2017年11月15日水曜日

映画『エクス・リブリス−ニューヨーク公共図書館』評text井河澤 智子

「余談だらけの図書館概論」


アメリカ、そして世界を代表する図書館、ニューヨーク公共図書館。
3館の中央図書館、市内各所に80を超える分館、2館の提携図書館を擁し、年間1800万人以上の来館者を数える世界屈指の規模を誇る機関であります。
※2012年。http://current.ndl.go.jp/node/23104
さて、皆さんは、図書館やそこで働く人々に対し、どんなイメージを持ってらっしゃいますか?映画好きにとっては『スパイダーマン』(2002)や『ゴーストバスターズ』(1984)、『ティファニーで朝食を』(1961)などにも登場する場所でもあります。豪奢な建築がたいそう目を引く、本好き建築好き映画好きにとっては是非訪れてみたい場所でしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=WJdEXb8bRQ0&feature=youtu.be


https://www.amazon.com/Nancy-Pearl-Librarian-Action-Figure/dp/B0006FU9EG

いるいるこんなおばちゃん!

なんだか春風亭昇太師匠に似たこのフィギュアですが、”libraryanlike”というと「ひっつめ髪で眼鏡をかけた女性」という意味になるそうです。
また、『スノーデン・ファイル 地球上で最も追われている男の真実』(日経BP社,2014)の原著301ページには「四角い、黒縁の眼鏡をかけ、もじゃもじゃの黒い髪の毛を耳のところまで伸ばしている。ライブラリアンで通るかもしれない風貌。」と表現された文章があるそうです。
※山本順一「公共図書館の課題と展望−日米比較図書館情報学的視点から−」(『桃山学院大学経済経営論集』第56巻4号,2015年)p.20.
見た目もそうですが、ドラマや映画の中にあらわれる図書館職員は、おとなしかったり、融通が利かなかったり、人より本が好きだったり、影があったり、どこからステレオタイプが出来上がったのかはわかりませんがそんな描かれ方がされがちです。図書館という施設そのものに対するイメージは……昨今の図書館をめぐる流れを観察する限り、言わぬが花でしょう。
※佐藤毅彦「2015年:図書館をめぐるメディアでの扱いとテレビドラマ『偽装の夫婦』」(『甲南国文』第63号,2016年)p.152-139
 山口真也「漫画作品にみる大学図書館員のイメージ 〜「図書館の自由」を中心に〜」(沖縄県大学図書館協議会配布資料,2002年)

さて。
「New York Public Library」。しばしば「ニューヨーク市立図書館」と称されますが、市立ではなく、私立です。法人であり、主な財源は民間からの寄付です。「Public」とは「一般に開かれた」という方のパブリック。私立なのにパブリックスクール、というような使い方ですね。

しんとした静けさ。黴くさい本の匂い。ページをめくる音。
そのような光景を脳裏に描きつつ、フレデリック・ワイズマン『エクス・リブリス− ニューヨーク公共図書館』を観ると驚くと思います。
ワイズマンの作品には、「ナレーション」「テロップ」「インタビュー」「音楽」はありません。『エクス・リブリス− ニューヨーク公共図書館』も例外ではなく、我々観客は、なんの説明もないまま図書館の日常に放り込まれ、ただ観察し、体験することを強いられます。そして次第に観客の目には「図書館という場」に集う人々、そして彼らの現状が浮かび上がってくるのです。

利用者からの電話質問に答える職員。質問の内容は相当難しく、これを口頭で的確に回答するには高度な知識が要求されるでしょう。
子どもの学習支援クラスがあります。
仕事の探し方をレクチャーする就職支援。仕事を求める人々と、人材を求める人々とのマッチングも行われています。
英語が得意ではない利用者にパソコンの使い方を教える職員がいます。
作家を招いての講演会があります(大盛況!)
素晴らしい演奏会も行われます。(行きたい!)
お年寄りへのダンスレッスンクラスがあります。
美術学生に、写真資料の探し方を教える講座も。写真なんてどうやって分類するんだと思いましたが、確実にルールに則って分類され、検索しやすくなっています。
そして、「いかにして予算を獲得するか」について熱く討論する職員たちがいます。運営予算というものは「存在価値をアピールして、全力でもぎ取ってくる」ものなのです。死活問題です。プレゼン能力が問われます。まさにTEDです。図書館はおとなしくては生き抜いていけません。

図書館は、人々が生活するための情報を手に入れるインフラを提供しています。具体的に言えばパソコンやインターネット、外でも利用できるWi-Fi。ハードとソフト両方を提供しているのです。それは学習のため、仕事を探すため、目的はさまざまです。
図書館は子どもたちの保育を担い、読み書きを教えます。子どもたちへのサービスと同じように、お年寄りへのサービスも欠かせません。
もちろん、読書の機会も提供します。なんだかんだ言っても書籍の形はなかなか変わりません。古い新聞や雑誌など、劣化して失われやすい資料は、マイクロフィルム……いや、もはやマイクロフィルムすら古いメディアと言えるでしょう……デジタル化され、オンラインで利用できるようになりつつあります。その作業に従事する職員の姿も映し出されます。

現在、アメリカの公共図書館には、従来の図書館の役割を超え、地域に必要なサービスを総合的に提供することが求められています。
学習塾、職業安定所、保育所、公民館、文化施設、文書館。地域に暮らす人々に必要な機能がすべてここに集約されているかのようです。
たまたまニューヨーク公共図書館は、「担う地域」が大きいので求められる機能も多岐にわたりますが、これはどうやらアメリカの公共図書館界に共通する流れであるようです。このような図書館の機能の変化を、関係者は合言葉のように「図書館は成長する有機体である」(インド図書館学の父ランガナタン「図書館学五原則」の5)と呼びます。
元々、図書館の機能は資料の保存・収集が主なものでした。資料がどんどん増え、整理され、体系化されることをこのように表していたのですが、施設に求められる機能が変わりつつあることを受け、再定義を模索されている言葉です。
※佐藤和代「図書館再考」(『情報管理』第58巻11号,2016年)p.849−852.
 
ここで、「図書館で働く人々」について少しだけ説明をしたいと思います。なぜなら、ここに映し出される図書館の職員は、日本で「司書さん」と呼ばれる人々とは少し背景が異なるためです。
まず、日本で「司書」とひとくくりにされている資格ですが、アメリカではいくつかの階層に分かれています(厳密には、日本にも司書の補助として「司書補」という資格も存在するのですが、司書補の資格で図書館で働く人々は現状それほど多くはないと思います)。
アメリカの場合、(専門職)ライブラリアンに要求されるのは、修士の学位、さらにアメリカ図書館協会認定のライブラリースクールを修了していることが求められます。また、ライブラリアンを支援する一般的図書館職員(ライブラリーテクニシャンまたはアシスタント)にも修士の学位が求められます。
日本の司書資格は、大学で司書課程の単位を履修し卒業するか、司書講習を受講することで取得できます。司書講習の場合は短期間でかなりの勉強量を要求されますが、ほとんどは大学で資格が取れるため、大学ごとにかなりばらつきはありますが、概ね「取りやすい」資格だと思われます。
このように、「ライブラリアン」と「司書」はイコールではありません。
アメリカのライブラリアンまたはアシスタントには、それぞれ研究分野があるのです。そのため、例えば「19世紀、ある人物がどの船でアメリカに渡ってきたのか」というような難題にも適切なヒントを与えられますし、古く脆い資料の修復・デジタル化にも当たることができるのです(実際のところは州によってはその辺りは柔軟に対応されているのかもしれません。なぜならアメリカの場合、かなりの地域差があり、条件に合致する人材がそもそもいない、ということもあるからです)。
さらに、「図書館友の会」に会費を納め、無償あるいは低報酬のボランティアとして運営に参加する人々も多いようです。
※山本順一『日米比較にうかがえる社会的制度としての公共図書館の現在と近未来の盛衰』(『情報の科学と技術』第66巻2号,2016年)
http://current.ndl.go.jp/series/no40

従来の図書館の範囲を超えた様々なサービスは、もちろん保育士や、教員、介護士など、従来の「ライブラリアン」とは違った職能が求められることでしょう。文献の調査が間に合いませんでしたが、従来、図書館には「より専門的な機関を利用者に紹介する」といった機能もありましたので、ひょっとしたらそれらが発展した協力体制をとっているのかもしれません。この映画からはそれらのことはうかがえません。
また、図書館が提供するサービスのうち、未だ最も大きな役割を占めるのは「資料の貸し出し」です。返却されてきた大量の資料は、機械によって振り分けられ、最終的には人間の手で元の位置に戻されます。資料の返却処理とは、様々な図書館サービスの下支え、最も基本的な部分。そこを担うのは、画面で見る限り移民と思しき男性です。
先ほど、図書館で働く人々の高度な専門性について述べました。しかし、この「貸し出し返却」などの地味な作業は誰が行っているのか。簡単に探した程度ですが、それについての研究は見つかりませんでした。

そして利用者たちはどうでしょうか。
例えばパソコンのレクチャーを受けたり、Wi-Fiを借りに来たり、仕事を探したりなど、それらのサービスを受ける人々は、画面を見る限りアジア系、アフリカ系などが多いのではないか、と感じました。もちろん、英語が不得意な利用者に対しては、彼らの言語がわかる職員が対応し、スペイン語での質問には、スペイン語が出来る職員がいました。そして、子どもたちへの学習支援は、子どもたちはおそらくヒスパニックやアフリカ系。指導する職員もそうでした。学ぶためのインフラを自力で用意することが困難な人々の受け口として、図書館は求められ、機能しているとも考えられます。
これが、現状かもしれません。図書館は社会からこぼれ落ちそうな人々のために様々なプログラムを用意します。そして、その図書館の精力的な仕事の裏で最も地味な仕事を担うのは、現在のところ彼ら移民たちなのかもしれません。
ここに、ワイズマンの目を通した、ニューヨーク公共図書館の現在があります。

「ファセット」という言葉が思い浮かびました。
多義的な言葉ですが、「物事の、ある面」または「宝石のカット面」などの意味があります。図書館という巨大な塊をさまざまな面から執拗に観察したその視線。まさに、ひとつの「成長する有機体」としての質量感がまざまざと感じられた、この作品。

実は「ファセット」は図書館用語としての意味もあるのでした。偶然にも。

(text:井河澤智子)

参考文献

・山本順一『アメリカの公共図書館のひとつのイメージ − コミュニティに寄り添う図書館』(桃山学院大学経済経営論集』第56巻3号,2015)

・山本順一「公共図書館の課題と展望−日米比較図書館情報学的視点から−」
(『桃山学院大学経済経営論集』第56巻4号,2015)p.17-41.

・山本順一『日米比較にうかがえる社会的制度としての公共図書館の現在と近未来の盛衰』(情報の科学と技術』第66巻2号,2016)p.13-35.

・カレントアウェアネス・ポータル『米国の図書館事情2007−2006年度 国立国会図書館調査研究報告書』(図書館研究シリーズNo.40) 
http://current.ndl.go.jp/series/no40

・佐藤毅彦「2015年:図書館をめぐるメディアでの扱いとテレビドラマ『偽装の夫婦』」
(『甲南国文』第63号,2016年)p.152-139.

・山口真也「漫画作品にみる大学図書館員のイメージ 〜「図書館の自由」を中心に〜」」
(沖縄県大学図書館協議会配布資料,2002年)

・佐藤和代「図書館再考」(『情報管理』第58巻11号,2016年)p.849−852.




『エクス・リブリス − ニューヨーク公共図書館』
原題:Ex Libris - The New York Public Library
2016年/205分/アメリカ/英語

監督:フレデリック・ワイズマン

作品紹介ページ(山形国際ドキュメンタリー映画祭ホームページより)
https://www.yidff.jp/2017/ic/17ic05.html

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【執筆者プロフィール】

井河澤 智子:Ikazawa Tomoko

この作品を観るために山形へ行ってきました。
図書館員のタマゴと思しき、ちょっと「映画マニア」とは雰囲気の違う若者がたくさんいた気がするのですが、
あの熱さをもって図書館員になってしまったら早々に燃え尽きてしまうのではなかろうか。
なにごともほどほどが肝心。
まぁ司書資格の講義にはこの映画観せて2単位でいいと思います。
「本好きだね」と言われることが多い仕事ですが、本好きには絶対お勧めしない仕事です。
われながら身も蓋もないことを言うね!

ちなみにアメリカ最大の図書館は、アメリカ議会図書館(Library of Congress)です。
もっとどうでもいいことを言いますと、大英図書館(British Library)の略称は BL です。
慣れないうちはちょっとそわそわする略称です。

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