2017年11月9日木曜日

映画『女神の見えざる手』評text長谷部 友子

「自らを救った女」


エリザベス・スローン。天才ロビイスト。真っ赤な口紅、一流ブランドの服とハイヒールがよく似合う完璧な美貌。彼女は眠りたくない。毎日深夜まで営業する質素な中華料理屋で食事をし(本当は錠剤で済ませたい)、プライベートの時間をもたず、恋愛はエスコートサービス。 すべての時間とエネルギーを仕事に注ぎこむ。つまり勝つことに。

大手ロビー会社に身を置くエリザベス・スローンは、銃擁護派団体から女性の銃保持を認めるロビー活動で、新たな銃規制法案を廃案に持ち込む仕事を依頼されるが、自らの信念に反すると断る。上司は大口顧客の要求に応じないのであればクビだと告げるが、エリザベスは銃規制に賛成の立場をとる小さなロビー会社に移籍し、かつての同僚と銃規制法案をめぐって熾烈な駆け引きを繰り広げる。

ロビイストとは世論を動かし、マスコミを操作し、国を動かす政治的決断に関与する戦略のプロだ。彼らの至上命題は勝つことで、モラルや常識を求めることは無意味だ。中でもエリザベスは徹底している。勝つために裏の裏を読み、敵のみならず味方をも騙し、仲間の命を危険に晒す冷徹な仕事ぶりだ。

大手ロビー会社を辞めてまで銃規制法案の成立に尽力する彼女に対し「親しい人に銃犯罪の被害者がいたのね」と訳知り顔に語りかける面々に、彼女は「そんなものはない」と言う。銃犯罪の生き残りであるとか、誰もが納得するお決まりの過去がなければ信念を持つことは許されないのか。「どんな異常者でも店やネットで銃が買える」。上司に依頼を断る際に言ったその言葉が、それ以上でもそれ以下でもなく、信念とはクリアなシンプルさにこそ宿るものなのに、どうして情緒的な過去のトラウマを必要とするのだろうか。

肉を切らせて骨を断つではないが、自分自身すら道具にした彼女の策略による鮮やかすぎる大どんでん返しは、ややもすれば映画的なご都合主義と言われてしまいそうだが、それでも爽快で見事だ。

それにしても一体彼女は何に勝ったのか?
自分をクビにしたかつての会社か、銃擁護派団体か、愚かな世論か、それとも。
重度の不眠症、30分に3回トイレに立って精神安定剤と思われる薬をフリスクのように飲む彼女は遅かれ早かれ破滅していた。だから本当に破滅するその前に、自らを強制終了させることにより、勝利依存症ともいうべきその生き方を終わらせ、彼女は生きながらえることを選んだのではないだろうか。 彼女は自らを救いたかった。いや救いたかったなんてものではない。誰も救ってくれない自分を自ら救うしかなかった。

狂乱の勝利依存症の季節は終わり、彼女は救われたのか。人間はそう簡単には変わらない。凄まじい刺激と快楽と、それでしか感じられない肉体と精神が容易に順応するはずもない。欲望は何度だって訪れるだろう。あらゆるものを賭して闘い、上り詰めて果てたいというその欲望を前に、けれど彼女はぎりぎりのところで、自らの破滅すらも織込み済みの博打によって生き長らえるのではないだろうか。生きられるのであれば、何回だって破滅すればいい。苛烈に自らを救うエリザベス・スローンの一手は、やはりあまりに鮮やかだ。

(text:長谷部友子)


『女神の見えざる手』
 2016年/132分/フランス、アメリカ

監督:ジョン・マッデン

公式ホームページhttp://miss-sloane.jp/

劇場情報
10月20日よりTOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー

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【執筆者プロフィール】

長谷部友子 Tomoko Hasebe

何故か私の人生に関わる人は映画が好きなようです。多くの人の思惑が蠢く映画は私には刺激的すぎるので、一人静かに本を読んでいたいと思うのに、彼らが私の見たことのない景色の話ばかりするので、今日も映画を見てしまいます。映画に言葉で近づけたらいいなと思っています。

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