水社 刊)
撮影監督:ツォン・ジエン【『二重生活』『スプリング・フィーバー』】
録音:フー・カン
作曲:ヨハン・ヨハンソン
編集:コン・ジンレイ、ジュー・リン
衣装:チャン・ディンムー
メークアップ:シー・ホイリン
美術:ドゥ・アイリン

配給・宣伝
アップリンク

公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/blind/

劇場情報
2017年1月14日(土)より、アップリンク渋谷、新宿K’s cinemaほか全国順次公開

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【執筆者プロフィール】

長谷部友子 Tomoko Hasebe

何故か私の人生に関わる人は映画が好きなようです。多くの人の思惑が蠢く映画は私には刺激的すぎるので、一人静かに本を読んでいたいと思うのに、彼らが私の見たことのない景色の話ばかりするので、今日も映画を見てしまいます。映画に言葉で近づけたらいいなと思っています。


今泉健 Takeshi Imaizumi

1966年生名古屋出身 東京在住。会社員、業界での就業経験なし。映画好きが高じて関連の講座を受講。現在はUPLINK配給サポートワークショップを受講中。映画館を作りたいという野望あり。2016年のベスト1は『スポットライト~世紀のスクープ~』。


井河澤 智子 Tomoko Ikazawa

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし
初詣、みなさま行かれましたか?
神社仏閣に、よく「形代」ってございますね、紙のヒトガタに体のよくないところを移して水に流す、と。あたしもこの際どっか悪いところを流していこうかね、と何の気なしにヒトガタ取ったら、うっかり2枚取っちゃった。まぁ、いけないところは1箇所じゃないわな、てんでオデコにしっかり当てて、水に流してきたんですが、あれですかね、2枚のヒトガタの内訳は、どえらい寝つきの悪さと酒の飲みすぎでしょうかね。
なんの話でしたっけね。
あ、ロウ・イエ監督の作品は『ふたりの人魚』が一番好きですな。


佐藤奈緒子 Naoko Sato

映画を通して世界を学びながら少しずつ大人になっています。2016年に見た映画のマイベストは『怒りのキューバ』です。

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