2017年2月21日火曜日

映画『エリザのために』評text成宮 秋洋

「“我が子のために”という親の無関心」


 ある朝、ルーマニア・クルージュの静かな団地の一角に住む医師ロメオの自宅の窓を何者かが石を投げて割った。辺りは静々としており、割れた窓の破裂音だけが強烈に響いた。ロメオは犯人を捜索するも見つけられず断念する。

 この映画の出だしは、こんな不穏な気配を画面に漂わせながら始まる。

 その後、ロメオは娘のエリザを学校まで車で送っていくが、途中でエリザを車から降ろし歩いて登校させる。ロメオには愛人である英語教師のサンドラがいて、エリザを車から降ろしたのはサンドラと密会するためだった。

 ロメオがサンドラとの密かな関係を楽しむ中、衝撃の連絡が届いた。エリザが暴漢に襲われ怪我を負ったというのだ。ロメオが病院に着くと、先に着いていた妻のマグダからどうしてエリザを途中で車から降ろしたのか詰問される。二人の夫婦仲は前々から芳しくなかった。

 奇跡的に重症を免れたエリザだったが、強姦未遂という出来事にショックを隠しきれず失意に陥る。エリザはイギリス留学を控えており、留学を確定するには学校の卒業試験に合格しなくてはならなかった。試験は翌日。しかし彼女はとても試験を受けられる精神状態とはいえなかった。

 エリザのイギリス留学を望むロメオは、なんとしてもエリザを試験に合格させようと、あの手この手と自らのコネやツテを利用し卒業試験に関係する人物たちを説き伏せていくが……。

 物語の流れだけを辿っていくと、心に傷を負ってしまった娘のために父親が奔走する話に見える。表面だけをなぞれば素直な感動を呼ぶ物語に思えるだろう。しかし、実際に映画を観ながら物語を辿っていくと、どうにも素直に感動できない。ロメオのエリザに対する感情に娘への愛以上に親としてのエゴを強く感じたからだ。

 そもそも娘の卒業試験を合格させるために汚職に走る主人公に共感を覚える人はそれほどいないのではないだろうか。卒業試験を受けるか受けないかを決めるのはエリザ次第であり、ロメオに決定権はない。

 しかし、本作ではエリザの方にこそ決定権がないように描かれている。ロメオとエリザの会話は常にロメオ主体でエリザは受け身のままである。この場面があまりに自然に描かれている様子からして、強姦未遂に遭う前からすでにロメオの家庭ではエリザに何かを選ぶ権利はなかったのだと推量できる。

 本作は、“我が子のために”という親の無関心を描いている。

 映画は、ロメオの主観によって進行していく。ロメオは、エリザを試験に合格させるため、副市長や試験管、警察署長、さらには仲の悪い妻のマグダや愛人のサンドラ、そしてエリザに将来の選択肢を与えるように諭す自身の母親に至るまで、理屈を詰めて説き伏せていく。

 その危うい情熱を秘めた弁舌ぶりには、エリザへの愛とは異なる何かに取り憑かれたような執念を感じる。そこにはエリザを含め、他人への関心はないのだ。実際に、愛人のサンドラの息子のマテイを初めて見た時もロメオは無関心を示し冷たく対応してしまい、サンドラの顰蹙を買ってしまう。

 こうした“我が子のために”という動機で起こしたロメオの一連の行動には、真の動機が存在するのは明らかである。それは娘への愛を隠れ蓑に、ロメオ自身の不安を解消しようとする個人的な動機である。それは祖国ルーマニアへの絶望から来る将来の不安である。

 第二次世界大戦後、ソビエト連邦の圧力を受け共産化したルーマニアは、ニコラエ・チャウシェスクによる長い独裁政権が続いた。1966年に妊娠中絶を禁止した法律をチャウシェスクが作ったことで、子どもが増え続け、経済的な支援が困難となった多くの子どもたちは路頭に迷い、治安が悪化。彼らは物乞いや買春などによって日々の生活を凌いだ。

 また、チャウシェスクは西側諸国からの対外債務を返済するために憲法を改正し、自国の生産品や工業品の強引な大量輸出を行い、物資不足を招いた。そのため、1980年代のルーマニアでは飢餓が発生し、多くの人々が貧困に喘ぐことになった。

 本作の監督を務めたクリスティアン・ムンジウが2007年に手掛けた代表作である、妊娠中絶をテーマとした『4ヶ月、3週と2日』は、このチャウシェスク独裁政権によって混乱に陥った1980年代のルーマニアを舞台としている。

 やがて、チャウシェスク独裁政権は1989年12月に勃発したルーマニア革命により崩壊し、チャウシェスクは処刑され、非共産党政権が樹立、民主化が進むことになった。ロメオは、このルーマニア革命後に祖国に戻ってきた人々の一人であり、チャウシェスク独裁政権以後のルーマニアを生きる人々の一人でもある。

 ロメオが祖国であるルーマニアに抱く絶望は、結局のところルーマニアが血で血を洗う革命を経た後も根本的な変化がなかったことにあると思える。ある調査によると、ルーマニアはEU加盟国の中でも汚職が蔓延しているとされ、失業率も高く賃金も低い。前述したチャウシェスク独裁政権時代の課題も残り続け、ある意味でルーマニアは未だ混乱した状態にあるとロメオには見えたのかもしれない。

 ロメオは、副市長や警察署長、試験官など公的な組織に属する人たちにエリザが試験を合格できるように説き伏せていくのだが、個々のこれといった葛藤もなく自然にあっさり話が通ってしまうのも汚職が蔓延したルーマニアの実態を明らかにしているといえる。

 表面的には見えることのないこのルーマニアの実態はロメオ自身も間違いなく見てきた実態であり、深い絶望の証といえる。そのため、自分の家族であっても堂々と自分の想いや考えが正しい(今回の場合は、“やむを得ない時は不正を行ってもいい”)と理屈を詰めて説き伏せられるのだ。

 しかし、世の中は絶えず変化するものである。ロメオの生き方や価値観も同じだ。その変化のきっかけはロメオ自身が招いたものだった。彼が行ったエリザの卒業試験を有利に進めるための一連の裏工作が順調に進んでいく最中、協力者だった副市長宛に検察官の捜査が入った。

 ロメオは焦った。自らが行った汚職行為が露見するかもしれないという恐怖を覚えた。しかし、ロメオの恐怖は自分が守ろうとしていたエリザのおかげで辛うじて免れた。エリザは卒業試験で不正を行わなかったのだ。この行為は、間違いなく彼女自身が選んだことである。

 本作は、子どもに対する親の無関心の他、もう一つテーマがあるように思う。“子どもの親への抵抗”である。これは推測に過ぎないが、子どもの親への抵抗の兆しは、冒頭で描かれたロメオの自宅の窓に石が投げ込まれる場面にある種の暗喩として込められていたのではないだろうか。

 石を投げたのは、“我が子のために”という親の想いによって抑圧された子どもの家庭からの解放を意味している。追いかけても石を投げた犯人が見つからないのは、子どもは親が知らない間に大きく成長していくためである。やがて羽ばたいていくから、見つけられるはずがないのだ。

 人は、一人では生きていけない。そして、人に無関心でも生きていけない。自らの汚職行為を通じて、エリザの変化を感じ取ったロメオは次第に他者に関心を示していく。マグダに家を追い出されたロメオは、暗い面持ちでサンドラの家に泊まらせてもらう。

 翌朝、ロメオは無関心を示していたサンドラの息子のマテイと公園に遊びに行く。そこでマテイは遊具の列に並ばない子供に石を投げつけてしまう。彼は冷静にマテイを諭す。この場面に他者に関心を示し始める彼の心理的な変化がうかがえた。つまり、彼は“人を傷つけてはいけない”という正しい説得をしているのである。

 クリスティアン監督は、インタビューにおいて、本作がルーマニア・ブカレストで実際に起きた女性強姦事件から影響されていることを語っている。その女性は白昼に襲われ30分以上も市中を引きずり回されていたという。この時、現場に居合わせた人々は誰もその女性を助けようとしなかった。クリスティアン監督は、この事件から現代人の他者への無関心を感じ、これからの未来のため、そして次代を担う子どもたちのために、人が人に関心を寄せ合い助け合える社会とは何かを、我々に考えさせるために本作を作り上げた。

 本作の会話場面はとにかくリアルである。二人の登場人物の姿を会話中ずっと撮り続ける。画面の変化がその間まったくないため空気が張り詰め、画面は重い緊張感を表出している。また、会話中ずっと人の気配が辺りにあることが、会話の生々しさを引き立てている。完全な密室ではない場所で行われる密談により一層のリアリティを感じてしまう。それだけにロメオの心理的変化やエリザの勇気のある選択にも強いリアリティが感じられ、最後には清々しい風が肌を撫でるような心地よさに満たされた。

(text:成宮秋洋)


『エリザのために』
2016/128分/ルーマニア、フランス、ベルギー

作品解説
医師ロメオの娘エリザはイギリス留学を控えている。しかしロメオには愛人がいて、家庭は決してうまくいっているとは言えない。ある朝ロメオは娘を車で学校へ送るが、校内に入る手前で降ろした後、娘は暴漢に襲われてしまう。大事には至らなかったが、翌日の留学を決める卒業試験に控えていた娘は大きく動揺する。ロメオはツテとコネを駆使し、娘を試験に合格させるために奔走するが……。

キャスト
ロメオ・アルデア:アドリアン・ティティエニ
エリザ:マリア・ドラグシ
警察所長:ヴラド・イヴァノフ

スタッフ
監督/脚本/製作:クリスティアン・ムンジウ
共同製作:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
撮影:トゥドル・ブラディミール・パンドゥル
美術:シモナ・パドゥレツ

劇場情報
シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか、公開中

公式ホームページ
http://www.finefilms.co.jp/eliza/

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【執筆者プロフィール】

成宮秋祥:Akihiro Narumiya

1989年生。東京在住。本職は介護福祉士。「キネマ旬報」(読者の映画評)に2年間で掲載5回。ドキュメンタリーカルチャーマガジン「neoneo」(neoneo web)や「映画みちゃお!」に映画記事を寄稿。映画交流会「映画の”ある視点”について語ろう会」主催。

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